03.探偵
宍粟探偵は、この道十年。
開国後しばらく、商社に勤めていたが、思い切って辞め、三十代で開業した。
お世辞にも儲かっているとは言えないが、商社時代よりずっと、毎日が充実している。
宍粟探偵は、難問だと思ったが、すぐに思い直した。
……奥様方に直接、尋ねたところで、泥棒が正直に「私の仕業です」などと白状する筈がなし。外側から、地道に調査を進める他あるまい。
「養父先生、件の香炉の絵図か写真はありませんか?」
写真は近年、アルトン・ガザ大陸から渡って来た新技術だ。
景色や人や物の姿をありのままに銀板へ写し取る。
この新しい機械は非常に高価で、また、扱いも難しい。専門の技術を身に着けた写真屋で撮ってもらうのは、主に特別な折の家族写真や、特別な品などだ。
「残念ながら、写真はありません。氷ノ山の主人にも聞いてみて下さい。私の下手糞な絵より、文章で特徴を控えるのが宜しいでしょう」
先に聞いた特徴は、既に万年筆で手帳へ認めてある。
宍粟探偵は、それを読み上げ、相違ないか確認した。
真鍮製、大きさは鶏卵程度、重さは文鎮の半分程度、全体に植物の意匠が施され、上部は花模様、猫足は蔦。
「それと、香炉ですから、蓋を外すと、中に蕾をくり抜いたような、香立てがあります」
香炉を購入したのは、半年前の印暦二一一五年六月五日。
場所は、骨董屋氷ノ山。
紛失したのは、三日前、十二月二日午後。
お茶会に来た面々は、養父氏の奥方に聞かねばわからぬと言う。
宍粟探偵はひとまず、最後に目撃された養父邸の予備の客間を検分することにした。
二人揃ってコートを纏い、事務所のある路地を抜け、大通りへ出た。
養父氏が、早い方がいいでしょう、と宍粟探偵の分も運賃を支払い、ちょうど通りかかった乗合馬車に乗った。
銀杏並木が、ずっと昔からそこに在ったような顔で、黄色い葉が僅かに残る枝を、鈍色の空へ差し出している。
並木道は、探偵事務所のある糸橋区から、千代草区にまで続いていた。
二人は、千代草区内で最も大きい商店街の手前で、馬車を降りた。石畳が敷かれた通りをしばらく歩き、昔ながらの街並へ入る。
「今日は、医院を閉めて来られたんですか?」
「いえ、助手……弟に任せてきました」
「ほう、ご兄弟お揃いでお医者様ですか。優秀なお血筋なんですねぇ」
道々、そんな事を話しながら案内された先は、立派な構えの屋敷だった。
門扉の上に、松が形の良い枝を差している。黒光りする燻瓦の下、さっそく、件の客間へ通された。
十畳のさっぱりした和室だ。
小さな床の間があり、ふくら雀の軸が掛かっている。他は、座卓のみ。室内には、香炉が身を隠せるような場所はない。
障子を開けると、先程の松が見えた。
寒い時期だ。来客中、障子を開け放つこともなかろう。
養父氏が言うように、来客の荷物に紛れたか、或いは……
「お茶を片付ける時、一緒に仕舞ったと言うことはありませんか? お子様が悪戯に座卓へ置いたのを、うっかり……」
「勿論、それも考えて、家内と女中が見ておりました。私も後で確認しました」
「成程……荷物……お稽古と言うのは、何でしょう?」
宍粟探偵の問いに、養父氏は誇らしげに答えた。
「洋裁です。去年、ムルティフローラの王女殿下が、本邦の高官へ降嫁なさったでしょう。うちの娘が、新聞で御成婚のお写真を拝見しましてね。ドレスを作りたいと言い出したんですよ」
「着たい……ではなく、作りたい、ですか。それはまた、壮大な目標で……」
親子揃って、進取の気風を持っているらしい。
成程、父の養父氏も、娘を誇りたくなると言うものだ。
「まぁ、最終目的は、自分が着ることですがね。お店にないなら、自分で作る、と、こう言うんですよ。家内も一緒に習って、二人して小間物やらなんやら、拵えております」
「それで、裁縫道具に紛れると、わからないのですね」
「お茶会……当人たちは勉強会と称しておるようですが、お稽古の帰りに家へ寄って、お教室で拵えた物を見せあって、あぁでもないこうでもないと、裁縫談義をしておるそうです」
「ほう、勉強熱心で、結構なことですね」
「なぁに、すぐに話があっち飛びこっち飛びして、結局はタダのお茶会になると申しておりましたよ」
養父氏は笑った。
道具と作品を広げて話していたなら、その中にこっそり紛れ込んでも、気付かれ難いだろう。
香炉が自ら入ったか、人の手で入ったかは、また、別の話だ。