33.甘味
今のところ、近隣の店へ売りに出された様子も、寺院に預けられた様子もない。
手に入れた人物が、まだ持っているのだろうか。
宍粟探偵は料亭六花を通して、海上家とは接点がある。
お見舞いなり、お参りなり、口実を設けて家へ上がることまでは、可能だ。だが、厠を借りるフリをして、家捜しするのは、限度がある。
村岡家とも顔見知りではあるが、家へ上げてもらう口実が見つからない。
日高家、出石家とは、その接点すらない。
……子供から聞き出すか。
香炉が夜歩くとなれば、気付かぬ筈がない。
母親が盗った場合、口止めするにしても、まさか盗品と知れては具合が悪いからなどと、本当の理由は言えまい。
何とか言い含めたとしても、そんな珍事があれば、語りたくなるのが人情だ。
ましてや、多感な年頃の少女のこと。親友に「ここだけの話」として、身の上に起こった怪異の恐怖と、その対策について、相談のひとつも持ち掛けるだろう。
宍粟探偵は、「ここだけの話」が「ここ」だけに留まった例を知らない。
娘が持ち出した場合でも、罪の重さと怪異の恐ろしさに、誰かに相談せずには居れぬだろう。親に知られれば、勘当されるやも知れぬ。
相談相手は十中八九、同年代の親友だ。
いずれにせよ、怪異は個人名を伏せた上で、周囲に語られる可能性が高い。
宍粟探偵は、一日の授業が終わる頃合いを見て、書生の有年を連れだした。
目的地は、甘味処である。
甘味処さくら庵は、女学校正門の斜向かいに位置する。今日も学校帰りの女学生でいっぱいだった。
宍粟と有年。
不惑を越えた白髪交じりのおじさんと、風采の上がらない書生の青年は、乙女の花園で、大いに浮いていた。
「いや、もうすっかり冬だねぇ」
宍粟探偵が椅子の背に外套を掛け、手袋と襟巻を取りながら言う。有年は釣鐘マントを脱ぎながら、こくりと頷いた。
注文を取りに来た女給に、宍粟探偵が「ぜんざいふたつ」と告げ、席に着く。
女学生たちは寸の間、お喋りを止め、二人を観察していたが、この闖入者は別段、害がなさそうだと判断したのか、仲間内の話を再開した。
「それで君、魔道学部ってあれかい? 魔法だけじゃなくって、怪異も研究するのかい?」
ほうじ茶の湯呑で掌を温めながら、宍粟探偵は周囲に聞こえるように言う。
こちらをチラリと見遣り、気味悪そうに眉を顰める少女、興味津々で聞き耳を立てる少女、自分たちのお喋りにも夢中な少女……店内の反応はまちまちだ。
予め打ち合わせてあった通り、有年は声に出して肯定した。
「はい」
「じゃあ、昔からよくある、百鬼夜行やら、狐狸の類が化かすやら、付喪神やらも、研究対象なのかい?」
「はい。現象と妖魔を分類、体系化して、対策や活用方法などを調べる分野があります」
得意分野の話だからか、書生の有年は、いつになく饒舌だった。
宍粟探偵は本当に驚き、思わず声を上げた。
「活用方法ッ? 分類と対策はともかく、夜な夜な踊り狂う火箸や、歌う茶釜や歩く香炉なんて、何に使えるんですか?」
「さぁ?」
「さぁって……? いや、失敬、驚いたもので、つい。しかしねぇ、そんな物、気味悪くって、本来の用途にだって、使えやしないでしょう?」
「だから、別の使い途を探るんです」
少女らの注目に気付かないのか、有年はさらりと言ってのけた。
「別の使い途ったって、あんなの、どうするんです?」
「それは、モノに依ります」
「歩く香炉が何の役に立つんです? 呼べば来るなら、便利かも知れませんが……」
「元の器物じゃなくて、付喪神の性質や、能力に依りますね」
首を捻る宍粟探偵を相手に、有年は活き活きと語った。次第に声にも張りが出て、いつもより大きくなる。
「例えば、間諜ですね。人間が付喪神を自在に使えて、それが正直に語るなら、タダの物のフリでどこかへ置いて、盗み聞きさせることが可能です」
「そんなことが、本当にできるのかい?」
宍粟探偵は、心底驚き、純粋な気持ちで聞いた。
「魔法文明圏では、小さな魔物や小動物を一時的に支配して、そうやって使ったり、伝言やお使いをさせたりするそうです。それを『使い魔』と呼んでいます」
「へ……へぇ……魔法使いってのは、油断も隙もないんだねぇ……」
「みんながみんな、使い魔を使役する訳じゃありませんけどね。籠の付喪神が自分で歩くなら、買物も楽でしょう」
「そんなの、みんな、びっくりしますよ」
ぜんざいを置きながら、女給が笑った。
今更、注目を浴びていることに気付き、書生は一心にぜんざいを吹き冷ました。
宍粟探偵の目的は、少女たちに時ならぬ怪談を聞かせることだ。
最初から、ここで怪しい香炉の噂話を拾えるとは思っていない。
これを糸口に話が始まれば、と自分も時間を掛けてぜんざいを味わう。
今日、この場で話が出ずとも、いずれ、女学校の教室なり、行きつけの他の店なりで、話が漏れる可能性がある。
薔薇園亭や他の甘味処でも、同様の網を張った。
翌朝、宍粟探偵は、新聞の紙面で踊る見出しに肝を潰した。