12.酒場
黄昏の陽が、真新しい石造りの街並を染め上げている。
並木の銀杏が風に舞い、無数の扇を地に広げていた。
親の使いなのか、子供らが、菜箸でせっせと銀杏を拾い集めている。
宍粟探偵は、三本離れた高海通へ入った。ここも千代草通同様、新しくなった街だ。
開国後に創業した新進気鋭の企業が、堂々とした居を構えている。
丁度、終業時刻で、居並ぶ建物から、続々と会社員が出て来る。古巣の社員を見つけ、充分近付いてから、声を掛けた。
「やぁ。お久し振り」
「おや、宍粟君。お久し振りで」
「偶々、近くに用があって、ついでに寄ってみたんだ。どうだい? これから……」
手真似で杯を干して見せる。昔の同輩・波賀君は、笑顔で応えた。
「お、イイねぇ。宍粟君、洋酒はどうかな?」
「味見したいんだけど、なかなか機会がなくて……」
「よし、じゃあ、いい店知ってるんだ。行こう」
二人連れ立って、歓楽街へ向かった。
宍粟探偵は、歩きながら店と店の隙間に目を配った。
酒屋が配達に使う木箱が積んである。
中身は空瓶で、次の配達の際、回収する。木箱には、店の屋号が焼き印で捺されてあるのが常だ。
路地の奥に置いてあるのか、元よりないのか。
村岡商店の清酒用の箱は見えるが、洋酒用のそれは視界に入らなかった。
今は路地の奥まで立ち入る暇はない。後日に回すことにして、同輩の後について行った。
案内された酒場は、洋酒を専門に出す店だった。
店名はどこの国のものとも知れぬ横文字で、宍粟探偵にはさっぱり読めない。
まだ早いのか、他に客はない。
仕度を終えたばかりの女給が、愛想良く二人を迎えた。手近の席に陣取り、註文を通す。
「葡萄酒を一杯ずつ。赤で、ツマミは乳酪」
同輩は慣れた様子で女給に告げた。
カウンター内で、店主が酒瓶の栓を抜く。店主の背後は一面、棚だ。大小様々な瓶がぎっしり並んでいる。
……成程、これは眺めているだけでも面白い。
程なく、女給がツマミと硝子の杯を持って来た。
波賀君は「赤」と言ったが、暗紫色の葡萄酒が、なみなみと注がれていた。
「それでは、再会を祝して、乾杯」
硝子が触れあい、風鈴のような音が響く。
宍粟探偵は、軽く口に含み、舌の上で転がした。
果実の甘み、豊かな風味。酒としては決して強くはない。
果実の酒と聞き、梅酒のようなものかと思っていたが、全く違う。遥々、異国から来た濃厚な味わいの酒を喉に通す。
「……話には聞いてたけど、なかなか美味いもんだ」
「そうだろう、そうだろう」
ツマミの乳酪は、以前に食べたことがある。
独特の臭みはあるが、慣れれば美味いものだ。
「近所の酒屋でも、扱ってくれればいいんだけどなぁ」
「この秋から、ウチでも扱いを始めたけど、数が少ないもんだから、卸専門なんだ。特別に手配するったって、貴族の晩餐会がみんな持ってっちゃうしなぁ」
同輩の波賀君は、すまんね、と手を合わせた。
「ここらじゃ、村岡酒店が小売を始めたけど……ありゃぁ、ちょっとなぁ……」
「村岡酒店なら、知ってるよ。いいお店だったよね?」
「洋酒の扱いが、なっちゃいないんだよ」
顔の前で手を振り、波賀君は苦笑した。
「この春から始めて、夏に店の外へ台を出して置いてたもんだから、暑さでやられちゃったんだろうねぇ。折角の葡萄酒が、酸っぱくなっちゃって、お客から苦情の山だったらしいよ」
「そんなことになってたんだ? 大損害じゃぁないか」
「そうなんだよ。代金を返して、モノは回収して、捨てるのも何だからって、洋食屋に料理酢として使ってくれって、格安で売って、雀の涙程、損も回収してたけどね」
「あぁ……」
聞くだけでも、胃が痛む。
「高いもんだから、当然、お客もそれなりのお歴々で、話がわーっと広まっちゃって、本業の清酒の方もさっぱり……」
「目も当てられんじゃないか」
波賀君は身を乗り出し、声を潜めた。
「ここだけの話、このままじゃ危ないし、婿の来手もどうなるかわからんからって、手に職付けさせようって、お嬢さんを洋裁学校へやってるんだってよ」
「大店のお嬢様が……それはもう、本格的に、女手ひとつで生きてかなきゃならんってことかい?」
宍粟探偵も声を落とし、手の中の葡萄酒を見詰めた。
「まだ、わからんがね。まぁ、月謝が払える内にってことだろうなぁ」
近況や世間話をしながら、ちびりちびりと杯を干し、乳酪を齧る。
高価な洋酒をそう何杯も、開けられない。一杯だけで別れた。