第055話 馴染みの店
休憩所を発ってから二日後の昼過ぎ、ハミルたちは南の町へ辿り着いた。
祭りの村よりずっと大きい。街道沿いには荷車が何台も行き交い、店先には布や乾物、金物が所狭しと並んでいる。道の端では旅商人らしい男が声を張り上げ、その向かいでは子どもたちが人の間を縫うように走り回っていた。
「人、多いね」
ハミルは少し歩調を落とした。
レグルの擬態で髪も瞳も焦げ茶に変わっている。それでも人混みを歩く時には、今でも無意識に周囲を気にしてしまう。
「祭りの村よりはな」
レグルが隣で答える。
その先では、ソルガルトが迷いなく通りを曲がっていた。
「こっちだ!」
「覚えてるんだ」
「当たり前だろ」
胸を張るソルガルトに、ハミルは首を傾げた。本当に覚えているのだろうか。
「何年ぶりだっけ」
「細けえこと気にすんな」
少し怪しい。
エルガは何も言わずソルガルトについていく。迷っている様子がないところを見ると、こちらは本当に道を覚えているらしい。
まずは、香辛料を運んだ商人を探さなければならない。ハミルがそのことを口にすると、ソルガルトも足を止めた。
「そうだったな。先に市場を見てくか」
大通りの先には、荷車が集まる広場があった。乾物を扱う露店が並び、積み荷を下ろす男たちの声が飛び交っている。ハミルたちは三本線の印がある袋を探しながら、一軒ずつ商人に声をかけた。
何人かに尋ねても、首を振られるばかりだった。三本線の印がついた袋を見つけたのは、広場をひと回りした頃だ。
何軒目かの荷車の脇で、レグルが足を止める。
「あれ、見覚えないか」
荷台の端に積まれた香辛料の袋。その近くで帳面をつけていた男は、祭りの村で聞いた商人の人相とよく似ていた。ただ、同じ印の袋を扱っているからといって、あの村に来た本人とは限らない。ハミルはまず確かめてみることにした。
「すみません。少しお話を聞いてもいいですか」
ハミルが声をかけると、男は帳面から顔を上げた。
「何だい、買い付けか?」
「いえ。祭りの村に香辛料を運んだ方ですよね。あの荷について、少し聞きたいことがあって」
「ああ、あの村か。確かに寄ったが……」
男は帳面を閉じかけた手を止めた。
「荷に何かあったのか?」
「その、少し気になるものが混じっていたんです」
「気になるもの?」
男の眉間に皺が寄る。近くに積んだ袋へ目をやってから、ハミルを見直した。
「傷んでたってことか? それなら、どの袋か教えてくれ。うちの荷だと分かれば確かめるが」
「傷んでいたわけじゃないんです。ただ、香辛料とは違うものが……」
言いながら、ハミルは口ごもった。灰色の粒のことをどう説明すればいいのか、自分でもうまく言葉にできない。
「違うものって、何だ?」
問い返す声が硬くなる。男は二人の顔を交互に見た。
「悪いが、はっきりしない話で仕入れ先まで聞かれても困るんだよ。こっちだって商売でやってるんだ」
「すみません。責めたいわけじゃなくて」
慌てて言い添えるハミルの横で、レグルが一歩前へ出た。
「俺たちも、あんたの荷が悪いと決めつけてるわけじゃない。村で見た袋に、この印があったんだ」
レグルは荷台の端を指した。縫い目の近くに三本線が入った袋が積まれている。
「同じ印の荷がどこから来たのか、それだけでも分かればと思ってな」
「……その印を見たのか」
男は袋を引き寄せ、印のあたりを指でなぞった。まだ疑わしげではあったが、すぐに追い払おうとはしなかった。
「中身を見せてもらってもいいですか?」
ハミルが尋ねると、男は少し迷ってから袋の口を緩めた。
「売り物だから、あまりかき回さないでくれよ」
「はい。ありがとうございます」
覗き込んだ香辛料の中に、灰色の粒は見当たらない。ハミルは礼を言って身を引いた。同じ印だからといって、どの袋にも混じっているとは限らないのだろう。
「村で見たのは、これとは違ったのか?」
「はい。でも、見た目だけじゃ分からなくて」
男は腕を組んだ。
「俺が袋に詰めたわけじゃないからな。どこで混じったかなんて、聞かれても答えようがない」
「詰めた人は、別にいるんですね」
「そういう荷をまとめて仕入れてるんだよ。風の国側から荷が集まる市場でな」
そこまで話して、男は何か思い出したように帳面を開いた。何枚かめくり、指先で行を追う。
「待てよ。あの村へ下ろしたのは……確か、この時の荷だ」
ハミルは思わず帳面を覗き込みそうになり、慌てて足を止めた。男は小さく唸る。
「市場の名前と買った日付は残ってる。だが、向こうでも何人かの手を通ってるはずだ。最初に詰めた奴までは分からんぞ」
「その市場に行けば、もう少し調べられるでしょうか」
「さあな。向こうの帳面に残ってりゃ、どの荷を誰から買ったかくらいは追えるかもしれん」
男は市場の場所と道順を教えてくれた。レグルが道図を広げて印をつける間、ハミルはもう一度、袋の三本線を見た。
「ありがとうございます。助かりました」
「こっちも、妙なものが混じってるなら困るからな」
男は帳面を閉じ、二人を見た。
「何か分かったら知らせてくれ。こっちで確かめられることがあれば確かめる」
「はい。そうします」
男と別れ、広場の端まで戻る。出所が判明したわけではない。それでも、次に確かめるべき場所は一つ絞れた。
