第1章:覚醒編
### 第1話 ハズレ勇者
目を覚ましたとき、相楽ハルトはまだ、教室の椅子に座っていた気でいた。
いつも通りの月曜日の六限目。窓の外では野球部の掛け声が響いていて、隣の席では友人が数学のノートを覗き込んでいた――はずだった。
次の瞬間、視界が真っ白に染まり、床が抜け落ちるような浮遊感に襲われた。悲鳴が四方から聞こえた。誰かが「これって、異世界召喚ってやつじゃ」と場違いに呑気な声を上げたのを、ハルトは妙にはっきりと覚えている。
気がつけば、そこは見たこともない巨大な石造りの大聖堂だった。
床には幾重にも重なった魔法陣が青白く発光し、天井は見上げても届かないほど高く、ステンドグラスから差し込む光が埃っぽい空気を斜めに切っていた。周囲には、自分と同じ制服を着た同級生たちが三十六人。数えてみると、ちょうどクラスの人数と一致する。
どうやら、二年三組は丸ごと異世界とやらに召喚されたらしかった。
混乱と悲鳴と、そしてどこか浮ついた興奮とが入り混じった空気の中、玉座に座る白髪の国王と、その脇に控える宰相らしき壮年の男が、ハルトたちを見下ろしていた。
「――勇者たちよ、遠き世界よりようこそ参られた。我が国は今、魔王軍の侵攻に苦しんでおる。どうかその力で、この世界をお救いいただきたい」
厳かな声が響き渡る。だが同級生たちの反応は様々だった。泣きじゃくる者、興奮気味に「これマジで異世界転移じゃん」と騒ぐ者、冷静に状況を分析しようとする者。ハルトはといえば、ただ茫然と、この現実離れした光景を眺めているだけだった。
やがて、大鑑定官と名乗る白髭の老人が進み出て、一人ひとりのスキルを鑑定していく儀式が始まった。
「――鑑定を開始する。前へ」
名を呼ばれた者から順に、光の柱の中央に立たされ、頭上に文字盤が浮かび上がる。それが、この世界の神々から与えられたという「加護」――スキルだった。
「ガイウス・フォルセイン。《剣聖の資質》。素晴らしい、歴代でも数えるほどしかいない上級剣技適性じゃ」
どよめきが起こる。
「レティシア……いや、これは召喚者名簿にない名だな。次、鈴木一郎。《雷神の加護》。良い、実に良い」
「佐藤美咲。《不死身の肉体》。凄まじいの、これは」
次々と読み上げられる華々しいスキル名に、大聖堂の空気は徐々に熱を帯びていった。誰もが自分こそは規格外の力を授かった特別な存在なのだと、興奮を隠しきれない様子だった。
その熱狂の中、最後の一人になったハルトが呼ばれる。
「相楽ハルト、前へ」
促されるまま、光の柱の中央に立つ。頭上に文字盤が浮かび上がるまでの数秒間、ハルトは柄にもなく、少しだけ期待していた。もしかしたら、自分にも何か特別な力があるのかもしれない、と。
文字盤が像を結ぶ。
「――スキル鑑定、終了。相楽ハルト、スキル《装備超強化》」
大聖堂に、しん、と静寂が落ちた。
周囲を見渡すと、《剣聖の資質》や《雷神の加護》といったきらびやかな文字が浮かんでいた場所とは対照的に、ハルトの頭上には、地味な四文字が、まるで場違いに浮かんでいるだけだった。
「……なんですか、それ」
隣に立っていた女子生徒が、小さく失笑を漏らした。それが引き金になったように、あちこちからくすくすと笑いが漏れ始める。
大鑑定官は羊皮紙に目を落としたまま、興味なさげに補足した。
「対象物の性能を高める補助スキルじゃな。戦闘には向かん。身体強化も魔法適性も無し、と」
その一言で、大聖堂の空気が完全に変わった。それまでハルトに向けられていた好奇の視線は、あっという間に興味を失い、次々と他の「有望な勇者」たちへと移っていく。誰もハルトを見なくなった。まるで最初から、そこにいなかったかのように。
召喚された三十七人のうち、剣才や魔法適性に優れた三十六人は、次々と王国騎士団や魔法学院への配属を告げられていく。国王自ら声をかける者もいれば、若い女性魔導師に取り囲まれてもてはやされる者もいた。
その光景を、ハルトはただ一人、玉座の間の隅で眺めていた。
最後まで残ったハルトに、宰相はわずかに眉をひそめながら告げた。
「辺境の開拓村にでも行くがよい。そこでなら、その……鈍らを研ぐくらいはできよう」
失望を隠しもしない声だった。周囲からくすくすと笑いが漏れる。ハルトは、ただ頭を下げるしかなかった。
案内された部屋には、質素な旅装束と、片道分の路銀、それから安っぽい地図が一枚だけ用意されていた。窓の外には、これから配属される仲間たちを乗せた立派な馬車が次々と出発していくのが見える。
