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世界が彼を魔王と呼ぶまで  作者: ぶん吉
第三章

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第055話 馴染みの店

 休憩所を発ってから二日後の昼過ぎ、ハミルたちは南の町へ辿り着いた。


 祭りの村よりずっと大きい。街道沿いには荷車が何台も行き交い、店先には布や乾物、金物が所狭しと並んでいる。道の端では旅商人らしい男が声を張り上げ、その向かいでは子どもたちが人の間を縫うように走り回っていた。


「人、多いね」


 ハミルは少し歩調を落とした。


 レグルの擬態で髪も瞳も焦げ茶に変わっている。それでも人混みを歩く時には、今でも無意識に周囲を気にしてしまう。


「祭りの村よりはな」


 レグルが隣で答える。


 その先では、ソルガルトが迷いなく通りを曲がっていた。


「こっちだ!」


「覚えてるんだ」


「当たり前だろ」


 胸を張るソルガルトに、ハミルは首を傾げた。本当に覚えているのだろうか。


「何年ぶりだっけ」


「細けえこと気にすんな」


 少し怪しい。


 エルガは何も言わずソルガルトについていく。迷っている様子がないところを見ると、こちらは本当に道を覚えているらしい。


 まずは、香辛料を運んだ商人を探さなければならない。ハミルがそのことを口にすると、ソルガルトも足を止めた。


「そうだったな。先に市場を見てくか」


 大通りの先には、荷車が集まる広場があった。乾物を扱う露店が並び、積み荷を下ろす男たちの声が飛び交っている。ハミルたちは三本線の印がある袋を探しながら、一軒ずつ商人に声をかけた。


 何人かに尋ねても、首を振られるばかりだった。三本線の印がついた袋を見つけたのは、広場をひと回りした頃だ。


 何軒目かの荷車の脇で、レグルが足を止める。


「あれ、見覚えないか」


 荷台の端に積まれた香辛料の袋。その近くで帳面をつけていた男は、祭りの村で聞いた商人の人相とよく似ていた。ただ、同じ印の袋を扱っているからといって、あの村に来た本人とは限らない。ハミルはまず確かめてみることにした。


