47.順序
「海上さんも、お店の皆さんも、その、脇浜の顔は、覚えてらっしゃいますよね?」
「はい。警察で、人相書きも拵えていただきました。とてもよくできていましたよ」
最近流行りのあんパンを潰したような、日に焼けた丸顔で、眉は太い筆で引いたように黒く太い。一目見れば、忘れぬ風貌だと言う。
宍粟探偵は商売柄、警察署へ情報を集めに行くことが多い。
シロアリ盗賊団は、毎回、人相書きが作られ、警察署に貼り出されているが、一体、何十人いるのか、毎度、違う顔だった。
金持ちの家へ送り込む下っ端は、毎回、使い捨てて居るのだろうか。
犯行後の足取りは、殆ど掴めない。
今回のように、盗品が近隣の県で見つかることも度々あり、その都度、警察が聞き込みに行くが、人相書きとは別の人物が売りに来たと言われる。
「此度の件で、盗られる側の痛みが、ようわかったろう。家に残った分だけでも、元の持ち主に返すのだ」
「そんなのイヤですッ! 今、また不幸になったのに、幸せのかけらを返したら、もっと不幸になります」
「何を身勝手なッ! そもそも但馬君が身罷ったのも、盗みの発覚を恐れてのことであろうが! 己の身勝手が不幸を呼び寄せておるのだ。何故、それがわからぬ」
海上夫人は、ご隠居の激しい叱責に唇を噛んだ。
「でも、香炉は、返しに来たんですよね?」
「これは、幸せどころか、呪われてますから……」
宍粟探偵の問いに鼻で笑って返した。
幸せのかけらと称して、他家の物を盗む。
身勝手な理由で盗んだ香炉を呪いの品と思い込み、不幸の原因だとこじつけ、本当の原因を見ようともしない。挙句の果てには、呪いが解けないと見るや、他人に押し付ける。
カネ目当てではなく、幸せを奪うことを目的とした盗み。
幸不幸は、右から左に動かせるものではない筈だ。
宍粟探偵は、腹の底が冷える思いで問い質した。
「養父家が、不幸になればいいと思って、良からぬ噂を流したんですか?」
「良からぬ噂って何ですか?」
「とぼけるなッ! 倅と不義密通を行ったなどと、あることないこと言い触れ回ったのは、お主であろうが! 調べはついておるのだ!」
ご隠居が拳で卓を打ち、身を乗り出して海上夫人を指差す。
夫人は三人を素早く見回し、畳に目を落とした。
「そんな……あることないことだなんて……ホントだったら、私が健一さんと結婚して、養父家の嫁になる筈だったんですよ。なのに……」
そこまで言って、山吹色の着物の袖を握り、椿色の紅を引いた口を結ぶ。
「何だと? バカも休み休み言えッ! お主が倅と顔を合わせたのは、但馬君が赤子の頃、医者と患者の親としてだったろうが!」
「そんな……お義父さん……出会う順番が違っていたら、私は今頃、この養父家の嫁だったんですよ? あの人に健一さんを盗られなければ……」
しおらしい声で、堂々と被害者面する。
宍粟探偵には、海上夫人の思考の道筋が、全く見えない。
双魚に目顔で求められ、二人の遣り取りをそのまま訳した。
「何だそりゃ? 俺の目には、女が口から赤い蛇を吐いてんのが視えるんだ。蛇の雑妖は、嫉妬や怨恨の化身だ。人間から涌く雑妖は、大抵、何の形も成さない。ぼんやりした霞みたいなもんなんだ。こんなはっきり形になんのは、相当、アレだぞ?」
双魚が海上夫人を見る目は、化け物を見る目だ。
言われた宍粟(しそう探偵)も、視えぬまでも、我知らず、同じ目で夫人を見る。
「あの、海上さん、養父先生のお気持ちは……」
宍粟探偵は、初対面の自分にまで、惚気話をした養父氏の顔を思い出し、聞いた。
「私が先に出会っていれば、きっと、私を妻にしていました」
「勝手に決め付けるなッ!」
ご隠居の怒声が飛ぶ。
顔を上げた夫人は、潤んだ目で老人を睨みつけた。
「いいえ。必ず、私と夫婦になっていました」
「根拠は何だ! 根拠はッ!」
「運命です」
断言した夫人の眼は、ギラギラと異様な輝きを宿している。
「愛に、時間は関係ないんです。今からだって……」
「本人を差し置いて、何を言うかッ!」
「お義父さんには、おわかりにならないんです」
海上夫人は、老人に憐みの目を向ける。
愚かで頑迷で、人の心の機微や恋心を解さぬ堅物、とでも言いたげだが、流石にそれは口にしない。
「お主の親になぞなった覚えはないッ! 馴れ馴れしいぞ!」
双魚が身振りでご隠居を落ち着かせる。
中腰になっていた老人は、ひとつ咳払いをして、居住まいを正した。
「あんな根も葉もない噂を流したところで、事実は捻じ曲げられませんよ。徒に息子さんの名誉を傷つけただけです。子を持つ母として、我が子の出自を偽るなんて、恥ずかしいと思わないんですか?」
「偽ったことはありません。八鹿は、健一さんの子として育ててきました」
「何ッ?」
「えッ?」
ご隠居と宍粟の驚愕が重なる。