(――俺だけ、置いていかれるのか)
誰も見送りに来なかった。声をかけてくれる者もいなかった。異世界に来て早々、ハルトは孤独というものの重さを、いやというほど思い知らされることになった。
それでも彼は、与えられた粗末な地図を握りしめ、一人で辺境へと続く街道を歩き始めた。
剣も魔法も持たない、ただの「装備強化係」――それが、この世界での相楽ハルトの、最初の肩書きだった。
このときはまだ、彼自身も、そして誰一人として、この地味なスキルがやがてこの世界そのものを塗り替えることになるなど、想像すらしていなかった。
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### 第2話 追放
辺境の開拓村・ラゼル村に着いたのは、王都を発ってから五日目の夕暮れだった。
木の柵で囲まれただけの、小さな村だった。石畳の王都とは違い、道はぬかるみ、家々は丸太を組んだだけの粗末なものばかり。それでもハルトにとっては、身を寄せる場所があるだけありがたかった。
村の入り口の掲示板には、冒険者を募集する張り紙がいくつも貼られている。宰相からもらった紹介状を握りしめ、ハルトは村で唯一の冒険者ギルドの扉を叩いた。
カウンターの奥にいた受付嬢は、紹介状に目を通すなり、微妙な顔をした。
「……《装備超強化》、ですか。うーん、正直、これといって組んでくれるパーティは……」
言葉を濁す受付嬢の向こうから、がたいの良い男が割り込んできた。五人組の冒険者パーティ「黒鳶」のリーダー、鬼灯だった。
「おう、噂の外れ勇者ってのはお前か」
値踏みするような目でハルトを頭のてっぺんから爪先まで眺め回すと、鬼裂はにやりと笑った。
「装備強化、ねえ。まあいい、荷物持ちくらいはできるだろ。ちょうど雑用係が辞めちまってな」
こうしてハルトは、黒鳶の五人目――というより、パーティに含まれない荷物持ちとして、同行を許されることになった。
それから三ヶ月間、ハルトの日々は判で押したように同じだった。夜明け前に起きて全員分の朝食を作り、荷馬車に武具と物資を積み込み、ダンジョンの入り口までひたすら歩く。戦闘には決して参加させてもらえず、パーティが奥に進んでいく間、ハルトは入り口近くで荷物番をしながらじっと待つだけだった。
夜営のときには、仲間たちの武器や防具の手入れをするのがハルトの仕事だった。剣の刃こぼれを研ぎ、鎧の凹みを打ち直し、盾の割れ目に接着剤代わりの樹脂を塗る。誰に頼まれたわけでもないのに、ハルトはその作業に没頭した。
単調な手入れ仕事の中で、ハルトはいつしか奇妙な癖を身につけていた。手入れをする武具の一本一本について、鉄の配合、刃の角度、柄の重心、これまでどんな使われ方をしてきたか――それらを丹念に観察し、擦り切れたノートの端に細かく書き留めるようになっていたのだ。
「お前、暇だな」
鬼灯の仲間の一人、斧使いのバルドが、焚き火の傍らでノートに向かうハルトを見て笑った。
「ただの荷物持ちが、そんなもの書き留めてどうすんだよ」
「……別に、何かの役に立つとか、そういうんじゃないんですけど」
ハルトは曖昧に答えるしかなかった。自分でも、なぜこんなことをしているのか、うまく説明できなかったからだ。ただ、武具を見つめ、理解しようとする作業だけが、この異世界で唯一、自分の手で積み上げられる何かのように感じられた。
――誰も気づいていなかったが、ハルトはこのとき、生涯を賭けることになる「理解」という作業を、もう静かに始めていたのだった。
転機が訪れたのは、ある雨の日の夕方だった。黒鳶が近隣の遺跡ダンジョンを攻略した帰り道、一行は森の中で休憩を取っていた。ハルトはいつも通り、汚れた武具を一本ずつ拭いていた。
「なあ、ハルト」
鬼灯が、ひどく気安い調子で声をかけてきた。ハルトが顔を上げると、鬼灯の後ろで、パーティの他の四人が妙に落ち着かない様子で目を逸らしているのが見えた。
「実はよ、お前に払う分の取り分がなくなっちまってな」
「……取り分、ですか?」
「今回のダンジョン、思ったより実入りが少なくてよ。荷物持ちにまで分ける余裕がねえんだわ」
鬼灯の口ぶりは軽かったが、その目は笑っていなかった。ハルトは、これがただの言い訳であることに、うっすらと気づいていた。
「役立たずに飯代払う余裕はねえんだよ。悪く思うな」
鬼灯はそう言い放つと、荷馬車に積んでいたハルトの私物――といっても、支給された最低限の旅装束と、僅かな路銀の残りだけだったが――をひとまとめにして地面に放り投げた。
