38.新年
仕事始めの日、灘記者が挨拶回りに来た。
年賀の菓子折を手渡し、型通りの挨拶の後、机上に広げた賀状を一瞥し、鼻を鳴らす。
「近頃は横着して、ハガキ一枚で済ます輩が増えたんですね」
「まぁ、そんなに言うもんじゃありませんよ。若いのに年寄り臭い。新しい時代って奴が来たと思えば、腹も立たないでしょう」
「新しい時代、ねぇ。逓信省が儲かるだけなんじゃありませんか?」
「これなんて、ご覧。天神府ですよ。遠路遥々、帝都まで来たんじゃ、船と汽車を乗り継いで、順調に行っても、四、五日掛かるところです」
「ふーん……便利なんですかねぇ?」
書生の有年がまだ帰省中で、宍粟探偵は手ずから、茶を淹れた。
「気持ちが伝わって、受取人の迷惑にならなければ、それでいいじゃありませんか」
迷惑と言う言葉に、灘記者は茶碗に伸ばしかけた手を止めた。
「あ、あの……その節は、どうも、誠に、その……」
「いえ、お構いなく。誰にでも誤りはあるもんです」
記事は宍粟探偵の調査の妨げになったが、同時に、追加調査も発生した。
禍福は糾える縄の如しと言う。一方的に責める気にはなれなかった。
「どの途、この流感で養父先生はお忙しいですから。有年君にも、帝都の状況が落ち着くまで、実家に居るように言ってあります」
「あぁ、それで居ないんですか」
灘記者の湯呑茶碗に茶を足し、宍粟探偵は聞いた。
「シロアリ盗賊団の方はどうなってます? 去年の秋以降、事件はないようですが」
「俺は担当じゃないんで、よくわかりませんけど、どこか別の奉公先を騙してる最中なんじゃありませんか? 早い所で三月、遅くとも半年以内に持ち逃げしてるそうですから」
「そんなに長い間居て、顔はすっかり覚えてるでしょうに、どうして捕まらないんでしょうね?」
「それを考えるのは、宍粟先生のお仕事なんじゃあ、ありませんか?」
皆目見当がつかないのか、灘記者は、質問を丸ごと投げ返した。
宍粟探偵は、対話することで考えをまとめようと思ったのだが、書生の有年が居ないので、灘記者を相手にしたかったのだ。
苦笑しながら説明すると、灘記者は赤くなって頬を掻いた。
「俺でよければ、お聞きしますよ」
「ありがとう」
シロアリ盗賊団は、その手口……被害者宅に住み込み、内側から密かに食い荒らすことと、人数が多いことから、帝都日日日報の葺合記者が付けた呼称だ。
窃盗団の首魁は不明。正確な人数すら不明。
盗られた後、使用人が一人居なくなって、初めてそれと知れる。
使用人の単独犯が、シロアリ盗賊団の犯行に数えられることもあれば、シロアリ盗賊団の犯行が、使用人の単独犯と看做されることもあり、被害の全容も定かでない。
これにより、使用人の口入れには、厳格な審査が課されるに至った。だが、その審査をもすり抜け、被害は続いている。
数カ月から半年もの間、奉公先に住み込んでいるのだから、家人は勿論、隣近所や近隣の商店にも充分、顔は知られている筈だが、一向に捕まらない。
警察の怠慢だ、と市井に怒りが募っている。
官憲も手を拱いている訳ではなく、巡邏を強化するなどしている。現に、宍粟探偵も不審者扱いを受けた。
堂々と懐内で働く盗人相手に、家の外を巡邏しても甲斐がない気もするが、いちいち新参の使用人を全て調査する訳にも行かない。
警察としても、お手上げなのだろう。
使用人が姿を消した時期と、金品を失った時期が一致する件について、その使用人の身元引受先や紹介状、人相書きなどの情報を基に追跡するが、杳として行方が知れない。
身元引受先は、大抵が「実家」で、帝都やその近在に在る下町の長屋。
口入れ屋も、新規制に従い、雇い入れの時にその「実家」へ手紙を出し、問合せるが、いずれも折り目正しい返事があった。
警察は、返事の手紙を押収しているが、筆跡はバラバラだった。
捜査の手が伸びる頃には、既にもぬけの殻か、別の家族が入居した後だった。
「その実家とやらが根城で、足がつかないよう、転々としているんじゃないかと思うんですよ」
「成程」
灘記者は有年の真似をして、余計な口は挟まず、相槌に徹する。
少なくとも二人は要る。
「実家」で家族のフリをし、返事をする係が一人、奉公先に侵入する係が一人。
返事の筆跡は、住職なり筆耕なりに「学がなくて返事ができない」と依頼すれば、簡単に他人の字が得られる。
頼まれる方も数が多く、数カ月も前の手紙は、いちいち覚えてなどいないだろう。
紹介状は、本人の申告と前の雇い主や推薦人の保証が必要だ。
いい加減な口入れ屋なら、紹介状をでっち上げたり、よくても自らが保証人になっている場合がある。
新規の雇い人ならば、前の雇用主は居ないので、その方法でも規制には引っ掛からないのだ。
そのような、ゆるい業者を選べば、わざわざ共犯に引き入れる必要さえない。
とうとう、堪え切れなくなり、灘記者が問いを発した。
「やけに詳しいですね。依頼を受けた事件でもないのに、どうしてです? 警察の手の内までご存じなんて……」




