40.盗難
六花の女将と板長が、シロアリ盗賊団にやられた、と警察署へ駆け込んだのだ。
去年雇い入れた板場の中見習い、女将が自宅で外国料理を作らせていた男が、姿を消した。
同時に、店の売り上げと女将の帯留や髪飾りなどの宝飾品が、ごっそり持ち出されていた。その後、改めて調べると、高価な食器類もかなりの数が、消えていた。
「ホント、恐ろしいこと! でもおうちのどなたも、命を取られなかったのは、不幸中の幸いでございましたわね」
薔薇園亭の女主人が、ジャム入り紅茶を味わいながら、しみじみと語った。
宍粟探偵は、老婦人の耳の早さに舌を巻きつつ、同意した。
「これじゃあ、当面、ごたごたして利用できませんね」
「そうですわねぇ。早く捕まれば宜しいんですけれど」
この件で、外国料理を提供していたことが、板長の知るところとなった。板長をはじめ、亭主を知る古参の従業員たちは憤り、辞める辞めないの騒ぎに発展している。
板長らは、あんな者を引き入れ、売り上げを盗まれたのは、女将の責任だ、と海上夫人個人に店の損失の補填と、経営権の引き渡しを要求している。
女将である海上夫人は、こちらは被害者なのに、何故、二重取りされねばならないのか、店の権利は夫から正当に引き継いだもので、息子ならともかく、赤の他人にくれてやる謂れはない、と真っ向から対立している。
従業員の中には、女将が中見習いと懇ろになって、盗みの手引きをしたのではないか、と口さがないことを言う者すらあった。
養父氏との例の噂の件もあり、海上夫人が否定すればする程、ムキになるとはやっぱり怪しい、となり、警察からも疑いを掛けられる始末。
子供らも学校を休み、一歩も外へ出なくなっていた。
「子供たちが可哀想で可哀想で……」
老婦人は、後の言葉が続かない。
宍粟探偵は一通り、慰めの言葉を掛け、薔薇園亭を後にした。
薄らぼんやりとかすむ空へ、銀杏並木が新芽の点々と萌える枝を差し伸ばしている。
寒さも大分ぬるみ、日当たりのいい街路樹の根元では、早くも蒲公英が咲いていた。
宍粟探偵は、六花の裏口へ回った。
まだ昼の仕込みの時間で、表は閉まっている。
丁度、見習いの青年が、ゴミ出しに出てきた。女将と板長の知り合いだ、と告げると、奥へ声を掛けてくれた。
程なく、板長が出てきた。疲れ切った顔が、笑みの形に緩む。
「お久し振りでございます。この度は、大変なご災難で……」
「お気遣い、ありがとうございます。宍粟さんだから申しますが、ありゃぁどうも、ウチの女将が引きいれた奴の仕業に違いないんですよ。何だって、自分の店の金を盗ませるんだか……」
板長は、ほとほと呆れ果てたと言いたげに、首を振った。
「あの女将さんがですか?」
「今も、警察でお調べを受けてる真っ最中ですよ」
流石に声を潜める。
「女将さんが不在でも、お店をなさるんですね?」
「……物見高い一見さんが来ますんでね、ホントはお断りしたいんですが、盗られた分を少しでも挽回したいもんで……」
「それはそれは……板長さんも、大変ですねぇ。これは、お口汚しですが、気疲れしてる時には、甘い物がいいと聞きましたので……」
宍粟探偵が「お見舞い」の熨斗を付けた羊羹を差し出す。
板長は涙ぐみ、震える手で押し頂いた。
宍粟探偵は、上着のポケットから名刺を取り出し、熨斗に挟む。「宍粟探偵事務所 所長 宍粟杜保」の名と、事務所の所在地、略地図を印刷した物だ。
「警察が取り合ってくれない失せ物探しや人探し、その他、諸々の調査をしております」
「宍粟さん……犯人は多分、警察が追っかけてると思います。絵皿を見つけて下さい。この店に代々伝わる大事な大皿なんです」
宍粟探偵は、板長から絵皿の特徴を聞き取り、手帳に控えた。
八枚組の図柄で、四季の昼夜を表した古陶だ。
婚礼などの特別な会食の折に使う為、普段は大切に仕舞ってあった。値打ち通りの金が欲しければ、きちんと目利きのできる骨董屋か、好事家へ出すだろう。
「私も今、香炉を探してるんですよ。同じ方面の調査ですから、捗るでしょう。板長さんも、何かお気付きのことがありましたら、お知らせ下さい」
「はい、あっしの方でも、お客様や卸の方で、噂話やら拾っときます」
好事家=風流な趣味の人、物好きな人。