48.狂女
二人で顔を見合わせ、海上夫人を穴のあく程、見る。
さも当然のことを言ったように胸を張り、堂々と二人の目を見詰め返す。その顔は、誇らしげですらあった。
「あの、参考までに、いつ頃から……」
「赤ん坊の頃からです」
宍粟探偵が恐る恐る問うと、打てば響く勢いで、自信に満ちた答えが返って来た。
「当たり前じゃありませんか」
「いや、当たり前って……あの、六花の、大将の子ですよね? 養父先生は、バルバツムに留学なさってたんですから……」
何故か、宍粟探偵の方が間違っているような心地になり、恐る恐る確認する。
女将は、悲しそうに目を伏せて答えた。
「確かに、体はそうでしょう」
しかし、すぐに顔を上げ、キッとご隠居を見据えて宣言する。
「……ですが、心はずっと健一さんのもの。八鹿は、おなかに居た頃からずっと、健一さんの子として育ててきましたから、顔も健一さんにそっくりでしょう?」
「いえ、私は、八鹿君とお会いしたことがありませんので、何とも……」
「そうでしたわね。元気になりましたら、お披露目させていただきます。きっと皆さん、ご納得なさいますよ」
あまりの言い様に、ご隠居は言葉を失い、宍粟探偵も頭の芯が痺れるようだった。
双魚に問われ、呆然としながらも、機械的に翻訳した。
「……なぁ、翻訳を間違ってねぇか? 時系列とか、色々おかしいだろ」
苦笑交じりに言われたが、宍粟探偵は首を横に振る他なかった。
通訳を通さず、直接、母国語で聞いても、意味がわからない。
噂の心労で、養父夫人は外出もままならず、季節が変わった今も、気鬱で寝込んでいる。食事も喉を通らず、一冬で痩せ衰えてしまったと聞いた。
噂を流布した張本人は、理解不能な独自理論を振りかざし、堂々と胸を張っている。
ご隠居が、懇々と言って聞かせる。
「お主がどれ程、念じたところで、腹の子が倅の子になる道理がない。頭を冷やさんか」
「いいえ。私はずっと、八鹿を健一さんの子として、お育てしましたから、大丈夫です」
「あの……参考までに、何がどう、大丈夫なんでしょう?」
宍粟探偵が、恐る恐る質問する。
海上夫人は、宍粟とご隠居に艶のある笑みを返した。
「今からでも、こちらに住んで差し上げても、一向、差支えありませんよ」
「寝言は寝て言えッ! こっちに障りがあるッ!」
老人が卓に拳を叩きつけ、空の菓子鉢が跳ねる。
「あ、あのぉ……大旦那様……あのぉ……宜しいでしょうか?」
廊下から、女中の怯えた声がする。
ご隠居は、不機嫌に応じた。
「何だ。お松には怒っておらん。さっさと用件を申せ」
女中は、襖を開けずに答えた。
「六花の女将さんに、あの、お店の方が、急ぎのご用だそうで……」
「今、取り込み中ですから、後にして下さいな」
ご隠居は、六花の女将・海上夫人の落ち着き払った顔を睨みつけ、命じた。
「使者はまだ、居るのだな? 通せ」
「は、はい。少々お待ちを……」
玄関で待たせてあるのか、足音がそそくさと遠ざかる。
「呼んで下さらなくて、結構ですのに」
「出先まで呼びに来ると言うことは、何かお店の一大事じゃないんですか?」
「一大事……ねぇ?」
海上夫人は他人事のように言い、山吹色の袖で口許を覆った。
ご隠居が、正面のオンナを射抜くような目で睨む。
何とも言えぬ沈黙を他所に、庭では紋白蝶が、風に戯れている。
小走りの足音がふたつ、近付いてきた。
女中の声が掛かり、襖が開く。
宍粟探偵は、場の均衡が崩れたことにホッとした。
「女将さんッ! 但馬坊ちゃんが見つかりました!」
先程の見習いが、廊下に立ったまま叫んだ。




