45.理屈
「幸せな人がお持ちの、『幸せのかけら』をちょっと拝借しただけなんです。盗んだんじゃ、ないんです。だって、奥様、あんなに幸せで、如何にも女物のキレイな香炉を、大事に床の間に据えて……あんなの見せつけられたら、誰だって、欲しくなるじゃありませんか」
……ならないッ!
宍粟探偵はその言葉を呑み込み、口を固く結んで、海上夫人を見詰めた。
無表情と言うには、あまりにのっぺりした顔で、相変わらず、殆ど口を動かさずに、口の中で早口に喋る。
「幸せを分けていただいたら、後でお返ししようと思ってたんです」
「でも、何だって黙って持ち出すんです? 何か理由を付けて、貸してもらうんじゃいけないんですか?」
どんな理屈でそうなるのか、疑問が湧いた。
宍粟の問いに、海上夫人は首を横に振った。
「お土産や何かを、普通にお裾分けしていただいても、効き目がないんです。幸せのかけらは、こっそり持って帰らなくちゃ、消えてしまうんです」
全く理屈が理解できず、呆然とする聴衆を置いてけぼりにして、女将は歌うように語った。
「今までずっとそうでした。他所のお庭から、こっそり切って来たお花を玄関に生けた日には、お店が大入りになりましたし、おしめを持って帰ったら、翌年には跡継ぎの長男を授かりましたし……」
「今までずっとって、いつからですか? そもそも、何故、そんなことをしようと思ったんですか?」
長男が産まれる前と言えば、もう十六、七年も前になる。よく今まで手が後ろへ回らなかったものだ、と宍粟探偵は呆れた。
「道に落ちていた簪を拾って挿した日に、亭主との縁談がまとまったんです」
海上夫人は、臆面もなく言ってのけた。
まんじゅうを食べ尽くした双魚が、退屈そうにしている。
宍粟探偵は、今の話を訳して聞かせた。
双魚は、「成程、それでか」と頷き、渋い茶をすすった。
「この女の両腕には、鳥の目の形をした雑妖がびっしり貼りついてる。蛙の卵よりびっしりだ。盗人の手には大抵、あれが憑いてるんだ。あれがさせるのか、盗人の気を好んで憑くのかまでは、知らんがな」
宍粟探偵は、思わず想像して、肌が粟立った。湯呑に添えられた夫人の手は、白魚のようにほっそりしている。
知らず、顔に出ていたのか、ご隠居も双魚と宍粟探偵に倣い、海上夫人の手元を見た。
「何があるのだ?」
迷ったものの、宍粟探偵は双魚の視たモノを語った。
「鳥目か……」
ご隠居の眉間の皺が深くなる。
当の海上夫人は両掌を広げ、しげしげ眺め、吐き捨てた。
「何もないじゃありませんか。馬鹿馬鹿しい」
今、現に自らの罪を告白しながら、これは否定する。一体どういう心理なのか。
「そんなものが視えるなら、私だって、あんな料理人、家へ上げなかったのに」
「洋食を作らせていた、と言う人ですか?」
海上夫人が、こくりと頷く。
「帯留も簪も箸置きも玩具も、幸せのかけらは、みんな、盗られて、家宝の絵皿やお金まで盗られた上に、板長には、私のせいだって、詰られて……私は、何もかも盗まれた被害者なのに、盗人の手引をしたのなんのって、あることないこと……板長のせいで、警察に引っ張られて、危うく罪人に仕立て上げられるとこだったんですよ。長男は亡くなったし、次男も今、病気で寝付いて、娘も寝込んで……これでも、香炉の呪いじゃないって言うんですかッ?」
口を差し挟む暇もなく、一気に捲し立てられた。
「先程も申し上げましたが、香炉には呪いなんて掛かっていません。息子さんの病気は偶然で、亡くなったのは、お医者に掛からなかったからです」
「長男の但馬君は、本当に亡くなったのか? お弔いはどうした?」
海上夫人は、ご隠居の問いに目を伏せた。
「……だって、あんまりにも、あの子が可哀想です。まだ十五なのに……呪いのせいなんですから、解けばきっと生き返ります。お葬式なんて、とんでもない」
宍粟探偵が訳すと、双魚は首を振った。
「死者を甦らせる魔法なんてない。あるのは、死体を操る術だけだ」
そもそも、呪いなど掛かっていない。
双魚の言葉を訳すと、ご隠居は頷き、海上夫人は火を噴くような目で睨みつけた。
「香炉のせいだと思うなら、何故、寺へ預けなんだのだ」




