20.妙見
帝国大学の構内を歩きながら考える。
銀杏並木はすっかり葉を落とし、足下で黄色い葉がカサカサと音を立てた。
呪符は使い捨てで、一枚が事務所の家賃三カ月分にもなる。
事務所の資金は潤沢ではない。本当に付喪神だったとしても、呪符が不要だとわかったことに安堵する。
香炉は、元の持ち主が呼び戻したのではない。
金に困って母の形見のような香炉まで売ったのだ。高価な呪具を手に入れることは、考えられない。
来客の荷物に紛れたか、来客の誰かが、故意に持ち帰ったか。
荷物に紛れたなら、気付いて連絡のひとつも寄越すであろう。
故意の可能性が高い。
目的は何か。
カネ目当てか。
香炉その物が欲しくなったか。
困らせてやろうと言う悪戯心か。
何らかの恨みでもあるのか。
来客の内、村岡家と日高家は資金繰りが苦しく、カネ目当てなら、一応の動機はある。養父家の余裕ある暮らしぶりに嫉妬し、つい発作的に……と言うことも考え得る。
海上家は、亭主こそ亡くなったものの、料亭六花の経営は、まずまずと聞いた。出石家の薬店も順調。
カネ目当ての可能性を当たる為、帝大近くの骨董屋へ、足を向けた。
骨董屋妙見は、帝大前の大通りを少し入ったところに在った。
店構えは、開国前からの伝統的なものだが、店内には舶来品が所狭しと並んでいた。
陶器、絵画、小型の家具、飾り棚の中には装身具。
薔薇園亭から少女趣味を差し引いたような、落ち着いた品揃えだ。
店内を一通り見て回ったが、養父氏の香炉らしきものは見当たらない。この国で開国前に作られた物は、扱っていないようだ。
「どういった品をお探しで?」
店主が愛想良く聞く。
「うん。香道で使う香炉……小ぶりのが欲しいんですが、ここは扱ってなさそうですね」
「へぇ。五、六年前に思い切って、舶来品をやってみることにしまして、在庫は同業の者へ譲りましたもんで……香炉なら、氷ノ山さんに大分、お譲りしましたよ。まだ、あるかわかりませんが……」
「氷ノ山へは、もう行ったんです。大きいのばかりでしたよ。鶏の卵くらいのがあれば、ひとつ欲しいんですけどね」
申し訳なさそうな店主に、宍粟探偵は言った。
店主の顔から表情が消え、改めて宍粟探偵の姿を見る。
「丁度良さそうな品に、心当たりがあるんですか?」
「見せてはいただきましたが、ウチでは引き取りませんでしたので、どこか他所へ行かれたかも知れませんよ」
店主は目を閉じ、そっと息を吐いた。
「どんな香炉ですか? 売りに出ていれば、欲しいですね」
「あんまり、その、縁起の宜しくない品のようなので、お勧めはしませんねぇ」
店主はチラリと店の奥へ目を遣り、宍粟探偵に告げた。
「縁起? 香木の代わりに人の骨でも焚きましたか?」
「いいえ、そんな気色の悪いことは……いや、どうでしょう……お持ちになった方は、香炉が夜な夜な歩き回って、そのせいでお子さんが寝込んでしまって、とうとう、長男坊が亡くなったんだそうで……」
店主の語尾が震える。
気味悪がっていると言うより、心底怯えているようだ。
「はははっ。絵に描いたような怪談話ですね。面白いから家に置いて、一晩中、見張ってみたいもんです。持ち主を紹介していただけませんか?」
「旦那。笑いごっちゃありませんよ。……持ち主は、初めてのご婦人で、買取はお断り致しましたんで、どこのどなたか、ちょっと……」
滅相もない、と店主は青い顔で答えた。
「ご婦人ですか……じゃあ大方、お子さんにご不幸があったのを、香炉のせいだとこじつけて、悲しみを紛らわそうとしたんじゃありませんか?」
「香炉は、視る目のある人に視てもらって、確かに、良くない品だと言われたんですよ」
店主は声を潜め、宍粟探偵の推理を否定した。