「すみません。少しお話を聞いてもいいですか」


 ハミルが声をかけると、男は帳面から顔を上げた。


「何だい、買い付けか?」


「いえ。祭りの村に香辛料を運んだ方ですよね。あの荷について、少し聞きたいことがあって」


「ああ、あの村か。確かに寄ったが……」


 男は帳面を閉じかけた手を止めた。


「荷に何かあったのか?」


「その、少し気になるものが混じっていたんです」


「気になるもの?」


 男の眉間に皺が寄る。近くに積んだ袋へ目をやってから、ハミルを見直した。


「傷んでたってことか? それなら、どの袋か教えてくれ。うちの荷だと分かれば確かめるが」


「傷んでいたわけじゃないんです。ただ、香辛料とは違うものが……」


 言いながら、ハミルは口ごもった。灰色の粒のことをどう説明すればいいのか、自分でもうまく言葉にできない。


「違うものって、何だ?」


 問い返す声が硬くなる。男は二人の顔を交互に見た。


「悪いが、はっきりしない話で仕入れ先まで聞かれても困るんだよ。こっちだって商売でやってるんだ」


「すみません。責めたいわけじゃなくて」


 慌てて言い添えるハミルの横で、レグルが一歩前へ出た。


「俺たちも、あんたの荷が悪いと決めつけてるわけじゃない。村で見た袋に、この印があったんだ」


 レグルは荷台の端を指した。縫い目の近くに三本線が入った袋が積まれている。


「同じ印の荷がどこから来たのか、それだけでも分かればと思ってな」


「……その印を見たのか」


 男は袋を引き寄せ、印のあたりを指でなぞった。まだ疑わしげではあったが、すぐに追い払おうとはしなかった。


「中身を見せてもらってもいいですか?」


 ハミルが尋ねると、男は少し迷ってから袋の口を緩めた。


「売り物だから、あまりかき回さないでくれよ」


「はい。ありがとうございます」


 覗き込んだ香辛料の中に、灰色の粒は見当たらない。ハミルは礼を言って身を引いた。同じ印だからといって、どの袋にも混じっているとは限らないのだろう。


「村で見たのは、これとは違ったのか?」


「はい。でも、見た目だけじゃ分からなくて」


 男は腕を組んだ。


「俺が袋に詰めたわけじゃないからな。どこで混じったかなんて、聞かれても答えようがない」


「詰めた人は、別にいるんですね」


「そういう荷をまとめて仕入れてるんだよ。風の国側から荷が集まる市場でな」


 そこまで話して、男は何か思い出したように帳面を開いた。何枚かめくり、指先で行を追う。


「待てよ。あの村へ下ろしたのは……確か、この時の荷だ」


 ハミルは思わず帳面を覗き込みそうになり、慌てて足を止めた。男は小さく唸る。


「市場の名前と買った日付は残ってる。だが、向こうでも何人かの手を通ってるはずだ。最初に詰めた奴までは分からんぞ」


「その市場に行けば、もう少し調べられるでしょうか」


「さあな。向こうの帳面に残ってりゃ、どの荷を誰から買ったかくらいは追えるかもしれん」


 男は市場の場所と道順を教えてくれた。レグルが道図を広げて印をつける間、ハミルはもう一度、袋の三本線を見た。


「ありがとうございます。助かりました」


「こっちも、妙なものが混じってるなら困るからな」


 男は帳面を閉じ、二人を見た。


「何か分かったら知らせてくれ。こっちで確かめられることがあれば確かめる」


「はい。そうします」


 男と別れ、広場の端まで戻る。出所が判明したわけではない。それでも、次に確かめるべき場所は一つ絞れた。


「さて、用事は済んだな!」


 ソルガルトが待ちきれない様子で先へ歩き出す。


「まだ終わってないよ。次の行き先が分かっただけ」


「今日はもう追いかけねえんだろ? なら飯だ!」


 その勢いにレグルが呆れ、エルガは小さく息を吐いた。ハミルも道図をしまい、三人のあとを追った。


 大通りから一本外れると、人通りが少し落ち着いた。古い木造の店が並び、昼時を過ぎたせいか、食堂の戸口には片づけをしている者の姿がある。


 ソルガルトは、そのうちの一軒の前で足を止めた。


 軒先に下がった看板は日に焼けていたが、店の中からは煮込みの匂いが漂ってくる。


「ここ?」


「ああ」


 ソルガルトは戸を開けた。


「おーい! 生きてるか!」


「挨拶それでいいの?」


 止める間もない。


 店の奥で何かが落ちる音がした。


「……誰だ、昼っぱらから縁起でもないこと――」


 奥から出てきた男が、そこで固まった。


 五十代くらいだろうか。太い腕に布を巻き、片手には鍋つかみを持っている。


 男はしばらくソルガルトの顔を見つめたあと、鍋つかみを投げつけた。


