21.双魚
「失礼ながら、ご婦人が帰った後、塩を撒いてお清めもしましたからね。あんな物……お止しになった方が宜しいですよ」
店主は、我が身を抱くように肩を撫でさすった。
鶏卵大で、夜な夜な歩く香炉。ほぼ、これで間違いないだろう。
同じような怪異が、ふたつもみっつもあるとは思えない。思いたくもない。
念の為、更に聞く。
「歩くったって、生身の足は付いちゃいないでしょうに。香炉なら焼き物か金物でしょう。そんな硬い足で、どうやって歩くんです?」
「どうったって、私もこの目で金物の香炉が歩くのは、見ちゃいませんがね、あの人の言うことだから……」
「あの人……と仰いますと?」
「ウチで雇ってる外国人です。その筋のモノも目利きできますから、間違いありません」
「見鬼なんですか?」
「えぇ、まぁ、大陸出身の魔法使いですよ。お上の許可をいただいて、ウチで働いてもらってますんで」
「信頼できる、ちゃんとした方なんですね。どう言う人なのか、一度お目に掛かりたいものですが……」
会って、香炉にどんな見立てをしたのか、確認したい。
店主は、宍粟探偵の反応に気を良くしたのか、明るい声で言った。
「ウチに居る双魚さんは、話してみると気のいい人でして……お芝居の影響か、魔法使いを化け物扱いする御仁も多いですがね、あの人たちは、魔法が使えるってだけで、私らと変わらない、タダの人間ですよ」
「ほう……そりゃ、ますます、お話してみたいですねぇ」
「今なら奥に居りますよ。旦那はお時間、宜しいんで?」
「私は大丈夫ですよ」
店主は奥へ声を掛け、雇い人の魔法使いを呼んだ。
宍粟探偵と同年代、四十代半ば程の男が出てきた。
髪と瞳は焦げ茶。顔立ちは、芥子菜族に似ている。
芥子菜族は、日之本海を挟んだ西に位置する、チヌカルクル・ノチウ大陸の東部に多く住む民族だ。日之本帝国の民ともよく似ている。
民族衣装なのか、複雑な紋様の入った衣服を纏っているが、どこの物かわからない。少なくとも、芥子菜族のものではない。
店主が、たどたどしい東方語で、このお客さんが話をしたいと言っている、と伝えた。東方語は、ゲオドルム共和国などチヌカルクル・ノチウ大陸東部で話される言葉だ。
「あぁ、東方語なんですか。それでしたら、私もわかりますよ」
宍粟探偵が、流暢な東方語で言う。
店主は愛想笑いを浮かべ、二人から離れた。丁度、他の客が入って来たところだ。
「初めまして。宍粟と申します。私も以前、商売でゲオドルムに行ったことがあるので、言葉はわかります。ゲオドルムの方なんですか?」
「うーん、どうだろうな? 俺自身の生まれは、大陸のずっと西、ラキュス湖南地方のセリア・コイロスって国だが、先祖は、今、ゲオドルムがある辺りの出なんだ。先祖が住んでた頃は、アルンディナ王国って言ってたらしいがね」
初めて耳にする国名だ。
「ラキュス湖……大陸の西の端から、極東の島国まで、遠路遙々……」
チヌカルクル・ノチウ大陸をほぼ横断する、途方もない大移動だ。魔法使いにとっては、なんでもない距離なのか。
宍粟探偵は当初の目的を思い出し、気を取り直して質問した。
「何とお呼びすれば宜しいですか?」
「家紋は大釜、俺個人の呼び名は、双魚だ。好きに呼んでくれ」
大陸の魔法使いは、「大釜」「双魚」を日之本帝国語で言った。
魔法文明圏には、本名を名乗る習慣がない。
魔法使いは、呼び掛ける為の名を別に持っている。誰を指しているかわかればいい為、身体的な特徴や、職業、生まれ日の星などで呼ぶことが多い。
宍粟探偵は商社時代、取引先の魔法使いとの契約の折、本名を求め、立腹させてしまったことを、昨日のことのように思い出した。
「実は、あなたが最近視たと言う、香炉のことをお尋ねしたいのですが、差支えなければ……」
「香炉? どんな?」
「鶏の卵程の大きさで、金属の……植物の装飾の付いた香炉です」
店主が口にしなかった特徴も言い添える。
双魚はすぐに思い出した。
「あぁ、あれか。あんなモノが欲しいのか? やめときなよ」
「何故です?」
「雑妖が憑いてるんだ。元々纏わりついてた邪念に魅かれたんだろうな。中に入ったはいいが、邪念に取り込まれてる。邪念が、元居た場所に帰りたがって、雑妖を使って歩き回るんだよ」
……元居た場所……形見の香炉は、武家の令嬢を恋しがっているのか。
宍粟探偵は、魔法使い双魚の説明に薄ら寒くなった。




