37.反証
五日で調査を終え、報告書にまとめた。
六花の女将・海上夫人が自ら、良からぬ噂を流したことで、ほぼ間違いない。
その理由までは、わからない。
人々は様々な憶測をしているが、こればかりは本人に確める他ない。
素直に白状するとも思えぬが、どうしようもない。
その翌日、帝都日日日報に、反証の記事が掲載された。
証拠として、開国十年事業の留学者名簿の官報にも触れられている。
当時、養父医師はアルトン・ガザ大陸のバルバツム連邦、六花の女将は国内に居た。
二人の間には広大な鯨大洋が横たわっている。また、亭主の海上氏も健在であった。
海上氏の親類は、不義の子とされる次男の八鹿も、海上氏によく似ていると証言している。
海上家の男児は、薬指が目立って短い。海上氏もそうであったし、長男の但馬も次男の八鹿も、祖父、叔父、従兄弟に至るまで、皆、同じ手をしていた。
養父医師やその親類には、この特徴は見られない。
数々の証拠を列挙し、噂は根も葉もないデタラメである、と結んであった。
とんだ誤報だった訳だ。
灘記者はさぞかし、上役に叱られていることだろう。
宍粟は報告書と新聞を手に、養父邸へ向かった。
医院の方は、先日同様、患者ではなさそうな物見高い人々が詰めかけている。
往来のそこここで固まって話す人々は、躍起になって否定するのが益々怪しい、などと口さがない。
邸内に入ると、外の喧騒はぴたりと止み、静まりかえっている。女中に案内され、応接間へ入ると、ご隠居一人が待っていた。
「倅は医院、嫁は引き続き伏せっておる」
反証記事の反応は、望みとは反対方向のものが多いようだ。ご隠居の表情は、対面する宍粟探偵の胃が縮む程だ。
そっと報告書を差し出す。
ご隠居は、無言で受取り、黙読した。
読み終えて、一言、吐き捨てる。
「あの女狐めがッ」
海上夫人その人が、そこに居るかのように新聞を睨みつけた。
殺気の漲る目を宍粟探偵に向け、問う。
「この調べに相違ないな? よもや、あのボンクラ記者のようなことは、あるまいな?」
「噂の元を辿りましたところ、卸売市場に行き着きました。そこで、何人もが、六花の女将本人から聞いて驚いた、と言っておりました」
報告書には、仲間内の話の中から名前を拾い上げ、誰がどこで、どんな話を耳にしたかまで書いてある。
「ご苦労であった。この件については、倅と相談する。また、世話になるやも知れん。その時は頼む」
噂の発信源調査の費用は後日、経費等の一覧を持って改めて請求に来ることになった。
「双魚さんの件は、如何致しましょう?」
「今しばらく、様子を見よう。松の内が明ければ、人の関心も他へ移ろう」
養父氏の元々の依頼は、香炉の回収だ。
あれから、甘味処と薔薇園亭のような女学生が多く集まる場所で噂を拾ったが、余程口が堅いのか、香炉の話は出なかった。
宍粟探偵と書生の有年が語った話に尾鰭が少し付き、ちょっとした話のネタにされていることを確認するに終わった。
印暦二一一五年も残すところ僅かとなった頃から、流感が猛威を振るい始めた。
帝都はひっそりと息を潜め、葬列を見ない日はない。
養父医院は正月休み返上で尽力し、息つく暇もない。
宍粟探偵は幸いにして流感に罹ることもなく、細々とした依頼をこなし、日々を送っている。




