Chapter 10: A Cat's Prank
「……くそっ!」
雨に濡れる地面を蹴った。
傘を放り投げて、衝動のままに、俺は駆け出した。
花壇をめちゃくちゃにしたあいつらに、言ってやろうと思った。
なにを思って、どうして、こんな酷いことを――。
……それなのに。
「――佐々野くん!」
背後から聞こえた声が、俺の足を止めた。
呼吸が乱れたまま、ゆっくりと振り返る。
……そこには、びしょ濡れのまま、今にも泣き出しそうな顔でこちらを見る安西の姿があった。
「……安西?」
は、と短く息を吐く。
安西は、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「……違うよ。違うんだよ。……この花壇をだめにしちゃったのは、あの子たちじゃない」
震える声に、胸の奥がざらつく。
俺は思わず眉をしかめた。
あいつらじゃないって、それなら――。
「……猫だよ」
「……は?」
「猫なんだ。……わたし、見てたんだよ。ちゃんと見てた。だから……わかる」
震えるくちびるで、必死に言葉を紡ぐ。
信じられなかった。
花壇を荒らしたのが猫だと言われたことにじゃない。
……安西が、そんな見え透いた嘘をついてまで、犯人をかばっていることにだ。
「……どうしてそんな嘘をつく。どうしてあいつらをかばうんだ」
「嘘じゃない。かばってなんかない。……猫だよ。猫がやったんだ」
「安西」
「本当だよ」
何度も、何度も、首を横に振る。
そんな安西に、俺は苛立ちを感じて、髪を掻きむしった。
駆け出してすぐに制されたままの、曖昧な距離を保ち、言う。
「……悪いが、おまえの気持ちがわからない。あんなに大切にしていた花をこんなにされて、おまえは悔しく思わないのか? このまま黙って見過ごせるのか?」
問いかけながら、俺の声もだんだん熱を帯びていく。
「やったのはあいつらだってわかってるのに、どうして言ってやらない。俺は、なにも言わずに泣き寝入りなんて、嫌だ。絶対に嫌だ。……おまえだって、そうじゃないのか?」
拳を握る。
安西は、俺の言葉を黙って聞いていた。
「どうしてこんなことをしたのか、理由くらい聞いてやらなきゃ気が済まない。……聞いたって、どうせ納得はできないだろうが、それでも、なにも言わないよりはましだ。安西が行かなくても、俺は行く」
「……だめだよ」
「止めるな」
「――いいんだ!」
安西が叫んだ。
その瞬間、雨音がいっそう激しさを増す。
前髪を伝って落ちた雫が、ぽたりと頬を濡らした。
「……いいんだよ、仕方ないよ。だって、これは……いたずらな猫がしたことなんだから」
「……安西」
「わかってる……わかってる、はずなんだ……。心の中では、仕方ないって、ちゃんと……そう思ってるのに……っ」
途切れ途切れの言葉。
ひっく、としゃくりあげる声が混じる。
安西は、雨で濡れて色の濃くなった制服の袖で、まるで子どものように必死に目もとを拭った。
溢れる涙を止めようと、強く、何度も、何度も、目をこする。
だけど、止まらない。
涙はあとからあとから溢れてきて、安西の声も、肩も、小さく震え続けていた。
そして――。
「……どうしよう、佐々野くん。――もう、花たちの声が聞こえないよぉ……っ!」
その言葉と同時に、安西は悲鳴のように泣き叫び、その場にくずおれた。
ずき、と胸が締めつけられる。
まるで心臓を、鋭い刃物で刺されたみたいな痛みが走る。
思わず顔をしかめた。
呼吸さえ、うまくできなくなる。
――そうだ。
悔しくないわけがない。
悲しくないはずがないじゃないか。
いちばん傷ついているのは、安西だ。
どうして、気づいてやれなかったんだろう。
知っていたはずなのに。
わかっていたはずなのに。
……もっと深く、もっと残酷に、心の奥まで抉られていたのは、俺なんかじゃない。
――安西のほうだったんだ。
「……悪かった、安西。……もう泣くな」
気の利いた言葉なんて、ひとつも出てこない。
それでもなにか言わなきゃ、と思って、絞り出したのが……これだった。
無言のまま、放り投げた傘を拾い上げた。
地面に膝をつく安西の横に静かに立ち、なにも言わずに、ただ傘を差し出す。
小さく震える肩。
それを見つめる俺の胸にも、同じような震えが広がっていた。
「とりあえず入れよ。……風邪ひくぞ」
お互いにずぶ濡れになっている状態で、差し出した傘の意味なんて、どこにもなかった。
それくらい、わかってる。
けれど、それでも、傘を差し出したのは――。
せめて、彼女が泣き止むまでは。
その肩が、震えなくなるまでは。
いちばん近くで、寄り添っていたいと思った、なんて――自分勝手な言い訳だけだった。




