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彷徨う香炉  作者: 髙津 央


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34/61

34.記事

 帝大客員教授、女将と不義の子を成す


 中面の小さな記事だが、養父(やぶ)医師と六花(むつのはな)の女将の件が、要点を押さえ、簡潔に書かれて在る。

 (ちまた)の噂話として既に相当な範囲に広まっており、大学当局としても、養父医師に真偽を(ただ)す予定、と(くく)ってあった。


 記事はどうやら、大学関係者から聞き取って書いたものらしい。


 署名は、(なだ)記者だった。

 ここ数日、姿を見ないと思ったら、こんなものを書いていたのだ。仕事熱心は結構だが、よりによってこんな時に、と思わぬでもない。


 養父医院へ行くと、患者の他、物見高い人々が集まり、妙な熱気に包まれていた。

 宍粟(しそう)探偵は女中に案内され、養父邸(やぶてい)の客間へ通された。


 養父医師は出るに出られず、今日のところは、弟に医院を任せている。

 「宍粟(しそう)さん、丁度いい所へお越し下さいました。実は、もうお聞き及びかと存じますが、例の噂の出所を突きとめていただきたいのです」


 「(せがれ)は潔白だ。海上(うみがみ)家の八鹿(ようか)君は十三歳。八鹿君の生まれる前後三年、大陸へ医学を学びに官費留学し、一度も帰国せなんだのだ。女将はずっと店に()った。まかり間違っても、不義密通(ふぎみっつう)なんぞ、できよう筈もない」

 ご隠居は静かに怒りを(たぎ)らせ、養父氏は憔悴(しょうすい)していた。


 「大学と役場の書類と、海上さんの親類、八鹿君を取り上げた産婆に、それぞれ証言していただいて、おひさんには、訂正記事を出させる予定です」

 養父(やぶ)氏は、額の汗を拭いながら、ポツリと言った。

 「妻は寝込んでしまいましてね……」


 「ご心労、お察し致します。香炉の調査中、私も聞き及びまして、図らずも、その方面の調査も、半ば進んでおります」

 香炉を骨董屋妙見(みょうけん)に持ち込んだ女は、複数の情報と、犯行の機会を考え合わせると、矢張り、渦中の人、六花(むつのはな)の女将の可能性が高い。


 予定が決まれば、妙見の双魚(そうぎょ)がここへきて、面通しに協力してもらえることを告げた。

 「まぁ、この件について、色々お話したいことはありますが、今の時期にウチへお招き致しますと……その……」

 養父氏は歯切れ悪い。


 (ほとぼり)が冷めるまで、なるべく六花(むつのはな)とは関わらぬが無難であろう。


 「では、双魚さんには、また改めて……」

 宍粟(しそう)探偵が腰を浮かせかけるのを、ご隠居が呼びとめた。

 「待たれい。こちらから妙見へ出向き、その者から直接、話を聞くことはできぬのか?」

 「妙見さんにお伺いします」


 宍粟(しそう)探偵が、骨董屋の妙見(みょうけん)でその話をすると、店主はいい顔をしなかった。

 「お客さんとしていらっしゃるなら、まぁ……でも、うん、まぁ、今、アレですから、その……双魚(そうぎょ)さんが、先生のお宅へお伺いするんじゃ、いけませんかね?」

 「心中、お察し致します。双魚さんのご都合は、(よろ)しいんですか?」

 「買い付けた品の整理も終わりましたんで、年内は大丈夫ですよ」


 千代草区(ちよぐさく)の養父邸へ取って返し、ご隠居に伝える。

 「年末の慌ただしい時で、お店が片付いていないそうで、お店にお運びいただくのはちょっと……ですが、年内なら、双魚さんがこちらへお伺いするのは、大丈夫だそうです」


 ご隠居は少し考え、答えた。

 「おひさんの訂正記事が出て、その世間の反応によっては、(わし)もしばし、医院に出ねばならぬやも知れん。今しばらく、様子を見させてくれぬか」

 「左様(さよう)で……では、私の方では、噂の出所を調べて参ります。例の女性は、香炉に執着していて、手放しそうにないそうです」


 厚い雪雲が天に蓋をし、薄日のひとつも射さない道を、何度も往復する羽目になった。

 道々、人の噂話に耳を澄ます。

 路傍で人の輪に混じり、自分も話に加わること数回。枝葉の違いから、誰が誰から聞いたのか、流れを辿る。


 茶屋で休憩中の人力車夫に混じり、噂を否定する情報を流す。

 「六花(むつのはな)の次男坊は、今年で十三。養父(やぶ)先生は、バルバツムへ開国十年事業で三年間、官費留学していて、一度も戻ってないんですよ。勿論(もちろん)、女将はずっと店に出てましたから、遠路遥々、鯨大洋(げいたいよう)を越えるなんて……ねぇ」

 茶屋の老婆が、口を挟む。

 「開国十年……十月十日(とつきとおか)……あら、じゃあ、日が合わないねぇ」

 「情夫(イロ)は別に居て、カネが取れそうなところを、アテにしてんじぇねぇのか?」


 車夫の一人の言葉で、下衆(ゲス)の勘繰りが何方向にも疑惑を広げ、養父医師への興味が薄らぐ。あちこちに飛ぶ話の頃合いを見て、宍粟(しそう)探偵は更に言った。

 「留学者名簿は官報に載ってますから、確かな証拠が残ってますが、全体、このお話の証拠は、どこにあるんでしょうね?」

 「証拠?」

 「坊やが、先生の隠し子だって言う、証拠」

 「さぁなぁ? 顔が似てんじゃないのか?」

 「両方に会った人、居ますか?」

 宍粟(しそう)探偵の問いに、集まった面々は首を横に振る。


 「顔知ってる奴が、話してたんじゃないのか?」

 車夫の一人が、同輩に聞く。

 車夫たちは皆、首を横に振った。その内の一人が言う。

 「お客から世間話で聞かされただけだ」

 「あぁ、俺もだ」

 「俺らの話は大体、お客から聞くもんな」

 同輩が頷き返した。

 世間話だから、根拠も何も要らない。唯の話のネタ。面白いか、人の気を惹くかどうかが全てだ。


 「誰がこんな話、流したんでしょうね?」

 「そいつは、先生から、カネ引っ張ろうってハラか?」

 「評判がいいのが気に入らなくて、同業者がイヤがらせしてんのかもな」

 「評判いいのかい?」

 「大陸仕込みで最先端の偉い先生だぞ?」

 「名前はヤブでも、藪医者じゃないのか」

 車夫たちが冗談を飛ばし、どっと笑う。


 宍粟(しそう)探偵は茶を飲み干し、店を後にした。

 妙見(みょうけん)にご隠居の意向を伝え、下町の市場へ向かう。

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地図などは「野茨の環シリーズ 設定資料『用語解説17.日之本帝国』
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