01.依頼
それっぽい時代なので一応、「明治/大正」タグは入れましたが、別の世界の話なので、リアル「明治時代」ではありません。
世界については、「野茨の環シリーズ 設定資料」でご確認ください。
「探偵さんにこんなことをお願いするのは、誠に恐縮ですが、話だけでもお聞きいただけませんか?」
養父氏は、洋行帰りの医師とは思えぬ程、腰が低かった。
宍粟探偵もつられて、低姿勢になる。
「いえいえ、お構いなく。当方、現在は一件の依頼とてなく、開店休業の様。何なりとお話し下さい」
養父氏は安堵の息を漏らすと、事の次第を語り始めた。
「うちの家内の丹季枝のことなんですがね……」
養父家は、千代草区に居を構えていた。
宍粟探偵事務所のある糸橋区からは、三里余り離れている。わざわざ、遠方まで足を運ぶ理由はわからない。
……何か、近所に知れると困る醜聞なのか。
「これがまた、よくできた女房なんですよ」
宍粟探偵は、突然の惚気話に面食らったが、気を取り直して身を乗り出した。
「その、奥様がどうされました?」
「私は若い時分、官費留学で三年間、バルバツム連邦にてアルトン・ガザ大陸の医術を修めに行ったんです。この日之本帝国を離れ、家を空けていたんですが、その三年もの間、しっかり家を守り、子供らのこともちゃんとしていたんですよ」
「奥様は、大層な良妻賢母なのですね」
宍粟探偵は心底感じ入った風を装い、養父氏が本題に入るのを辛抱強く待った。
惚気話の次は、自慢話が始まる。
「私は今も、医院での診療の他、帝国大学で教鞭も執っておりましてね、何かと多忙なんです」
「あ、これはどうも。ご多忙の中、お運び戴きまして恐れ入ります」
宍粟探偵が頭を下げると、養父氏は鷹揚に頷いて話を続けた。
「そんな訳で、家のことは家内に丸投げしているような有様ですが、丹季枝は実に気配り細やかに支えてくれるんですよ。何も言わずとも痒いところに手が届くと言った按配で……」
「ほほぅ……よく気の付く奥様で、羨ましい限りです」
「流石、私が見込んだだけのことはあります。我が養父家は、開国前から続く、医師の家系なんですよ。進取の気風が家訓のようなもので、結婚も、昔ながらの見合いではありませんでした」
「……と、おっしゃいますと?」
宍粟探偵が水を向けると、養父氏は頬をほんのり染めて語った。
「丹季枝とは、学生時分に知り合いました。丹季枝のご両親は、家格が釣り合わないから、と渋ってらしたんですが、こちらが惚れこんで、先方さんを説き伏せましてね……」
照れながらも、養父氏は惚気と自慢が混ざった話を続ける。
「そうやって何とか結婚に漕ぎつけまして、子も二男二女に恵まれました。これまで特にこれと言って、難儀するようなこともありませんで、万事恙なく過ごして参りました」
「その平穏なご家庭に何ぞ、困りごとが持ち上がったのですね?」
「えぇ……なんと申し上げましょうか……」
ようやく本題に入った養父氏の話を要約すると、こうだ。
丹季枝夫人は近頃、長女お夏のお稽古で知り合った母親らと、付き合いを始めた。
お稽古は七日に一遍。
その帰りに、親しい家の持ち回りで、ちょっとしたお茶会を催している。話の内容は、子供の教育やら世間話など、他愛のないものだ。
三日前、養父家がそのお茶会の当番になった。
丁度、ご隠居に来客があり、いつもの客間が使えず、別の部屋へ母親とその子供らを通した。少し気掛かりなこともあったが、お茶会は恙なくお開きとなった。
妻と女中が客を見送り、片付けに戻ったところ、異変に気付いた。
「まぁ、案の定と申しましょうか……」
「異変が起こることを、予測されていたのですか?」
……起きることがわかっていて、何故、何ら対策を講じなかったんだ?
「いえ、ね。これまでは、家人が寝静まった夜中に起きていたものですから、昼日中と思い、油断しておりました」
それっぽい雰囲気を出す為、言い回しや単語を古めかしくしてあります。
時々、後書きの部分にわかりにくそうな語句の説明を入れます。
進取の気風=自ら進んで物事をしようとすること。前例や従来の慣習にとらわれず、積極的に新しいことに取り組む気質のこと。