34.記事
帝大客員教授、女将と不義の子を成す
中面の小さな記事だが、養父医師と六花の女将の件が、要点を押さえ、簡潔に書かれて在る。
巷の噂話として既に相当な範囲に広まっており、大学当局としても、養父医師に真偽を質す予定、と括ってあった。
記事はどうやら、大学関係者から聞き取って書いたものらしい。
署名は、灘記者だった。
ここ数日、姿を見ないと思ったら、こんなものを書いていたのだ。仕事熱心は結構だが、よりによってこんな時に、と思わぬでもない。
養父医院へ行くと、患者の他、物見高い人々が集まり、妙な熱気に包まれていた。
宍粟探偵は女中に案内され、養父邸の客間へ通された。
養父医師は出るに出られず、今日のところは、弟に医院を任せている。
「宍粟さん、丁度いい所へお越し下さいました。実は、もうお聞き及びかと存じますが、例の噂の出所を突きとめていただきたいのです」
「倅は潔白だ。海上家の八鹿君は十三歳。八鹿君の生まれる前後三年、大陸へ医学を学びに官費留学し、一度も帰国せなんだのだ。女将はずっと店に在った。まかり間違っても、不義密通なんぞ、できよう筈もない」
ご隠居は静かに怒りを滾らせ、養父氏は憔悴していた。
「大学と役場の書類と、海上さんの親類、八鹿君を取り上げた産婆に、それぞれ証言していただいて、おひさんには、訂正記事を出させる予定です」
養父氏は、額の汗を拭いながら、ポツリと言った。
「妻は寝込んでしまいましてね……」
「ご心労、お察し致します。香炉の調査中、私も聞き及びまして、図らずも、その方面の調査も、半ば進んでおります」
香炉を骨董屋妙見に持ち込んだ女は、複数の情報と、犯行の機会を考え合わせると、矢張り、渦中の人、六花の女将の可能性が高い。
予定が決まれば、妙見の双魚がここへきて、面通しに協力してもらえることを告げた。
「まぁ、この件について、色々お話したいことはありますが、今の時期にウチへお招き致しますと……その……」
養父氏は歯切れ悪い。
熱が冷めるまで、なるべく六花とは関わらぬが無難であろう。
「では、双魚さんには、また改めて……」
宍粟探偵が腰を浮かせかけるのを、ご隠居が呼びとめた。
「待たれい。こちらから妙見へ出向き、その者から直接、話を聞くことはできぬのか?」
「妙見さんにお伺いします」
宍粟探偵が、骨董屋の妙見でその話をすると、店主はいい顔をしなかった。
「お客さんとしていらっしゃるなら、まぁ……でも、うん、まぁ、今、アレですから、その……双魚さんが、先生のお宅へお伺いするんじゃ、いけませんかね?」
「心中、お察し致します。双魚さんのご都合は、宜しいんですか?」
「買い付けた品の整理も終わりましたんで、年内は大丈夫ですよ」
千代草区の養父邸へ取って返し、ご隠居に伝える。
「年末の慌ただしい時で、お店が片付いていないそうで、お店にお運びいただくのはちょっと……ですが、年内なら、双魚さんがこちらへお伺いするのは、大丈夫だそうです」
ご隠居は少し考え、答えた。
「おひさんの訂正記事が出て、その世間の反応によっては、儂もしばし、医院に出ねばならぬやも知れん。今しばらく、様子を見させてくれぬか」
「左様で……では、私の方では、噂の出所を調べて参ります。例の女性は、香炉に執着していて、手放しそうにないそうです」
厚い雪雲が天に蓋をし、薄日のひとつも射さない道を、何度も往復する羽目になった。
道々、人の噂話に耳を澄ます。
路傍で人の輪に混じり、自分も話に加わること数回。枝葉の違いから、誰が誰から聞いたのか、流れを辿る。
茶屋で休憩中の人力車夫に混じり、噂を否定する情報を流す。
「六花の次男坊は、今年で十三。養父先生は、バルバツムへ開国十年事業で三年間、官費留学していて、一度も戻ってないんですよ。勿論、女将はずっと店に出てましたから、遠路遥々、鯨大洋を越えるなんて……ねぇ」
茶屋の老婆が、口を挟む。
「開国十年……十月十日……あら、じゃあ、日が合わないねぇ」
「情夫は別に居て、カネが取れそうなところを、アテにしてんじぇねぇのか?」
車夫の一人の言葉で、下衆の勘繰りが何方向にも疑惑を広げ、養父医師への興味が薄らぐ。あちこちに飛ぶ話の頃合いを見て、宍粟探偵は更に言った。
「留学者名簿は官報に載ってますから、確かな証拠が残ってますが、全体、このお話の証拠は、どこにあるんでしょうね?」
「証拠?」
「坊やが、先生の隠し子だって言う、証拠」
「さぁなぁ? 顔が似てんじゃないのか?」
「両方に会った人、居ますか?」
宍粟探偵の問いに、集まった面々は首を横に振る。
「顔知ってる奴が、話してたんじゃないのか?」
車夫の一人が、同輩に聞く。
車夫たちは皆、首を横に振った。その内の一人が言う。
「お客から世間話で聞かされただけだ」
「あぁ、俺もだ」
「俺らの話は大体、お客から聞くもんな」
同輩が頷き返した。
世間話だから、根拠も何も要らない。唯の話のネタ。面白いか、人の気を惹くかどうかが全てだ。
「誰がこんな話、流したんでしょうね?」
「そいつは、先生から、カネ引っ張ろうってハラか?」
「評判がいいのが気に入らなくて、同業者がイヤがらせしてんのかもな」
「評判いいのかい?」
「大陸仕込みで最先端の偉い先生だぞ?」
「名前はヤブでも、藪医者じゃないのか」
車夫たちが冗談を飛ばし、どっと笑う。
宍粟探偵は茶を飲み干し、店を後にした。
妙見にご隠居の意向を伝え、下町の市場へ向かう。




