表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彷徨う香炉  作者: 髙津 央


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

50/61

50.兄弟

 大部屋はしんと静まり返り、他の患者は眠っているのか、聞き耳を立てているのか、判然としない。


 ご隠居が、少年を気遣う。

 「但馬(たじま)君、具合はどうだ?」

 「別に、何ともありません。ちょっと水飲んだだけだから、様子見で居るだけです」

 「そうか。では、退屈だろう。ちょっと庭へ出てみようか」

 但馬少年は、養父(やぶ)医院のご隠居には、折り目正しく返事をした。


 板長が廊下へ出て、通りすがりの看護師に一言、断りを入れる。

 念の為、宍粟(しそう)探偵が手を貸し、但馬少年をそっと立たせた。病院の寝巻の上に、宍粟の襟巻(マフラー)と上着を掛ける。

 但馬少年は小声で礼を言い、先に立って歩いた。


 病院の庭へ降り、二人掛けの長椅子に但馬(たじま)とご隠居が座り、話を再開する。

 日当たりはいいが、時折吹く風は、やや肌寒い。


 「警察へは、もう話してあるんですか?」

 宍粟(しそう)探偵が口火を切る。

 但馬少年は首を横へ振った。


 「警察から、連絡があったそうですが?」

 「病院代を踏み倒しちゃ、お医者に悪いと思って、身元だけ言ったんだ」

 「殺されかかったんですよね? 何でまた、犯人を(かば)うような真似を……?」

 但馬は宍粟(しそう)探偵を見、ご隠居を見、最後に板長を見た。


 「盗人が捕まんなきゃ、カネも戻らない。そのまま、店が潰れりゃいいと思って……」

 次第に声が小さくなり、仕舞いには語尾が消えた。

 板長が、言葉もなく、老舗料亭の跡取り息子を見詰める。

 但馬は(うつむ)いた。


 「何故、そう思ったんですか? いえ、但馬君を責めているんじゃありません。何か、そうしなければならない、事情があるのでしょう? もしかすると、力になってあげられるかも知れません。教えてくれませんか?」

 宍粟(しそう)探偵の言葉に、但馬は顔を上げた。

 隣に座るご隠居を見る。ご隠居は、力強く頷いて見せた。

 「あのババア、八鹿(ようか)ばっかり大事にして、昔っから俺を居ない者扱いしてやがったんだ」


 弟の八鹿は、母に溺愛されている。

 母は八鹿が何をしても叱らず、悪さをして迷惑を掛けた先には、代わりに頭を下げに行きさえした。

 学校の試験が(へい)でも、褒めそやした。

 「まだ、下に丁の子が居るから、大丈夫。他の子より賢いなんて、流石ねぇ。偉いわぁ」


 跡取りではない為、いずれ外へ出す。

 他所で生きて行くようにと、板場の修業をさせられることはなかった。

 八鹿は包丁の握り方ひとつ知らない。

 板場で何を手伝うでもなく、つまみ食いをするだけで、母に褒められた。


 「八鹿は、ちゃんとお店の味を調べて、偉いわぁ。それでこそ、六花の息子ねぇ」

 奉公人は、亭主の存命中は(たしな)めていたが、女将が実権を握った後は、何も言えなくなった。


 母は何故か、八鹿(ようか)を不義の子として育てていた。

 「八鹿の本当のおとっつあんは、養父(やぶ)先生だけど、それは世間には内緒だから、決して言ってはいけません。養父先生のご迷惑になりますからね。本当のおとっつあんに嫌われないように、立派なお医者の子として、恥ずかしくないようになさい」


 母から毎日、そんな言葉を聞かされ、跡取りの重責もなく、放任されていた。

 本人には、誰にも内緒にするよう、言い含めていたが、同じ部屋で寝起きする但馬(たじま)の耳には入っていた。


 この件は、長らく母子だけの秘密であった。

 父の死後は、奉公人らも知るところとなったが、誰も何も言わなかった為、但馬(たじま)も黙っていることにした。


 但馬は板場に出る為、自分が人より薬指の短いことに気付いていたが、父も同じ手をしていたので、そう言うものだと思っていた。

 父は生前、それを「海上家(うみがみけ)の男の手だ」と言っていた。


 誰が見ても、但馬(たじま)八鹿(ようか)の兄弟は、料亭六花(りょうていりっか)の亭主にそっくりだ。特に手の形は、他に(るい)を見ない。


 八鹿(ようか)は、母が兄をないがしろにする姿を目の当たりに育った。兄に技を仕込んでいた父が亡くなった後は、奉公人も母に従っている。


 「俺が六花(むつのはな)の暖簾を継ぐから、兄貴はどっか行けよ。それが嫌なら、タダの板前としてなら、置いてやってもいいぞ」

 流石に、養父(やぶ)医師の子であると言う話は真に受けていないようだが、八鹿は兄の但馬を見下していた。


 但馬が、父の死後も板場に入り浸るのは、家に身の置き場がなく、板場の方が居心地がいいからだ。

 その心は、家を継ぐか、捨てるか、常に揺れている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地図などは「野茨の環シリーズ 設定資料『用語解説17.日之本帝国』
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