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Chapter 12: Where Flowers Bloom Again

 靴を履いて外に出る。

 花壇の前に立ち、空を見上げた。

 

 どんよりとした重苦しい天気。

 今にも雨が降りそうな空模様。

 いつもの俺だったら「またか」と気落ちしていただろうが――今は、そうでもない。

 

 だって、花を思えば、不思議と悪くない気分になる。

 

 空が泣くのは、花のため。

 花が喜ぶのなら、鼻唄だって歌えそうだ。

 

 そんなとき、コンクリートを踏む小さな音が背後から届いた。

 こつん、と控えめに響くローファーの音。

 俺は自然と笑みを浮かべ、肩越しに振り返る。

 

「よお。来たな」

 

 安西、とそいつの名前を呼ぶ。

 ひっく、としゃくりあげる声が聞こえ、それからすぐに、

 

「ざ、ざざのぐぅん……!」

 

 と鼻の詰まった涙声が耳に届く。

 俺は思わず笑った。

 

「泣くのが早すぎやしないか」

 

 だってえ、と安西。

 顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる彼女は、制服の袖で何度も目もとを拭う。

 教室では必死にこらえていた涙が、今は抑えきれず、ぽろぽろと流れ落ちていく。

 

「……ねえ、これって……」

「ああ。花だ」

 

 すぐに答える。

 すん、と安西が鼻をすすった。


 雨に打たれて泥まみれになり、踏み荒らされて、ほとんど枯れてしまったはずの花壇。

 その場所には、今――まるで魔法のように、色とりどりの花々が咲き誇っていた。

 

「……これ、佐々野くんが植えてくれたの……?」

「まあ、な。ここは毎日通る場所だし、なんにも色がなくちゃ寂しいだろ。……こんな俺でも、花は綺麗だと思うんだぜ」

 

 照れ隠しで格好をつけることしかできなくて。

 気障なセリフを吐きながら、俺は鼻の頭を掻いた。


 ひんやりとした風が吹き抜ける。

 その風に乗って、どこからか雨の匂いがふわりと漂ってきた。

 そろそろ、こっちも降り出すだろう。

 花が風に揺れて、ゆうらりと身じろぐ。

 

 俺は、咳払いをひとつ。

 それから花を順に指差していく。

 

「安西ならわかると思うが、植えたのは全部で六種類だ。月並みだが、パンジー、ガザニア、ノースポール、ペチュニアにゼラニウム。どんな学校にでも植えられているから誰でも一度は見たことがあると思う。……あとは、これだ」

 

 くっきりとした緑の葉の中に、ちょこんと咲く白い花。

 

「それは……?」

「これはリピアだ」

「リピア……」

 

 こくりとうなずく。

 

「リピアは強い。とても丈夫な花だ。……だから、ちょっとやそっと踏まれたくらいじゃ枯れたりしない」

 

 言い終えてから安西を見やる。

 なにも言わないまま、安西は俺の隣にそっと並んだ。

 

 避けたり逃げたりは、もうしない。

 泣きはらした赤い目が、ゆっくりと俺を見上げ、射貫く。

 まだ不安が残るような瞳だった。

 

 軽く頬を掻いてから、俺は柄にもなく優しく微笑みかけた。

 

「そんな不安そうな顔をするなよ。大丈夫だって。今度またあのいたずらな猫たちがここへやって来て、花壇を踏み荒らそうとしたら――そのときは、俺が花を守るよ」

 

 泣き腫らした安西の赤い目が、少し見開かれる。

 

「……佐々野くんが? 本当に?」

「ああ、約束する。二度とあんなことはさせない。……だって、花は愛でて育てるものだからな。そうだろ?」

 

 言うと、今度こそは安心したように安西が笑う。

 久しぶりに見たその笑顔は――やっぱり、花のようだった。

 

 安西が花壇に目をやる。

 それからすぐ、少し困ったように眉尻を下げた。

 

「でも、こんなにたくさんの花……お金とか、大変だったでしょ……?」

「まあ、それは気にするな」

「だけど……」

「ああ、そうか」

 

 はたと手を打つ。

 そうだ。

 思えば、俺はまだ、安西に言っていなかったかもしれない。

 

 振り返り、正面玄関の隣の来客用駐車場に停まっているワンボックスカーを見やった。

 おもむろにそれを指差す。

 

 その車体に描かれているのは、大きな花とかわいらしい妖精のイラスト、それに――『フルールささの』の文字。

 

 俺は小さく笑った。

 

「実家、花屋なんだ」

 

 安西は目を丸くさせた。

 それから二、三度まばたきをして、つぶやく。

 

「……お花屋さん」

「そうだ。親にわけを話したら、二つ返事で協力してくれた。こういうことに使う金は惜しくないらしい」


 ……なんて。

 協力してくれたのは事実だけれど、タダってわけじゃなかった。

 おかげで、俺の小遣いは今月から数ヶ月分、花に消えた。

 でも、俺にだって格好つけたいときくらいある。

 それに、安西が笑ってくれるのなら、貧乏生活くらい喜んで送ってやるさ。

 ……俺は、この笑顔が見たかったのだから。

 

 安西は納得がいったかのようにうなずいた。

 

「そっか。だから佐々野くんは、花に詳しかったんだね」

「物心つく前から見ていれば、多少はな」

 

 そうだね、と安西が小さな声でつぶやく。

 それからもじもじと体を揺らし、上目遣いでこちらを見た。


 俺は首をかたむける。

 

「あの、佐々野くん」

「なんだ」

 

 安西は下くちびるをきゅっと噛んだあと、細く息を吐き出すようにして言った。

 

「……ありがとう」


 囁くような声だった。

 頬をほんのり染めながら、安西はまっすぐに俺を見ていた。


 その視線に、思わず目をそらす。

 きょろきょろと視線をさまよわせた末、俺は顔の前で軽く手を振った。

 

「そんなつもりでやったんじゃない。だから、その、礼を言うのはやめてくれ。……こそばゆい」

 

 格好つけたかったのに、これじゃあ、あまりに決まりが悪い。

 

 安西は小さく笑った。

 それから、花壇に咲いた色とりどりの花々へと視線を戻す。

 その横顔が、柔らかくほころぶ。


 ――ああ、よかった。

 

 心の奥が、ふっとあたたかくなる。

 ほんの少しだけ不安だったのだ。

 この花壇を作っているあいだずっと、もしこれを見せても安西が笑ってくれなかったらどうしよう、と――そんな思いが、どこか拭えずにいた。


 ……けれど、それは杞憂に終わった。


 今、彼女は俺の隣で、花たちを見つめながら柔らかく笑っている。

 その顔を見て、初めて心から思えた。

 俺が花を植えたことには、ちゃんと意味があったんだと。


 花は、やっぱり人を笑顔にする。

 少なくとも、安西には届いた。

 それだけで――もう、十分だ。

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