14.料亭
今日は、薬種商出石と、料亭六花の評判を聞きに行く。
薬種商出石は、宍粟探偵の知る限り、特段の問題もない。
三年前にアルトン・ガザ大陸の技術を取り入れ、傷薬を安価に大量生産する製法を開発し、特許を取得した。製薬会社に製造を任せ、特許料を受け取っている。
傷薬の評判は上々で、置き薬として、各家庭に常備されるに至った。
それ以外にも、昔ながらの取引を守り、手堅い商いを続けている。
養父夫人の話によると、出石夫人は大変に人当たりがよく、そこに居るだけで場の雰囲気が和らぎ、あまり相性の良くない者同士も、出石夫人の前では、諍いにならぬとのことであった。
「おはようございます」
事務所を出ると、記者の灘青年が待ち構えていた。昨日の作戦は、失敗だったらしい。
宍粟探偵は、敢えてその件には触れず、歩きだした。
当然のように灘記者がついてくる。
「先生、今日はどちらまで?」
「お店の評判調査です。……こう云うのは、君の得意分野じゃありませんか」
「得意かどうかは、聞いてみなくちゃわかりません。何屋ですか?」
「料亭ですよ。接待に使いたいけど、大丈夫かと云う、まぁ、よくある細かい依頼です」
灘記者は、目に見えてがっかりした。
「なぁんだ。てっきり、件のお医者の家へ来た客にその店の人が居て、資金繰りに行き詰まって、ちょっと失敬したセンかと……」
「小さい事務所なんでね、色々やるんですよ」
宍粟探偵は、灘記者の読みに内心、肝を冷やしたが、おくびにも出さず答えた。
「新装開店やら、老舗でも何か新しいことを始めたってのなら、記事になりますけどね、悪い評判ってのは、ホントに悪どくて、手が後ろへ回ってからじゃないと、載せらんないんですよね」
「そう云うもんですか」
「そう云うもんですよ。最近のは、あれかな……貿易商が魔法の品を仕入れて、売ったはいいが、インチキ品だったってんで、お客から訴えられたけど、貿易商も騙されてたってんで、仕入先を訴えて、お客には、ウチも被害者だって、モメにモメて……」
その記事ならば、宍粟探偵も目を通した。
薔薇園亭の女主人が、憂えていた事件だ。
客が日高貿易株式会社を訴える民事と、日高貿易が仕入先のワンウェイを詐欺で告訴した刑事、ふたつの訴訟が同時進行していた。
もう半年以上、三つ巴の争いが続いている。
仕入先が外国企業なので、本社には日之本帝国の法が及ばない。
居留地に設置された支店を起訴し得るかどうか、品物がインチキか否かの本題に入る前の段階で、訴訟は足踏みしていた。
あの日、養父邸の例の部屋を訪れていた客の内、村岡酒店と日高貿易の社長一家は、家計に火が点いていた。
人間の仕業なら、つい出来心で、香炉を持ち帰ったことが考えられる。
もし、カネ目当ての犯行であれば、熱が冷めた頃合いを見て、骨董屋を回れば、回収できるかもしれない。
養父医師の依頼は、犯人探しではなく、香炉の回収だ。
寧ろ、犯人を見つけて波風を立てるようなことは、避けたがっている。
宍粟探偵は、話を戻した。
どうせ、ついて来るのだ。何か情報を持っていないか、聞いてみる。
「料亭の六花なんですけどね。商社に居た頃は、接待に使っていましたが、もう十年もご無沙汰してますから、イチから調べ直さなきゃいけないんですよ」
「あぁ、六花ですか。記事は没になりましたけど、何年か前、ご主人が亡くなりましたよ。今は女将さんが奮闘してます」
「そうだったんですか。まだ、そんな年でもなかったのに……」
宍粟探偵は知らないフリで先を促した。
「流行病でポックリ……らしいですよ。お子さん方はまだ、……確か、一番上の子でも、今年で十五になるかそこら……まだ、店を継げるような年じゃありませんし……大将が亡くなった後、板長が味を守ってるそうですが、どうなんでしょうね?」
「そうですか。いや、ありがとう。大いに参考になりました」
簡潔に礼を述べると、灘記者は気を良くして、更に言った。
「女将が、洋食を取り入れようとしてるみたいなんですけど、板長は反対してて、昔の味を守ってるそうですよ」
「へぇー。詳しいんですね」
「そりゃ、記事にする為に頑張りましたから」
「それは、残念でしたね」
「でも、先生のお役に立ててよかったです」
灘記者はすこぶる機嫌がいい。
宍粟探偵はついでに聞いてみた。
「昨日の、大学の件……」
「あぁ、それも、大きな事件がなけりゃ、その内載せるから、定期的に資料だけまとめとけって言われました。大学の方は先生のご都合で、昨日はお会いできなくて、また今度って、約束だけ取りつけましたよ」
「そうですか。頑張って下さいね。そう云う、地味で地道な基礎調査と云うのは、大切ですからね」
宍粟探偵の言葉に、若い記者は瞳を輝かせた。