36.収集
卸売市場の昼食時が過ぎるのを待ち、改めて別の飯屋へ入った。
ここは八百屋系で、野菜と屑肉を煮込んだ物が、丼飯の上に盛られている。
宍粟探偵は、昨日の新聞を側へ置き、丼をゆっくりと口に運ぶ。
醤油の濃い味付けが食欲をそそり、二杯目になる丼飯も残さずいけそうだ。
お茶を足しに来たおかみさんに、隣の卓の男が冗談口を叩く。
「あんたんとこにゃ、六花みたいな旦那は居ねぇのか?」
「はははっ。私とあんな美人を一緒にしちゃ、女将さんが気の毒だよ」
おかみさんが愛嬌のある笑顔で躱し、奥へ引っ込む。
宍粟探偵は、隣の男に声を掛けた。
「それって、この件ですよね?」
記事を指差す手元を見て、男はニヤリと口を歪めた。
「何だ、新聞にまで出たのか。大事になったもんだ」
「跡継ぎが居ないってんならともかく、姦通罪なんてものができたこの物騒なご時世に、ちゃんとお子さんのある大先生がねぇ」
男の連れが、首を横に振った。
「お兄さん方は、新聞に出る前から、ご存じだったんですか?」
宍粟探偵の問いに男は胸を反らした。
「そらぁもう、ご存じも何も、ここらじゃ知らない奴を探す方が難しいさね。わざわざ一人で買付けに来た女将が、自分でポロッとバラしてったんだ」
「みんな、マズいと思って黙ってたんだがね、やっぱり、人の口に戸は建てられねェもんだから、とうとう、記者の耳にまで入っちまったんだろ」
連れの男は、恐ろしいモノでも居るかのように声を潜め、縮こまった。
宍粟探偵も、男に合わせて恐々、尋ねた。
「何だって、そんなこと、口滑らせてしまったんでしょうね?」
「秘密に堪えられなくなったんじゃねぇか?」
「あんた、ここらじゃ見ねぇ顔だが、どっから来なすったね?」
「人から頼まれて、探し物をしてまして……」
「へぇ、何探してんだい? 鮑の上物かい?」
「香炉です。持ち出された後、売り飛ばされた線を追って、あちこち古道具屋を回ってるんですが、なかなか……」
特に隠す用事でもないので、正直に話す。
「香炉かぁ……知らねぇなぁ」
「俺ら、ナマモノしか扱ってねぇからな。力になってやれんで、すまんね」
人の良さそうな二人は、宍粟探偵を気の毒がって見せた。
宍粟探偵は、礼を述べ、耳寄りな情報をと前置きして語った。
「いえいえ、私の方こそ、思いがけず面白いお話が聞けました。私が他所で聞いた話では、六花に援助している旦那さんとやらは、不義の子が産まれる前後数年、大陸へ渡っていて、一度も日之本帝国へ戻ってなかったそうなんですよ」
「そいつはホントのことかい?」
「確かな証拠でもあんのかい?」
二人が、初対面の宍粟探偵の話に、興味津々で食いつく。
「開国十年事業の官費留学だから、官報に名前と行き先と期間が出てるそうですよ」
宍粟探偵の説明に、二人は首を傾げた。
「それじゃ、確かに日数が合わねぇな」
「誰の子を先生の子だってんだろうな」
事情通の男が、連れに答えた。
「普通に考えたら、大将がピンピンしてた頃なんだから、大将の子だろう」
「他にも旦那が居るんじゃなければ、そうですよね?」
宍粟探偵もそれを追認する。
「女って奴ぁ、コワイもんだねぇ……」
二人は同時に首を振り、肩をすくめた。
場所を変え、談笑している人の輪に混じる。
香炉を探していることを切り口に、先程耳にしたのだが……と、六花の噂に話を持って行く。
一仕事終えた労務者たちは、皆、知っていた。
自分が耳にした話を、旦那が羨ましいだの何だのと、軽口混じりに語る。
この集まりが知っている噂は、帝大教授と料亭の女給系と、養父医師とカフェーの女給系だった。
七人中、五人は帝大教授と料亭の女給、二人が養父医師とカフェーの女給として噂を聞いていた。
宍粟探偵は新聞を見せ、官費留学の件を語った。
「何でぇ。そしたら、新聞も全部デタラメじゃねぇか」
「話が食い違うから、おかしいと思ってたんだよなぁ」
「大方、名前の似た誰かが、間違って伝わったんだろ」
「ヤブ先生……じゃあ、あれか? ヤギ先生か何かか」
「そんなこったろうなぁ。カフェーと料亭じゃ、どっちだと思う?」
「俺ぁ、カフェーだと思うな。スカートやら履いて、はっちゃけた女ばっかじゃねぇか」
「その辺は、まぁ、わかりませんねぇ」
宍粟探偵は適当に濁し、しばらく世間話に付き合った後、離れた。
同様に休憩を取る一団や、店先の縁台で将棋を指す者たち、その見物人らに混じり、噂を拾って回る。




