18.型録
「有年君、こちらは、おひさん新聞……おっと、帝都日日日報の灘記者です。灘さん、こちらは留守居をお願いしている書生の有年です」
有年青年は、机に本を伏せ、会釈した。
「これはどうも、突然お邪魔致しております。帝都日日日報、文化部記者の灘と申します。勉学と探偵業の両立ですか。いゃあ、勤労学生、素晴らしい。何のお勉強をなさっておいでで?」
「………………魔術」
「先生、灯台元暗しですよ! こんな身近に専門家がいらっしゃるじゃありませんか」
灘記者が、弾ける笑顔を宍粟探偵に向ける。
人見知りの激しい有年青年から、初対面で一言引き出した灘記者の手腕に、宍粟探偵は素直に感心した。だが、それは顔に出さず、残念そうな面持ちで答えた。
「灘さん、残念ながら、有年君はまだ、学生じゃないんです。ここで学費と生活費を稼いで、来年、試験を受ける予定で、まだ本格的には魔術の研究をしていないんです」
「でも、あの本は……」
革表紙のごつい洋書を指差す。
表紙の箔押しは銀で、見るからに妖しい気配のする装飾が施されている。
有年青年曰く【耐火】の呪符の形で、本を焼失から守っていると言う。
宍粟探偵は、内容までは聞き出せていない。
「借りてきた本で、期日までに返さなきゃいけませんから、大急ぎで読んで、要点を書き留めてるんですよ」
「や、これは失敬……あの、でも、入学前からそんなにお勉強なさってるってことは、型録の真贋も、見分けがついたりしませんか?」
灘記者は、宍粟探偵の訂正に頭を下げ、有年青年の様子を窺った。
書生の目は、宍粟探偵が机上に置いた鞄と風呂敷包みに注がれている。
「これですか。こちらは、他所様へ持って行く予定です。型録を見てくれるんですか?」
宍粟探偵が鞄の留め金を外しながら聞くと、書生はこくりと頷いた。型録を手渡すと、食い入るように各項の点検を始めた。
邪魔にならぬよう、宍粟は鞄を片付け、三人分の茶を淹れた。手紙を開封し、ざっと目を通す。
灘記者も、応接用の低い卓へ前屈みになり、手帳の情報を整理し始めた。
有年青年が溜め息を吐き、顔を上げた。
「どうでした?」
宍粟探偵が型録を覗く。
書生は型録中の呪符五枚について、説明が入れ違っている、ここにない別の呪符の説明、写真の上下が逆などと、簡潔に指摘した。
呪符は全部で十二枚掲載されているが、残りの七枚については、これは知らない、勉強不足だと首を振った。
「いや、凄いじゃありませんか。一目でこんなに間違いを見抜くなんて!」
記者が立ち上がり、感嘆の声を上げる。
「インチキは一枚もないんですか?」
書生は宍粟探偵の問いに首を傾げた。
質問を変えてみる。
「知らない七枚については、さて置き、後の五枚は、呪符としてはホンモノなんですか?」
「写真では、どうにも」
「あぁ、そうですね。よく似せて描いた贋作の可能性もありますからね」
宍粟探偵が納得すると、灘記者が横合いから口を挟んだ。
「値段としてはどうです? 随分、思い切った数字が並んでますが、これ、ホントに相場なんですか?」
書生は首を傾げた。宍粟探偵がそれを補足する。
「灘さん、さっき会社で聞いたでしょう。ここらでこれだけの呪符を常備しているのは、日高屋さんだけだそうですから……」
「好き放題に値を付けて、間違った物を売ってるんですか。ここはひとつ、これ以上の事故が起きない内に、教えた方が……」
「まぁ、待って下さい。お気持ちはわかりますが、我々は魔術に関しては素人です。曲がりなりにも商売になさっている御仁が、素人に間違いを指摘されて、聞き入れてくれると思いますか?」
宍粟の言葉に、不満顔で黙る灘記者、頷く有年青年。
「えっとですね、これを持って行く所と言うのが、帝大の魔道学部なんです」
宍粟探偵は、机上の風呂敷包みを撫でつつ続ける。
「了解を取り付けられましたから、明日、早速行っています。呪符のことやらなんやら、色々聞いてきますから、帰ったら有年君にもお話しますよ」
そこまで聞いて、書生が子供のように瞳を輝かせる。
「自分もご一緒していいですか?」
宍粟探偵は、便乗したがる灘記者を手振りで制した。
「お昼に研究室で、お弁当を使いながら小一時間程度、とのことですから、学者先生はご多忙なんですよ。君は君で、約束を取り付けたんでしょう? 日を違えてはいけませんよ」
書生は満足したのか、読書に戻っていた。




