16.商社
宍粟探偵は、波賀君と飲んだ翌日から毎朝、事務所へ出る前に歓楽街を歩いて回っていた。
寒空の下、縄張りを荒らされ、束子になった猫に威嚇されながら、店の裏、店と店の間の路地に積まれた木箱を見る。
村岡商店の焼き印のある木箱を見つけると、手帳にその店と数を控えた。
八十ばかりの呑み屋が軒を連ねる街区でありながら、七軒しか置いていなかった。店番が番頭一人になったのも、無理からぬことだ。
酒造の人手は、主に農村から来る季節労働の杜氏だ。彼らへの給金の支払いは、何が何でも死守せねば、店が全く立ちゆかなくなる。
近隣の酒場への納品がここまで減り、古くから付き合いのある料亭星見に切られたならば、相当、小売に注力せねばなるまい。
かつての繁盛を知る店が、風前の灯となっている。
改めて状況を知り、宍粟探偵は胸に木枯らしの吹く思いがした。
開国後、新政府の奨励で、雨後の筍のように会社が設立された。
宍粟探偵もかつては、そのひとつ、日光芳商社に勤めていた。
帝国大学卒業後、学友の親に請われ、設立されたばかりの商社へ入社した。新規の商品、新規の取引先、会社の基盤造りに携わった。
事業が軌道に乗り、日々が滞りなく流れ始めた頃、ふと、一抹の寂しさを覚えた。
地盤が固まった社内では、どの仕事も引継ぎさえしっかり行えば、誰にでも回せるようになっていた。
この仕事は、自分でなくてもいい。
自分の代わりが幾らでも居ること。
自分一人居なくなっても、何の支障もないことが、寂しさの原因だと気付いた時、会社を辞めた。
学友だった同輩の波賀君たちや、上役にも慰留されたが、どうしても、留まることができなかった。
辞めてから今日までの十年間は、決して平坦な日々ではなかったが、確かに、生きている実感を持つことができた。
高海通界隈では、新しい会社が興っては消えてゆく。
看板屋が忙しいことこの上ない。
幸い、この十年の間、日光芳商社は存続していた。
老舗も、会社組織として、新しい時代に合わせる動きがあった。
日高貿易株式会社は、廻船問屋の日高屋が、株式会社に改組した口だ。株式は全て、親族が握っている。
元の店は残してあるが、高海通に新規のビルヂングを建て、こちらを本社、元の店を支店としていた。
入口の守衛に軽く会釈し、瀟洒な洋風建築に足を踏み入れる。石造りのビルヂングは、しんしんと底冷えがした。
受付で用向きを告げると、応接室へ通される。二人は革張り椅子に浅く腰掛け、待った。
ややあって、なかなかに貫録のなる男性が入って来た。
物珍しげに部屋を見回していた灘記者が、バツの悪そうな顔で、ペコリと頭を下げる。男性は、鷹揚に頷き返し、青年の失態を不問にした。
受付嬢が茶を置いて、応接室を出る。
二人は立ち上がって名乗った。
「宍粟と申します。こちらは、まぁ、押し掛け弟子のようなもので、お気になさらず」
背広をきちんと着こなした社長は、名乗りながらこちらの様子を窺う。
「どうぞ、お掛け下さい。社長の日高でございます。先程、受付の者が、探偵の先生だと申しておりましたが……」
「いえ、先生と言われる程、大それた者ではありません。失せ物探しやら、迷子の猫探しやら、新聞にも載らないような、細々した仕事をするだけですので……」
日高社長は、幾分か寛いだ様子で問うた。
「して、その探偵さんが、弊社にどう言ったご用向きでしょう?」




