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彷徨う香炉  作者: 髙津 央


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35.丼飯

 夕飯の買出しをしながら、村岡酒店の女中が話を聞いたと言う店を回った。

 市場の話は、三系統あった。


 帝大の偉い先生が、料亭の女給と不義の子を成した。

 養父(やぶ)先生が六花(むつのはな)を援助するのは、六花の次男が先生の隠し子だから。

 帝大教授の養父医師が、カフェーの女給と不義を重ねている。


 千代草通(ちよぐさどおり)商店街や、帝大周辺の店でも、ほぼ同じ話が同時期に広まっている。誰かが故意に、少しずつ変えた話を流しているように思えた。

 魚屋と八百屋は、卸売市場で噂を耳にし、荒物屋(あらものや)と古道具屋は、客から聞いたと言う。


 翌日の昼前、宍粟(しそう)探偵は卸売市場へ向かった。

 年越しの用で、普段より取引が多く、人出も多い。


 魚河岸(うおがし)付近の一膳飯屋(いちぜんめしや)は、取引を終えた仲買人らでいっぱいだった。

 席を探す間も、周囲の会話に耳を傾ける。

 人でごった返す隙間を縫って歩き、諦めて出る直前、入口付近で空いた席に落ち着いた。


 仲買人や労務者が、海の幸をふんだんに盛った丼飯(どんぶりめし)を掻き込む。

 聞こえる会話は、魚の値や取引先の話、新型の漁船などが主だ。

 取引先の話の中で、六花(むつのはな)の噂も出るが、昨日の新聞ネタが元になっている話ばかりだ。


 人々はさっさと(どんぶり)を平らげ、次々と入れ替わる。長居できる雰囲気ではない。

 宍粟(しそう)探偵は、いつもより早い昼食を済ませ、飯屋を出た。


 店の前で順番を待つ人々が、雑談に興じている。

 「昨日の新聞? 話が遅いやなぁ。俺なんざ、女将本人から直に聞いたんだぜ?」

 「女将? 女将がこんなとこまで来んのかい?」

 「来たんだよ。半月程前に」

 「何しにだよ?」


 「そりゃ勿論(もちろん)、魚の買い付けだ」

 「仲買も通さずにか?」

 「板長だっているだろう?」

 退屈していた者たちが、話に食い付く。


 「女将はな、六花(むつのはな)で外国料理も出したくて、それ用にわざわざ人を雇ったんだとよ」

 「へぇ。村岡酒店の二の舞にならなきゃいいが」

 「勿論、板長が反対した。表立っては出せない」

 「そりゃぁ、そうだろうな」


 「で、一計を案じた訳だ。月に一回、板長にバレないように、特別な客だけを家にこっそり招待して、仕入れも自分で買付けに来て、外国料理を出してんだとよ」

 「味を見てもらって、評判がよければ、ホレ見たことかって、堂々と店でも出す気なのかい?」

 「まぁ、そんなこったろうなぁ。それまでは秘密で……って口止めしてなぁ」

 「お前さん、そんな秘密をベラベラ喋って大丈夫かい?」

 「旦那の件も、新聞に出たろ。もう構やしねぇ」

 女将から直接聞いたと言う男は、片手を振って笑った。


 「店の金で仕入れるとバレるから、旦那に別口で用立ててもらって、陰で外国料理の客を増やしてるんだとよ」

 「じゃあ、何かい、その旦那ってのが、新聞に載ってた偉い先生様なのかい?」

 「そう云うことだ」

 「あの板長は義理堅いお人だ。亡き大将の味を守り続けてたのに、こんなことが知れようもんなら……」

 新聞で読んだと言う男は、身震いした。


 順番待ちの列が進み、男たちの一団が飯屋へ入った。

 宍粟(しそう)探偵は思わぬ事態に、これをどう報告したものか、困惑した。

 もしこれが、記事を(もと)にでっち上げたホラではなく、真実なら、女将は我が子の将来を潰してまで、嘘を()いたことになる。


 何の目的があってこんな噂を流すのか、(はか)り兼ねた。

 ともあれ、情報源が六花(むつのはな)の女将、海上(うみがみ)夫人自身であることの裏取りを進めることにした。

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地図などは「野茨の環シリーズ 設定資料『用語解説17.日之本帝国』
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