06.書生
宍粟探偵は、台所や他の部屋も隈なく探し、ご隠居、子供ら四人、使用人三人にも話を聞いたが、誰も香炉が動く現場を見た者はなかった。
当日、普段使っている客間へ通されたのは、ご隠居の将棋仲間だった。
二人の勝負にご隠居が立会をし、勝負がついて帰る直前まで、誰も中座しなかった。
「この新しい世に古物なんぞに現を抜かしておるから、そんな化け物を掴まされるのだ」
ご隠居は苦り切った顔で、総領息子の愚行を吐き捨てた。
邸内の捜索ですっかり遅くなった。
糸橋区の事務所に帰り、聞き取ったこと、直接見た物の要点を整理する。
留守居を任せている書生の有年は、寡黙な青年だった。
戻った宍粟探偵に一言、「特段のこと、なし」と報告すると、後は黙って本を読んでいる。
宍粟探偵は、自分の仕事に没頭した。
新聞の切り抜きを収めた書棚から、日高貿易関連の綴りを引っ張り出す。
日高貿易は、現在、三つ巴の訴訟の当事者だ。
日高貿易が魔法の品を仕入れ、販売した。
客から、商品がインチキで酷い目に遭わされた、と損害賠償訴訟を起こされた。
日高貿易は、仕入先のワンウェイに騙されたと告訴した。警察はワンウェイの日高貿易対応の担当者を詐欺で立件し、裁判が始まった。
損害賠償訴訟で日高貿易側は、原告である客に対し、自分達も詐欺の被害者である。加害者のワンウェイが罪を認め、日高貿易に賠償すれば、その中から客への賠償金を支払う、と説明した。
客は、怪我人が出て医療費の支払いがあるから、先に日高貿易が賠償金を支払い、後でワンウェイから回収せよ、と賠償を急かした。
揉めに揉めて半年以上、訴訟が継続していた。
新聞の社会面や経済面に時折、訴訟の経過の要点が掲載される。
仕入先への刑事訴訟は、お上が行うので関与できぬ代わりに、費用の負担もない。
客が日高貿易を訴えた損害賠償請求の民事訴訟と、日高貿易がワンウェイを相手取って起こした同様の訴訟は、防禦と請求の為に、弁護士費用が掛かる。
三つ巴の争いは、互いに主張を譲らず、膠着状態となっていた。
刑事訴訟は、ワンウェイが、法人として組織立って詐欺を行ったのか、担当者が個人的に悪事を働いたのかが、争いになっている。
外国企業の組織犯罪ならば、条約がある為、日之本帝国の法では処罰できなくなる。
民事訴訟も、ワンウェイが外国企業である為、条約が壁になっている。
ワンウェイの支店は居留地に置かれているが、本件に関係した従業員は、日之本帝国人だ。本件の内容以前に、条約と本邦の法律、どちらを適用すべきか争っており、徒に日数が伸びていた。
その分、訴訟の費用も嵩む。
インチキ騒動で信用が落ち、売上も落ちていることだろう。
日之本帝国のような科学文明国では、魔法の道具は非常に高価だ。
宍粟探偵は、商社時代の誤発注を思い出し、胃が痛んだ。事件の綴りから顔を上げ、書生の有年に聞いてみた。
「有年君、日高貿易の社長さんは、訴訟が長引いて大分、事業にも影響があるようだが、どう思う?」
「どうでしょうね?」
聞いているのかいないのか、有年は分厚い洋書から顔も上げずに返事をした。
「貧すれば鈍するとも言う。行き詰まって、つい、出来心で……などと言うことは……」
「他に心当たりは?」
「まぁ、確かに、お客人は多かったようだ。後で全員、当たってみるよ」
一見、華やかでいて、実情は火の車などと言うのは、当節にはよくある話だ。
どこの誰にどんな事情があるかなど、当人以外に知る由もない。
これが、カネ目当ての犯行なのか、何か恨みを呑んだものの犯行なのか、はたまた、香炉が自ら歩いた怪異であるのか。
動機も真相も皆目見当もつかない。
依頼人に与えられた情報。
直接の調査で得られた情報。
周辺を聞きこんで探った情報。
いずれも、まだ不足している。まずは、手掛かりを基に調査範囲を広げることに決めた。