11.薔薇
商社時代に知り合った輸入雑貨店へ足を運ぶ。
開国後の区画整理で、新しく整備された街だ。
居留地へ続く千代草通には、白い石畳が敷かれ、両側に瀟洒な洋風の商店や、整理後も残された一流の老舗が建ち並ぶ。
庶民向けの安価な日用品や、日々の食料品を扱う店はない。
途中、洋菓子店で焼き菓子を一箱求め、薄日の下を歩く。
目当ての店は、薔薇園亭の名が示す通り、薔薇の花模様があしらわれた舶来品を専門に取り扱っている。
店長は、白薔薇のような老婦人で、いつも赤い薔薇柄の前掛けをしていた。
今日も店内は女性客で賑っている。
皿や紅茶用の茶器類、ハンカチーフ、扇子、スカーフ、ブローチや首飾りなどの装身具、前掛け、洋服、傘、化粧道具……女性好みの品々が、煌びやかに咲き誇る。
正しく薔薇の庭園だ。
宍粟探偵が菓子折を軽く掲げ、目くばせする。女主人の顔に笑顔が咲き綻ぶ。
「あら、宍粟さん、お久し振りですこと」
「ご無沙汰しております。たまたま近くまで来たので、ご挨拶に。こちら、お店の皆さまでどうぞ」
「まぁまぁ、気を遣っていただいて……折角いらしたんですし、立ち話もアレですから、お時間、宜しければ、中でお茶でも……」
「恐れ入ります」
洋装のお仕着せを着た若い女性店員も、ぱっと笑顔を咲かせ、宍粟探偵に会釈した。
奥の応接室で、薔薇のジャムを入れた紅茶で持て成されながら、宍粟探偵は、当たり障りのない世間話をした。
「宍粟さん、流石、お目聡い。お持ち下さったお菓子、フィオーレさんの最新作よ」
「そうなんですか? いやぁ、気付きませんでした」
単に最も目立つ場所に陳列してあったから、買ったものだ。
話好きの老婦人は、水を向けると、宍粟探偵の八倍は喋った。
千代草通商店街の他店の動向や、店に来る客がもたらす噂話、流行の色柄、芸能人の最新情報……
高齢で、足を傷めてからは、自宅と店舗の往復と、買付けの他は外出する機会もない、とは本人談。
居ながらにして、これだけの情報が集まるのは、本人の耳が聡いのか、水の流れのように集まる所へは集まるのか。
体調の話から薬の話になり、その流れで、薬種商の出石氏が手堅い商いで、質のいい薬を扱い、繁盛していることがわかった。
「村岡酒店さんをご存知?」
「えぇ、以前、何度か利用したことがありますが」
「村岡さん、近頃、洋酒も扱い始めたんですのよ」
「へぇ、そいつは知りませんでした。しばらく行かない間に、随分、思い切った商いを始めたんですね」
手堅い商いで、創業から二十代以上続く造り酒屋の老舗だ。
宍粟も、商社時代に取引先への手土産を買ったことがある。
以前は、清酒や濁酒、焼酎、甘酒、味醂、酒粕と言った、昔ながらの品を扱っていた。小売の他、付近の居酒屋や料理店などに卸もしている。
「葡萄酒、麦酒、ウヰスキー、ブランデー、シャンパン、ウオートカ、テキーラ……外国のお酒って、たくさん種類があるんですのねぇ。色もとりどりで、瓶の形も可愛らしいのがあって、見ているだけでも楽しいんですのよ」
「へぇ。面白そうですね。今度、折を見て行ってみます」
村岡氏は、かなり大々的に新規の商いを始めたようだ。
あそこの取引先には、宍粟探偵の知る限り、洋酒を出す店はなかった。
小売するにしても、全体、洋酒は高嶺の花だ。個人客は、この老婦人のような金持ちばかりではない。軌道に乗るまで、大変な棘の道が続く。
「日高さんとこじゃ、近頃、魔法のお品を扱い始めたそうなんですけど、あれは如何なものかしらねぇ」
「あぁ、インチキが多いと聞きますね。日光芳商社では、魔法使いを雇って、目利きをさせていましたが……」
宍粟探偵が古巣の名を出して説明すると、老婦人の顔が翳った。
「やっぱり。私たちじゃ、見分けがつかないでしょ? だのに、日高さんったら、あんなことがあった後でも、まだ、俺にはわかるんだって、頑張ってらっしゃるって、奥様が……」
日高貿易の事件を憂い、更に声を落として零す。
「自分たちがお金で損をする分には、勉強代だと思えばいいんですけれど、お客様がインチキな品で酷い目に遭われたら、それこそ大変ですのにねぇ」
「えぇ、全く以っておっしゃる通りです」
宍粟探偵は大きく頷いて見せた。
例えば、護身用。
イザと言う時にインチキでは、最悪、命を失いかねない。或いは、魔法が掛かっているのは確かでも、その効用の説明に嘘があった場合、何が起きるかわからない。
化け物を閉じ込めた箱を開け、食い殺された話もある。
「あぁそうそう、魔法と言えば、来月から、つむぎ座のお芝居、魔女が出て来る恋物語をするんですってよ」
その後は他愛もない話で、閉店まで世間話に付き合った。