「お前、今までどこほっつき歩いてた!」


「危ねえ!」


 ソルガルトが笑いながら避ける。鍋つかみが床に落ちても、男は拾おうともせず、懐かしそうな顔でソルガルトを睨んでいた。


「久しぶりに来て第一声がそれかよ!」


「こっちの台詞だ! 何年顔も出さねえで!」


「そんな経ってねえだろ」


 ソルガルトがなぜかハミルへ得意げに言う。


「そこ自慢するところ?」


 男はそこで初めて後ろの三人に気づいたらしい。


「……なんだ。連れか?」


「ああ。今一緒に旅してる」


「お前が?」


 店主は三人を見回した。ソルガルトが不満げに眉を寄せる。


「何だその反応」


「いや、珍しいと思ってな」


 男はエルガを見ると、すぐに表情を緩めた。


「エルガも久しぶりだな」


「ご無沙汰しております」


 エルガは丁寧に頭を下げた。


「相変わらずこいつのお守りか」


「おい」


「はい」


「エルガまで肯定すんな!」


 店主が声を上げて笑った。


 その笑い方には遠慮がない。長い付き合いなのだと、それだけで分かった。


     *


「昼はもう終わったが、残りでよけりゃ出してやる」


 店主はそう言って、三人分の椀を並べた。


「四人だぞ」


「お前は勝手に食うだろ」


「ひでえな!」


「冗談だ」


 結局、ソルガルトの分も大きな椀が出てきた。


 肉と豆を長く煮込んだ料理で、香草の匂いが強い。パンを浸して食べると、朝から歩き続けた身体に染みるようだった。


「うまい」


 ハミルが言うと、店主は満足そうに頷く。


「そりゃ良かった。こいつは昔から何杯でも食うんだ」


「昔からなんだ」


「おい、何でそこ拾うんだよ」


 ソルガルトが椀を抱えたまま抗議する。


「だって気になるし」


 店主は面白そうにソルガルトを見る。


「こいつ、昔はもっとひどかったぞ。金も持たずに来て、腹減ったって座り込んでな」


「ちゃんと後で払っただろ」


「三年後にな」


 店主が指を三本立てると、ソルガルトは悪びれもせずパンをちぎった。


「精霊の三年なんてすぐだろ」


 ハミルの手が止まった。


 店主は笑ったままだった。


 今の言葉を聞き間違えたわけではないらしい。


「知ってるんですね」


「何を?」


「ソルガルトが精霊だって」


「ああ」


 店主は何でもないことのように答えた。


「親父の代から知ってる」


 ソルガルトは煮込みを食べながら口を挟む。


「昔、ここの親父をちょっと助けたことがあってな。そっからだ」


「ちょっと?」


 店主の目が細くなる。


「冬の川に落ちた親父を引っ張り上げて、熱まで出して寝込んだところを三日つきっきりで看たのが『ちょっと』か」


「昔の話だろ」


「昔の話だからってなくならねえよ」


 ソルガルトは居心地が悪そうに鼻を掻いた。


 ハミルは、街道で荷車を押していたソルガルトの姿を思い出した。困っている人を見つけると、いつも真っ先に動く。昔からそうだったのだろうと思っていたが、店主の話を聞いていると、その頃の姿まで目に浮かぶようだった。


「親父さんは?」


 ハミルが聞くと、店主の顔から笑いが少しだけ薄れた。


「ずいぶん前に死んだよ」


「あ……すみません」


「謝ることじゃない。歳だったしな」


 店主はそう言ってから、ソルガルトを見る。


「こいつも葬式には来た」


「来たんだ」


「当たり前だろ」


 ソルガルトはそれ以上何も言わず、残っていたパンをちぎった。


 店の外から、人の話し声と車輪の音が聞こえてくる。


 ハミルはしばらく何も聞かなかった。


 精霊にとって人間の一生は短い。


 それでもソルガルトは、人の町へ来て、人と知り合い、また戻ってくる。


 何度も見送ることになると分かっていても。


「そうだ」


 店主が急に立ち上がった。


「せっかく来たなら、あいつにも知らせるか」


「あいつ?」


 ソルガルトが顔を上げる。


「まだ町にいるぞ。たぶん夕方には戻ってくる」


「ああ、あいつか」


「誰?」


 ハミルが聞くと、ソルガルトはにやりと笑った。


「お前が会いたがってたやつ」


「俺?」


「人に混じって暮らしてる精霊」


 そう言われて、ハミルは思い出した。


「本当に会えるんだ」


「おう。会ったらきっと面白えぞ!」


 ソルガルトの声が店いっぱいに響く。


 奥から店主が「うるせえ!」と怒鳴り返した。

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