「さて、用事は済んだな!」
ソルガルトが待ちきれない様子で先へ歩き出す。
「まだ終わってないよ。次の行き先が分かっただけ」
「今日はもう追いかけねえんだろ? なら飯だ!」
その勢いにレグルが呆れ、エルガは小さく息を吐いた。ハミルも道図をしまい、三人のあとを追った。
大通りから一本外れると、人通りが少し落ち着いた。古い木造の店が並び、昼時を過ぎたせいか、食堂の戸口には片づけをしている者の姿がある。
ソルガルトは、そのうちの一軒の前で足を止めた。
軒先に下がった看板は日に焼けていたが、店の中からは煮込みの匂いが漂ってくる。
「ここ?」
「ああ」
ソルガルトは戸を開けた。
「おーい! 生きてるか!」
「挨拶それでいいの?」
止める間もない。
店の奥で何かが落ちる音がした。
「……誰だ、昼っぱらから縁起でもないこと――」
奥から出てきた男が、そこで固まった。
五十代くらいだろうか。太い腕に布を巻き、片手には鍋つかみを持っている。
男はしばらくソルガルトの顔を見つめたあと、鍋つかみを投げつけた。
「お前、今までどこほっつき歩いてた!」
「危ねえ!」
ソルガルトが笑いながら避ける。鍋つかみが床に落ちても、男は拾おうともせず、懐かしそうな顔でソルガルトを睨んでいた。
「久しぶりに来て第一声がそれかよ!」
「こっちの台詞だ! 何年顔も出さねえで!」
「そんな経ってねえだろ」
ソルガルトがなぜかハミルへ得意げに言う。
「そこ自慢するところ?」
男はそこで初めて後ろの三人に気づいたらしい。
「……なんだ。連れか?」
「ああ。今一緒に旅してる」
「お前が?」
店主は三人を見回した。ソルガルトが不満げに眉を寄せる。
「何だその反応」
「いや、珍しいと思ってな」
男はエルガを見ると、すぐに表情を緩めた。
「エルガも久しぶりだな」
「ご無沙汰しております」
エルガは丁寧に頭を下げた。
「相変わらずこいつのお守りか」
「おい」
「はい」
「エルガまで肯定すんな!」
店主が声を上げて笑った。
その笑い方には遠慮がない。長い付き合いなのだと、それだけで分かった。
*
「昼はもう終わったが、残りでよけりゃ出してやる」
店主はそう言って、三人分の椀を並べた。
「四人だぞ」
「お前は勝手に食うだろ」
「ひでえな!」
「冗談だ」
結局、ソルガルトの分も大きな椀が出てきた。
肉と豆を長く煮込んだ料理で、香草の匂いが強い。パンを浸して食べると、朝から歩き続けた身体に染みるようだった。
「うまい」
ハミルが言うと、店主は満足そうに頷く。
「そりゃ良かった。こいつは昔から何杯でも食うんだ」
「昔からなんだ」
「おい、何でそこ拾うんだよ」
ソルガルトが椀を抱えたまま抗議する。
「だって気になるし」
店主は面白そうにソルガルトを見る。
「こいつ、昔はもっとひどかったぞ。金も持たずに来て、腹減ったって座り込んでな」
「ちゃんと後で払っただろ」
「三年後にな」
店主が指を三本立てると、ソルガルトは悪びれもせずパンをちぎった。
「精霊の三年なんてすぐだろ」
ハミルの手が止まった。
店主は笑ったままだった。
今の言葉を聞き間違えたわけではないらしい。
「知ってるんですね」
「何を?」
「ソルガルトが精霊だって」
「ああ」
店主は何でもないことのように答えた。
「親父の代から知ってる」
ソルガルトは煮込みを食べながら口を挟む。
「昔、ここの親父をちょっと助けたことがあってな。そっからだ」
「ちょっと?」
店主の目が細くなる。
「冬の川に落ちた親父を引っ張り上げて、熱まで出して寝込んだところを三日つきっきりで看たのが『ちょっと』か」
「昔の話だろ」
「昔の話だからってなくならねえよ」
ソルガルトは居心地が悪そうに鼻を掻いた。
ハミルは、街道で荷車を押していたソルガルトの姿を思い出した。困っている人を見つけると、いつも真っ先に動く。昔からそうだったのだろうと思っていたが、店主の話を聞いていると、その頃の姿まで目に浮かぶようだった。
「親父さんは?」
ハミルが聞くと、店主の顔から笑いが少しだけ薄れた。
「ずいぶん前に死んだよ」
「あ……すみません」
「謝ることじゃない。歳だったしな」
店主はそう言ってから、ソルガルトを見る。
「こいつも葬式には来た」
「来たんだ」
「当たり前だろ」
ソルガルトはそれ以上何も言わず、残っていたパンをちぎった。
店の外から、人の話し声と車輪の音が聞こえてくる。
ハミルはしばらく何も聞かなかった。
精霊にとって人間の一生は短い。
それでもソルガルトは、人の町へ来て、人と知り合い、また戻ってくる。
何度も見送ることになると分かっていても。
「そうだ」
店主が急に立ち上がった。
「せっかく来たなら、あいつにも知らせるか」
「あいつ?」
ソルガルトが顔を上げる。
「まだ町にいるぞ。たぶん夕方には戻ってくる」
「ああ、あいつか」
「誰?」
ハミルが聞くと、ソルガルトはにやりと笑った。
「お前が会いたがってたやつ」
「俺?」
「人に混じって暮らしてる精霊」
そう言われて、ハミルは思い出した。
「本当に会えるんだ」
「おう。会ったらきっと面白えぞ!」
ソルガルトの声が店いっぱいに響く。
奥から店主が「うるせえ!」と怒鳴り返した。




