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リシャールはゆっくりと手を伸ばすと、濡れておでこに張り付いた髪を触る。


あまりにも、無言で、そして、余りにも真剣なリシャールの顔に、もしやコレは現実ではなく、夢なのでは無いだろうか、と感じ始めた。

少し不安になり、手を伸ばし顎に生やされた髭に触ってみる。

赤めの金髪の髪の毛と同じで柔らかい。


「・・・現実だ。」


そうつぶやくと、おでこに触れていた手が唇に触れた。

どうしていいかわからずにリシャールの顎から手を引き下を向いた途端、天井から引っ張って自分の体に巻き付けていた布がブワリと落ちてきて足元に広がった。


「・・・あ・・・。」


毎度のことながら羞恥で動けないでいると、リシャールは「あっはっは。」と笑うと布をバサリと頭から被せ、足早に窓に向かって行く。


「初めて会った日と、同じだな。・・・寒いだろ? 」


リシャールは木戸を閉めると、そのまま窓際に背を預けるようにして腕を組んだ。


「・・・初めて会った日・・・。」


頭から被せられた長い布を、体に巻き付けながらリシャールを見つめる。


「うん。俺が教会から逃げ出して、お前に会ったあの日。教会に監禁されてた理由は・・・。」

「聞いたよ。」

「・・・そうか・・・。ポールが最悪の事態を想定してって言って、あそこにブチ込まれたけど、ほんとに想定した通りになるとは、思わねぇよな・・・。ずっと、黙ってて悪かった・・・。」

「・・・あの、赤ん坊は・・・どうなったの? 」

「あぁ。赤ん坊は城下でいい乳母がいたから、ボルドーに残ってる。」

「 え? 乳母? 」

「俺は乳は出ねぇからなぁ。ちょうど宿屋ん所の娘に子どもができたばかりらしいからって、ついでに面倒見てもらうことになった。」

「おかみさん所の・・・って、いや、マグリット様は? お母さんでしょ? 」

「? マグリット殿はアンリの妻だぞ? 」

「・・・いや、それそっくりそのままリシャールに返すよ! 」


ポカンと間抜けな顔をしてこちらを見ているリシャールに腹が立った。


「リシャールは!! その人に何やってんだよ!! 」


無茶苦茶なことを言っているのは自分でも分かっている。

例えば男女が逆ならば、リシャールを責めるのは酷な事なのに。

リシャールにとっては、あれは合意の無い交わりなのだ。

そして、それは当事者二人の知らない所で、謀略が働き、その筋書き通りと言う恐ろしい話しなのだ。


おれはそばにあった着替えを掴むと、頭から被った布を引きずりながら部屋を飛び出した。


これ以上、彼を責めたく無いのに責めてしまいそうだったから。


手近な所にあった明かりを取ると階段を駆け下り、ポチの居る厩に向かう。


おれの中で、マグリット様がひどく沈鬱な表情で、独り佇んでいる姿がずっと脳裏に浮かんでいる。

ルーやエレノア王妃から聞いた彼女のイメージは内気で繊細でか弱い少女だ。

彼女がどう思い、どう生きてきたのかは想像もできない。

けれどボルドーにやってきた彼女は、懇願する女の、強い母親の顔だった。

王妃がした提案に従い、我が子の命を守るために手放すことにしたのだ。


涙がこぼれた。

悔しかった。

自分のことではないのに、心底悔しくて、けれどどう仕様もなくて、涙がこぼれた。


リシャールも、どうしたら良いのか判らない顔をしていた。


厩ではポチが嬉しそうにおれを迎えてくれた。

隣ではリシャールの黒く大きな馬が眠りながら尻尾をパタパタと少し揺らした。

おれはポチの横のわらの束の上にまとった布を広げ、持ってきた衣服に着替えるとポチの鼻を撫でた。

しばらくそうしていると、後ろから足音が近づいてくるのが聞こえた。


「・・・悪かった。ジャン。」


リシャールの声だ。

振り向くと厩の外で佇むリシャールが月明かりに照らされていた。


「リシャールは、悪くないじゃん。お前は、悪くないじゃん!!ってか、なんでおれに謝るんだよ・・・。 」

「・・・それは・・・もう、お前が離れていくのが、嫌だから・・・。」

「おれだって!! おれだって、嫌だよ・・・。」


その言葉が口らか出たとき、覚悟を決めた。


「おれ、リシャールが好きだ。」


後ろからの月明かりでリシャールの表情は見えなかった。けれど、そのまま続ける。


「凶器みたいな顔も、笑ったらかわいい所も、自由な所も、そんで、やらかしちゃう所も、全部好きだ! でも・・・」


リシャールは「・・・でも? 」と先を促すように繰り返した。


「おれは、子どもは産めないから、リシャールを繋ぎ止める方法がない。好きだと言った所で、一緒になる事はルール上出来ないって言うのも知ってるから。そして、リシャールがいつか誰かと結婚しなければいけない立場なのも、知ってる。だから、こんな告白しても、意味が無いかもしれない。それでも、その、愛妾として飽きられたとしても、今度はトルバドールとして、ずっとリシャールの側に居たいって、思ってる。思ってるんだけど・・・」


リシャールは今度は黙ったまま次の言葉を待っている。

おれは少し怯む気持ちにムチを打ちながら、次の言葉をひねり出す。


「リシャールが、あの子どものことを認めることが出来ないというなら、リシャールから離れておれが育てようと思ってる。」


厩には数匹の馬が眠っていて、彼らの寝息が聞こえている。

隣でポチが小さく嘶く。

11月下旬の外は、虫の声もなくただ月明かりが優しい光を注いでいる。

しばらく無音だった厩に、リシャールの低い声が響く。


「・・・どうして? お前が? 」

「おれ、母親にいらないって、言われて育ったんだ。要るって言ってくれたおばあちゃんは、小さい頃にすぐに死んで。それからは、ずっといらないって言われ続けた。・・・だから、あの赤ん坊が、あの子が自分と同じ様にいらないって言われるのが、苦しいんだ。もしかしたらおれが生まれ変わった理由は、あの子の為なのかもしれないとも、思うんだ。」


たまらず抱きしめたポチの鼻面は暖かく、生きているぬくもりが感じられた。

前の世界で感じられなかった命を、この世界ではぬくもりと痛みとともに鮮烈に感じている。

ポチをひと撫でして、リシャールに振り返る。


「リシャールの事、好きだけど、この世界に来て沢山もらった愛情をおれも誰かにも返したい。それが、大好きなリシャールの血を分けた子どもだったら、むしろそれごと、愛したい。」


月を背に佇むリシャールは、まるで絵のように幻想的だ。

狩りから帰ってそのままの格好のリシャールは鎧こそ脱いではいるが、屈強な戦士そのもので、相変わらずどこから見てもかっこいい。


そう思っているとリシャールが近づいて来て、力強く抱きすくめられた。

横では繋がれた状態のポチが嘶いている。


「ジャン。」


リシャールの優しい声が耳元で囁く。


「もう二度と離れないでくれ。お前が居ないと、息も出来なくなりそうなんだ。」


強く強く、抱きしめられたかと思うと力が緩み、そっと体が離れるか離れないかの距離で、柔らかな唇が重ねられた。

軽く触れて離れると、今度は互いの視線が絡み合う。

そしてもう一度、今度は深く、互いに唇を重ねた。









馬は立って寝れるそうです。

もちろん横になっても眠るらしいです。

その場合の睡眠は3時間程度。

草食で狩られる側なので、日中にこまめに休息しているとか。

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