30.噂話
「相変わらず、どこの誰だか言わなかったし、他人ちの物、投げ壊しときながら、詫びの一言もなし」
「それは、とんだ災難で……我が国の同胞が、ご迷惑をお掛けしまして……」
「いや、いいよ。あんたは何も悪くない。ここに限らず、どこにでも、あの手合いは居るもんだ」
箸を置き、頭を下げた宍粟探偵に、双魚は顔を上げさせた。
「こっちこそ、長々と愚痴聞かせちまって、悪かったな。すまない」
「いえ、こちらこそ、参考になりました。香炉の手掛かりが掴めましたから、調査が進みそうです。ありがとうございます」
亡き夫から店を引継いだ女主人。女中や見習いが居る。
業種は不明だが、それなりの店だ。
子が何人かあり、跡取り息子を病で亡くした。次男も病で、今、危険な状態。
カナリヤが死んだことと、壺や着物がダメになったことは、近所でも愚痴を零しているだろう。
宍粟探偵は、双魚に香炉の見立てについて、養父医師に説明してくれるよう、頼んだ。
双魚は快く引き受け、説明の日取りは、後日、改めて相談することにし、別れた。
薔薇園亭の女主人に、カナリヤと家宝の壺を失った話を聞きに行く。
道々、他の商店でも噂を拾う。
村岡酒店で葡萄酒を一本買い、先日の品が先方に大層喜ばれた礼を言う。そのついでに世間話として、カナリヤと家宝の壺の話を振ってみた。
たまたま、店に出ていた奥さんが話に乗って来た。
「あぁ、それ、海上さんとこですよ。今日、洋裁教室でご一緒した時に、深雪ちゃん……娘さんが塞いでましたよ。可愛がってたカナリヤが死んじゃったってね」
「あぁ、それはお気の毒に。ここしばらくの寒さにやられたんでしょうか」
村岡の奥さんは、いかにも気の毒そうな声音で話を続けた。
「さぁねぇ。可哀想に。……奥さんは奥さんで、女中が家宝の壺を割ってしまって、どうしたもんでしょうって、悩んでらして……悪いことって重なるものなんですねぇ」
眉根を寄せ、気の毒がって見せるその口元は、引き攣れて幽かに歪んでいる。
「壺が割れても、怪我がなかったなら、不幸中の幸い。それはそれで、日頃の行いが良かったからなんでしょうね」
宍粟探偵は、ありきたりの慰めを口にして、村岡夫人の反応を見た。
夫人は真顔になり、声を潜める。
「日頃の行い……まぁ、あんまりこんなことを申し上げてはアレですが、海上さん、あまりいいお話を聞きませんし……」
「どんなお話ですか?」
「私が喋ったって、言わないで下さいましね。私も、他所で小耳に挟んだだけなんですから……」
村岡夫人は言い訳めいた前置きをし、つい最近、仕入れたばかりの醜聞を語った。
料亭六花は、養父医院の援助で安定している。
養父氏が支援するのは、六花の次男が我が子だからだ。
女将と養父医師は、六花の亭主の存命中から関係していた。亭主亡き後は、息子の為に養育費や店の資金を惜しみなく与えている。
その証拠に、接待や会合には、必ず六花を使っている……と言う噂だった。
宍粟探偵は、面食らった顔で聞いた。
「私も商社に居た頃は、よく利用していましたが、それだけで、そんな目で見られてしまうもんなんですか?」
「さぁ? 私も、人から聞いただけですから、ちょっとよくわかりません」
呆れる宍粟探偵に、村岡夫人は首を捻った。
「六花の息子さんには、お会いしたことがありませんが、そんなに養父先生と似てるんですか?」
「う~ん……私は、別に似てないと思いますけど……ねぇ」
「養父先生には、以前、診ていただいたことがありますけど、そんな……実直そうな御仁に見えましたけど……」
探偵へ依頼を説明する最中にまで、惚気話を始めるような人物が、不義の子を成すものだろうか。
村岡夫人も、養父医師に惚気話を聞かされたことがあるのか、首を傾げる。
「私も、愛妻家でいらっしゃるように思いましたけどねぇ……今日も、養父先生の奥様や、六花の海上さんとお茶してたんですけど、とてもお二人の間に何かあるようには……」
「六花が巧くいっているのを妬んで、根も葉もない噂を流されているんでしょうかね? 評判を落とす為に……」
「さぁ……? 私も、人から聞いただけですし……」
宍粟探偵は、番頭にも聞かせるように、やや声を大きくした。
「私も、今、独立して仕事をしておりまして、接待に使おうかと思ってたんです。十年も間が開きましたし、大将も亡くなって、味や評判がどうかと、気にしてたんです。そのお話、詳しく知りたいんで、差し障りなければ、奥さんに知らせてくれた方を、紹介して下さいませんか?」




