42.歓談
その二日後、六花の女将は、嫌疑不十分と言うことで帰された。
巷には様々な憶測が飛び交い、買物もままならぬようであった。
憶測は主に、泥棒と懇ろになり、盗みの手引をする目眩ましに、養父医師との間に良からぬ噂を流した、と言うものだった。
却って注目を浴び、盗みを誤魔化すには到底、良い手だと思えないが、世間ではその話が罷り通っている。
そうでなければ、女将の口からわざわざ、我が子を貶める話が出る筈がない、と言うのが、世間の見方だ。
養父医師に官報と言う動かぬ証拠があることも、女将への疑惑の一助となった。
月末、帝都の北西に位置する幸魂県の骨董屋に、絵皿が出た。
帝都の骨董組合員が、知り合いの他師から聞きつけ、官憲に通報した。
幸魂県の骨董屋は、贓物とは露知らず、買取りの際に見せられた身分証は、贋物とわかった。
聞き取った人相を手配書と比べたが、似ても似つかない。シロアリ盗賊団は、大層な大所帯なのか、役割分担を細かくして、人を使い捨てているのか。
絵皿は証拠品として押収され、警察で保管される運びとなった。
梅が過ぎ、桃が咲いては散り、桜の蕾も膨らんだ。間もなく四月。
世間に吹く冷たい風を他所に、季節の風はゆるやかに春の便りを運ぶ。
双魚は約束通り、養父邸を訪れた。宍粟探偵が案内し、通訳として、そのまま付き添う。
二人が女中に通されたのは、香炉を最後に見たと言う客間だった。
上座にご隠居、その両手に双魚と宍粟探偵が、卓を挟んで向きあう。
よく晴れた日のこととて、障子を開けてある。
紅白の椿が咲き、目白が来てその蜜を一心に吸っていた。
ご隠居は、双魚を見て表情を和らげた。
魔法使いと聞いて、緊張していたのだろう。双魚の様子が、普通の人と変わらぬことに、安心したようだった。
容姿は、チヌカルクル・ノチウ大陸南東部の民と殆ど同じだ。焦げ茶の髪と目、彫の浅い顔立ち。日之本帝国でも、南西部の地域に多い顔立ちだった。
衣服の形は、チヌカルクル・ノチウ大陸にあるゲオドルムの民族衣装に似ていた。
模様は全く異なる。淡い緑色の生地に、濃い緑と焦げ茶色の糸で文字とも紋様ともつかぬものが刺繍されている。
「こンにちハ」
双魚がたどたどしい発音の日之本語で挨拶した。
ご隠居は頬を緩め、挨拶を返し、茶を勧めた。
「本日は、お忙しい所お運びいただき、誠に有難う存じ奉る」
宍粟探偵が訳すと、双魚は笑って答えた。
「今は、一仕事片付いて、暇だからいいよ」
場の空気が更に緩み、三人は茶菓子をつまみながら、話し始めた。
「お、これ、美味いな」
「まんじゅうと言う、この国に昔からあるお菓子です。あんこ……小豆……赤くて小さい豆を砂糖で煮た物を、小麦粉を捏ねた皮で包んで蒸したものです」
「へぇ~……マンジュウ……豆を甘く煮るってのが、面白いな」
「この国では、ありふれたお菓子ですよ」
「妙見では、菓子など出んのか?」
ご隠居が、まんじゅうを珍しがる双魚に、気の毒なものを見る目を向ける。
宍粟探偵が訳すと、双魚は首を横に振った。
「菓子も飯もちゃんと出るぞ。カリントウ、ラクガン、センベイ、コンペイトウ、ケンピ、ベッコウアメ、オコシ、他にも色々、菓子。こう言う軟らかいのは初めてだ。この国の菓子は全部、硬いのかと思っていた」
「硬軟合わせて、色々ある。双魚殿が元居たお国は、如何であったか?」
「元居た国? 大陸のずっと西の端の方、ラキュスって湖の畔に居たんだ。お袋が庭のアーモンドの実を粉にして、菓子を焼いてくれてた。アーモンドは硬いが、軟らかい菓子だ。近所の人みんなに美味いって褒められてた」
双魚の目が遠くを見て、思い出を語る。
宍粟の翻訳に、ご隠居が太い息を吐く。
「ラキュス……そんな遠方から、遙々来られたのか。あぁもんど……とやらは知らぬが、さぞかし美味いのだろうな」
宍粟探偵が、ご隠居の感嘆と疑問を伝える。
双魚は懐から小瓶を取り出した。
桜色の瓶で、掌の中にすっぽり収まる大きさだ。石なのか陶器なのか、材質は判然としないが、硬質で、やや透明感のある光沢がある。
双魚は滴型の蓋を摘まみ、瓶の底をご隠居に向けた。
「この図柄は、アーモンドの花だ。育てば、大木になる。毎年春にこの瓶と同じ色の花が咲いて、豆みたいな硬い実が生る」
ご隠居がやや身を乗り出し、瓶の底をしげしげと眺める。
宍粟探偵の翻訳に頷き、呟いた。
「桜によく似ておるな。桜は、初夏に果物のサクランボが生る」
「サクラ……?」
双魚が首を傾げる。
「双魚さん、この国へは、いつ頃来られました?」
「去年の夏だ」
「あぁ、それなら、ご存じないのも無理はありません。もう少しすれば、一斉に咲いて、辺り一面、桜色の雲が降りて来たみたいになりますよ」
宍粟は東方語で説明し、ご隠居には、双魚が桜を知らないことを告げた。
「ウチの庭にも二本ある。後、数日で咲くだろう。また、花の頃に来るがよい」
ご隠居が縁側へ立ち、右手の方を指差す。双魚と宍粟探偵も、立って庭を見た。
まだ、蕾は閉じているが、淡く色付き、膨らんでいる。
数多の蕾を付けた枝の下、生垣の向こうで、人が動いた。生い茂った柊の枝葉の隙間から、山吹色の着物が見える。
その人物はしゃがんで、生垣の根元付近で何かしていた。
ご隠居が声を掛ける。
「如何なされた。何か、落し物かな?」
着物の色柄から、女性と思しき人物は、びくりと動きを止めた。
ややあって、覚悟を決めたのか、すっくと立ち上がる。
他師=骨董品の仲買人。