58.訪問
「お約束通り、参りました」
刑事に話した三日後。
養父医院の休診日に、六花の女将、海上夫人が訪ねてきた。
宍粟探偵は、報酬を受け取りに来て、六畳間で但馬少年と話していた。
お松に来客を告げられ、但馬には部屋から出ぬように言い、例の客間へ移動する。
約束などしていないが、ご隠居と養父医師、宍粟探偵が応対することになった。
着座しかけた姿勢のまま、宍粟の動きが止まる。
気付いた養父氏が、申し訳なさそうに言った。
「氷ノ山で、元の持ち主の菩提寺を聞いたんですが、生憎、住職が腰を痛めて入院しておりまして……」
「あ、あぁ、それで……」
宍粟探偵はやっと、それだけ言い、腰を降ろした。
香炉の蓋と本体が、荷造り用の麻紐で結ばれ、その先は更に床の間脇の柱へ括りつけてある。さながら、繋がれた番犬のようだ。
海上夫人も眉を顰めた。
「まぁ……やっぱり、こちらでも歩くんですね」
「元々、我が家に在った時には歩かなんだ。その前の骨董屋でも、元の持ち主の家でもだ」
「ま、まるでウチのせいみたいじゃありませんかッ! 取り消して下さいッ!」
「取り消せだとッ? その言葉、そっくりそのまま返してくれるわッ! 倅がお前なんぞと不義密通を行ったなどと、作り事を流布しおって……ッ!」
たちまち激昂したご隠居に、海上夫人は怯んだ様子を見せ、袂で顔を覆った。
「そんな……作り事だなんて……あんまりです……私の気持ちは真実ですのに」
そのまま、しおらしく面を伏せる。
養父氏は、女将の様子に構わず、事務的に告げた。
「兎も角、根も葉もない噂のせいで、妻は寝込み、医院の診療にも差し障りが出ました。名誉毀損事件として、告訴致しましたので、追って、裁判所から呼び出し状が届きます」
「逃げ隠れするでないぞ」
海上夫人の窃盗や遺失物横領は、表沙汰になっておらず、また、立証も困難なので、不問に付す。
だが、こちらの件では、そうは行かない。
新聞沙汰となり、世間に大々的に広まってしまった。
名指しで不義の子と流布された八鹿は勿論のこと、但馬と深雪にも、あらぬ疑いが掛かりかねない。
養父健一医師の潔白と、海上家の三人の子の正当な立場を明確にする為にも、必要であった。
「あんまりですッ! 出会う順番が違ったら、私が健一さんの妻でした! 八鹿にはそのつもりで毎日、あなたの子だと言い聞かせて育てましたッ! だのに、どうしてそんな酷いことをおっしゃるんですッ?」
一息に言い、海上夫人は畳の上へ泣き崩れた。
「順番が狂ったばっかりに、私の人生は滅茶苦茶になったんですッ! せめて、但馬が産まれる前なら、あんなのとは離縁して一緒になれたのに……」
「さっきから聞いておればぬけぬけと……」
「勝手なことを言わないで下さい」
腰を浮かしかけたご隠居を片手で押し留め、養父医師は静かに、だが、有無を言わせぬ気魄を以って言った。
「健一さん、あなたまで、そんなことおっしゃるなんて……あの女は、たかが噂くらいで、不幸だなんだって寝込んで、妻の役目を怠けるような、クズじゃありませんか? 私の方がずっと……」
「泥棒女」




