28.来襲
宍粟探偵は午後から、下町の古道具屋を訪れた。
区画整理前のこの町には、小さな家や長屋が犇めいている。通りの両脇には、昔から続く庶民向けの店が連なっていた。
薬罐や火鉢などの日用品を扱っている。
客のフリをして店内をじっくり見て回り、香炉を探す。
この店には、そんな贅沢品はないようだ。
店番の老婆は、火鉢の前で居眠りをしている。
そっと出て行き、次の店をあたる。
二軒、三軒と古道具屋を梯子する。
店番のおかみさんに威勢よく声を掛けられ、香炉を探している旨を伝える。
「蚊遣りの? 時期が早過ぎるけど、何すんの?」
「何って、お香を焚くんですよ。ありませんか?」
「今はないねぇ。梅雨前にまたおいでよ、仕入れとくからさ」
「ありがとう。急ぐので、他をあたります」
また次の店では、店主と客が噂話に夢中だった。香炉を探しながら、耳を傾ける。
「じゃあ、何だね、十何年も前の隠し子が、今頃になってわかったのかい?」
「そうみたい。女将の長男は亭主の子だけど、亡くなって、次男を後継ぎにしようとしたんだけど、実はこの子は……って」
「黙ってりゃいいのにねぇ。今更、何だってまた……」
「そりゃ、その道ならぬ方の旦那が、偉い人だから、料亭を継がせるよりそっちの方がいいんでしょ」
「親がアレだと、子が不憫だねぇ」
店主の老婆が、不義の子に同情を寄せる。
客のおかみさんは、湯呑を手に力説する。
「どうだか。案外、ええとこの坊とわかって、喜んでるかもよ? 高名なお医者さんだから、跡継ぎにはなれなくても、何某かのものは、ねぇ?」
不義の子、医者、料亭の女将。
今朝の噂話でも耳にした要素に耳をそばだてたが、話は子の幸せから、菓子や飯のおかずに飛び、不倫の噂話へ戻ることはなかった。
話の切れ目で香炉の有無を問い、手ぶらで店を出た。
その後も、幾つか同様の店を回り、帝大近くの通りまで出た。
やや遅い昼食に、蕎麦屋の暖簾を潜る。
思いがけない先客がいた。骨董屋妙見の魔法使い、双魚だ。
箸を使いこなし、掛け蕎麦を手繰っている。
他に空席はあるが、宍粟探偵は相席を申し込んだ。
双魚は蕎麦をすすりながら、首を縦に振った。
「あれから、日用品を扱う古道具屋まで回ってみたんですよ。でも、なくて……」
「あんた、あの香炉を知ってんのか? こないだ、やけに細かく特徴を言ってたよな?」
双魚が漬け物を摘まんだ箸を向け、宍粟に疑念をぶつけた。
「詳しいことは、事情があって言えないんですが、私はある人に頼まれて、その香炉を探してるんです」
「そうだったのか。あの女、また来たんだ。店長が追い返してくれたがなぁ……」
双魚は、後から店長に聞き出したことも合わせて、語った。
女は妙見に入るなり、店主に食ってかかった。
「あの嘘吐きの魔法使いをお出しなさい! 出さないと、詐欺で官憲に訴えてやりますからね!」
「奥さん、藪から棒に、何をおっしゃるんです?」
「あの魔法使いは、呪いなんてないって言いましたけどね、今度は次男坊も危ないんですよ。全部、あの香炉がウチへ来てからなんです」
店表で騒がれると商売に障る。
店主はやんわりと奥へ促した。
店を女房に任せ、双魚を呼ぶ。
女が、掴みかからんばかりに食ってかかるのを押し留め、穏便な言葉に緩和して通訳し、仲介する。
包みを解き、風呂敷越しに香炉を掴んで、女は言った。
「この香炉は夜中に動いて、箱に仕舞っても、朝には出てるんです」
「前も言ったが、中に雑妖が入ってるからな」
双魚はついでに女の様子も視たままに語った。
女の両腕は、鳥の目玉に似た小さな妖魔がぎっしり群がり、さながら蛙の卵のようだ。肩や頭にも、形の定かでない種々雑多な雑妖が集っている。
昼間からこんな有様なのは、これらが全て、この女が発する「陰の気」を啜っているから、日の光の下でも、消えずに存在できるからだ。
店主は、これを訳さず、香炉の中身だけを伝えた。
「だったら、さっさとお祓いしなさいよ。香炉の呪いのせいで、総領息子が取り殺されたんですよ。この上、次男坊まで……」
「この香炉には、呪いなんて掛かっちゃいない。呪いだとしても、俺は【舞い降りる白鳥】じゃないから、解くことはできん」
店主が【舞い降りる白鳥】をどう訳せばいいか、聞いた。
双魚は、【舞い降りる白鳥】は、魔術の学派のひとつで、術の解析や呪いの解除を専門としている、と補足した。
「魔法にも色々流派があって、この人は、呪いを解く流派じゃないから、できないんですよ」
「嘘吐き! 魔法使いなんだから、できるに決まってるのに! 性悪なこと言って、私がもっと苦しめばいいと思ってるんでしょ!」
女は、店主の説明を一蹴した。
店主が困惑しながら、女の言葉をそのまま訳す。
双魚はほとほと困り果て、前回と同じ説明を繰り返した。
「どう言う理屈だよ? あの香炉は、小さい化け物が取り憑いてるだけで、あいつに人を取り殺すような力はない。呪いがあれば、あんな雑魚は入り込めないからな。病気はタダの偶然だ」
「偶然なもんですか! うちの子が病気になっただけじゃないの! カナリヤが死んだのも、女中が粗相して家宝の壺を割ったのも、一番高い紬に泥が跳ねて、洗い張りに出したのに落ちなくて、台無しになったのも、お店でお客さんが倒れて、とんだ騒動になったのも、指を切った見習いが熱を出して、ずっと休んでるのも、全部呪いのせいよ! 呪いじゃなけりゃ、何だって言うのよ!」
女は殆ど息継ぎもなしに、振りかかった不運を並べ立てた。