43.珍客
生垣の上に出た顔は、料亭六花の女将・海上夫人だった。
「おや、女将さんじゃありませんか。どうされました? 何か、落とされましたか?」
「あら、宍粟さん、こんな所で……」
女将も、意外な顔触れに驚く。
双魚が東方語で、宍粟探偵に告げた。
「あの女だ。香炉の呪いを解けって騒いで、俺をケチ呼ばわりした奴だ」
宍粟探偵は東方語で小さく、わかった、と返した。
「ご隠居さんも、お久し振りでございます。とんだ噂が立ってしまって、先生方にもご迷惑を……」
「いや、根も葉もない噂だ。それより、今日は如何なされた。どこぞ具合でも悪いのか?」
「いえ、野暮用で通りかかりまして。ここに、こんな物が落ちているのを見つけて……」
海上夫人は、手に持っていた何かを生垣に差し出した。
香炉だ。
「おや、そんな所にありましたか。失うたかと思うておりましたゎ。そんな所まで転がっておりましたか。有難い。お急ぎでなければ、お茶のひとつも、如何かな?」
ご隠居がとぼけて、礼を申し出る。
そこへ、六花の見習いが駆けてきた。
女将の姿を見つけ、驚いて足を止めたが、息が切れて話にならない。
「どうしたの? また、何かあったの?」
見習いは息を整えながら、女将に首を横へ振って見せた。宍粟探偵に顔を向ける。
以前、板場からゴミを出していた青年だ。荒い息を吐きながらも、用件を告げる。
「シソウさん……ですよね? 板長が、すぐ、来て、欲しいって、言って……事務所行ったら、留守番の人に、ここって……」
「板長さんが?」
「シソウさん、例のアレでわかるからって」
「その件について、今、非常に重要なことがわかったので、後程、お伺いします、とお伝えください」
帰りかける見習いに、宍粟探偵は更に言った。
「……あぁ、それから、例のアレの現在の所在もわかっているので、ご安心下さい、とも言っていただけますか」
見習いの青年は短く返事をし、女将を一瞥すると、来た時と同じ勢いで駆けて行った。
「宍粟さん、ウチの板長が何か……?」
「あぁ、板長さんから、頼まれ事がありまして、女将さんもご存じの、お店の絵皿の件など色々と……」
「盗まれた品を、取り返して下さるんですか?」
女将が縋るような眼差しを向ける。
宍粟探偵は柔和な笑みを浮かべ、女将を招いた。
「ご隠居さんもお招き下さってますし、立ち話もアレですから、こちらへどうぞ」
女将は迷っていたが、結局、正面へ回り、客間へ上がった。
女中が追加の茶を淹れ、客間から下がるのを待って、ご隠居が口を開いた。
「海上さん、その香炉がどのような品か、ご存じか?」
「いえ、何も……今し方、そこで拾ったばかりで……」
二人は、座卓の中央に置かれた香炉を挟み、相対している。
「宍粟さんとは、お知り合いでしたな?」
「はい。以前によく、会社のご用でお店にお越しいただいておりました」
「その節はどうも……」
宍粟探偵が、型通りの言葉を口にすると、女将は仕事用の微笑を返した。
床の間を背にご隠居、座卓の右手側に宍粟、左手側に双魚、ご隠居の正面に女将が座っている。
ご隠居は、掌で双魚を示し、問うた。
「では、この御仁は、如何かな?」
「いえ、存じません」
女将は即答した。
「言葉がわからぬだけで、異国の方にも、人の顔の見分けはつく。海上さん、何故、そのような嘘を吐く? お前さんは骨董屋の妙見で、随分、騒いだそうではないか。何なら、妙見の店主もここへ呼び、面通しさせるが?」
六花の女将は、ご隠居の言葉で改めて双魚の顔を見、あっと息を飲んだ。
嘘を吐いていた訳ではないようだ。
単純に忘れていたか、香炉のことで頭がいっぱいで、そもそも、顔をよく見ていなかったのかもしれない。
宍粟探偵がやりとりを掻い摘んで訳すと、双魚は呆れた。
「おいおい、あんだけ大騒ぎして、俺に湯呑まで投げつけといて、忘れたってのか?」




