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彷徨う香炉  作者: 髙津 央


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51.迷い

 妹の深雪(みゆき)は、完全なお飾り人形だ。

 愛らしく着飾り、人前でにこにこ笑っていることだけを求められていた。


 人前で母の意に沿わぬことを喋ったのか、家へ帰ってから、折檻(せっかん)される姿を何度も目にした。

 「ごめんなさい、もう何も言いません、黙ってます」

 泣きながら許しを乞う幼い娘に、母は容赦なく罵声を浴びせ、手を上げた。着物で隠れる背中や尻を手形が付く程、打った。


 一度、止めに入ったことがあるが、後で更に深雪が責められ、但馬(たじま)自身も食事を抜かれるなどした為、何も言えなくなった。


 その他の件では、何をしようと一切、(とが)め立てせず、八鹿(ようか)同様、甘やかされていた。


 母以外の誰もが、深雪を哀れに思い、()れもの扱いした。


 それが原因なのか因果は不明だが、深雪はまだ、たった六つでありながら、泣くことで周囲の大人を自分の思い通りに動かすようになっていた。

 泣いて殊更(ことさら)に「可哀想な姿」を見せさえすれば、使用人らは泣き止ませようと機嫌を取り、例え、深雪に非のあることであっても、不問に付された。


 母である海上(うみがみ)夫人は、物心つく前から、密かに但馬(たじま)を責めていた。

 亭主の生前から、溜め息交じりに切々と、自分が如何に但馬を産んだことで身体を損ない、被害を受けたか、幸せを駄目にされたかを語って聞かせた。


 「お前みたいな出来損ないさえ生まれなければ、こんな辛気臭い料亭の女将になどならずにすんだのに……」

 但馬が友達と喧嘩のひとつもすれば、どちらが悪くとも、但馬一人を一方的に叱りつけた。


 この世の悪を全て集めて煮詰めたような極悪人呼ばわりで、お前なんか産むんじゃなかった、と食事を抜かれた。


 学校の試験が(こう)で、組で一等優秀になっても、但馬が母から褒められたことは、ただの一度もなかった。

 些細な間違いを(あげつら)い、満点ではなかったことを責め立てた。


 「また、こんな下らない間違いをして。こんなだから、満点が取れないんです。こんな出来損ない、格式ある料亭六花(りょうていむつのはな)の跡継ぎとして、恥ずかしいったらありゃしない」

 寝る間も惜しんで勉強し、満点を取った時には、褒められるどころか、汚い物でも見るように言われた。


 「お前みたいな出来損ないが、満点なんて取れる筈がないでしょう。どんなズルい手を使ったんだい? 後で知れて落第でもしたら、お(いえ)の恥です。勘当しますからね」


 但馬(たじま)が外で他所の人から褒められ、少しでも嬉しそうな顔をしようものなら、家へ帰ってから母に心張棒(しんばりぼう)で折檻された。

 「ちょっと褒められたからって、天狗になるんじゃないよ! あんなのは社交辞令って言ってね、お愛想なんだよ! 誰がお前みたいなクズを心から褒めるもんか!」


 但馬は、他所様に褒められぬよう、悪い子になるべきか、老舗の跡取りに相応しい立派な人物になるべきか、決めかねた。

 その時々で、悪さをしてみたり、勉学に励み、品行方正に振舞ってみたりもした。


 母の言うように、唾棄すべき出来損ないの極悪人なのか。

 学校の先生方が褒めるように、勤勉で優秀な生徒なのか。


 但馬の心は、善と悪の間で揺れ動いた。


 母の態度は、但馬がどうあろうとも揺るがなかった。

 父は但馬が物心ついた頃から、少しずつ板場の手伝いをさせた。包丁の握り方や魚の(さば)き方など、(とお)になる頃には、それなりのことができるように教え込んでいた。


 祖父母と父が存命の間は、彼らが但馬(たじま)の面倒を見、使用人も、跡継ぎである彼を大切に扱った。


 祖父母が亡くなり、父である六花(むつのはな)の亭主も亡くなってからは、誰も彼を構わなくなった。

 構えば、女将に叱責される為、先代と亭主の遺徳を偲ぶ使用人の一部が、密かに世話をした。


 父の死後も、但馬は板場へ出ることだけは、止めなかった。

 母の言う老舗の重みが恐ろしく、六花を継ぐ気になれないが、八鹿(ようか)では到底、勤まらない。


 自分が逃げれば、長らく続いた店が確実に絶える。

 それはそれで、恐ろしいことだ。


 だが、その一方で、勉学にも励んでいた。自分の腕一本でも生きて行けるよう、医師を目指している。他に知る仕事が、養父(やぶ)氏の医師しかなかった為だ。


 老舗の六花(むつのはな)を継ぐのか。

 (くびき)から逃れるのか。

 十五歳の但馬には、何もわからなかった。


 母は父の亡き後、但馬を他の奉公人と同じに扱った。

 「こんな簡単なことも出来ないのッ? この出来損ないがッ!」

 そんなことを言いながら、お客様に恥ずかしい、と()たれることさえあった。


 板長をはじめ、奉公人達は女将の前では、こっそり溜め息を吐き、女将の目を盗んで、何くれとなく助けてくれた。

 女将の面前で公然と(かば)えば、後で但馬がもっと酷い目に遭わされるからだ。


 食事を抜かれた時には、(まかな)いを分け与え、理不尽に叱られた時には、物の道理や世間の本当の常識を説き、奉公人扱いを受けた後には、「坊ちゃん」として立ててくれた。


 彼らが居なければ、但馬はもっと早くに、道を誤っていただろう。

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地図などは「野茨の環シリーズ 設定資料『用語解説17.日之本帝国』
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