「あ……」
「じゃあな。せいぜい、辺境で野垂れ死なないようにしろよ」
バルドを含む他の四人は、気まずそうな顔をしながらも、誰一人としてハルトを庇わなかった。パーティは笑いながら、あるいは笑いを堪えながら、森の奥へと消えていった。
薄暗くなった森の中に、ハルト一人が取り残された。
地面に散らばった荷物をかき集めると、その中に、パーティの誰かが「もう使い物にならない」と処分に困っていたのだろう、刃こぼれした一本の錆び短剣と、ひび割れた木の盾が紛れ込んでいるのに気づいた。おそらく、荷物持ちにでも押し付けておけという、投げやりな親切心だったのだろう。
遠くで、獣とも魔物ともつかない咆哮が響いた。
日はすでに沈みかけている。王都からの紹介状も、頼れる仲間も、帰り道すらも定かではないこの森の中で、ハルトの手元に残ったのは、この錆びた短剣とひび割れた盾だけだった。
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### 第3話 錆び短剣
夜の森は、想像していたよりもずっと恐ろしかった。
王都で見た絵本の中の森とは違う。木々の隙間から差し込む月明かりは頼りなく、風が吹くたびに葉擦れの音が四方から迫ってくるように感じられた。時折、遠くから響く獣の遠吠えや、聞いたこともない鳴き声に、ハルトはその都度びくりと肩を震わせた。
地図もない。方位もわからない。あるのは、鬼灯たちが放り投げていった錆び短剣と、ひび割れた木の盾、そして着の身着のままの旅装束だけだった。
(どうする……とにかく、火を熾さないと)
震える手で焚き付けを集め、なんとか小さな火を熾す。だが、そんな心許ない灯りでは、闇の広がる森全体を照らすことなど到底できなかった。
がさり、と背後の茂みが揺れた。
振り返ると、赤く光る目が二つ、闇の中に浮かんでいた。ゴブリンだ。しかも一体ではない。茂みの奥から、次々と同じ赤い目が現れる。数えると、五体はいた。
「う、あ……」
ハルトの喉から、情けない声が漏れた。剣術など習ったこともない。魔法も使えない。あるのは、鬼裂たちが不要品として処分するはずだった、刃こぼれの目立つ錆び短剣一本だけだ。
ゴブリンの一体が、下卑た笑い声を上げながら、じりじりと距離を詰めてくる。
(このままじゃ、魔物に殺される)
恐怖で頭が真っ白になりかけたそのとき、ふと、ハルトの脳裏に三ヶ月間の記憶がよぎった。焚き火の傍らで、来る日も来る日も磨き続けてきた武具たちの感触。この短剣も、実は何度か手入れをしたことがあったはずだ。刃こぼれの形、鋼の混ざり具合、持ち手に残る鍛冶師の打った回数の跡――そのすべてが、不思議なほど鮮明に頭の中に浮かび上がってくる。
「……頼む」
ほとんど無意識のうちに、ハルトは短剣を両手で握りしめ、祈るように念じていた。
その瞬間だった。
頭の中に、見たこともない半透明の文字盤が浮かび上がった。
【対象:錆び短剣/理解度:42%/強化倍率:上限×420】
「え……?」
困惑するハルトの手の中で、短剣がぼんやりとした淡い光を纏い始めた。刃にこびりついていた赤錆が、みるみるうちに剥がれ落ちていく。鈍く曇っていた刃が、まるで打ち直したばかりのように、澄んだ銀色の輝きを取り戻していった。
目の前のゴブリンたちが、突然光り出した短剣に一瞬たじろぐ。だが、すぐに獲物への警戒を解き、雄叫びを上げながら飛びかかってきた。
考える間もなかった。ハルトは無我夢中で短剣を振るった。
剣術など知らない。ただ闇雲に、目の前に迫る棍棵を弾き、勢いのまま横薙ぎに払っただけだった。
だが、結果は予想を裏切るものだった。
太い倒木を試し斬りしたときのように、ゴブリンの棍棒を握った腕が、まるで紙でも斬るかのように、あっさりと両断されていたのである。
「……嘘だろ」
自分の目を疑いながら、ハルトはもう一度短剣を振るった。狙いも技術もあったものではない。ただ、光を纏った刃が触れた場所から、ゴブリンたちの得物や体が次々と斬り裂かれていくだけだった。
残り一体になったゴブリンが、恐怖に駆られたように踵を返して逃げ出そうとする。だが、その背中にすら、ハルトの短剣は容赦なく届いた。
やがて、あたりに静寂が戻った。
肩で息をしながら、ハルトはようやく短剣を鞘――というよりも、粗末な布切れだが――に収めた。手が震えている。恐怖のせいなのか、それとも今しがた自分の身に起きた出来事への戸惑いのせいなのか、自分でも判別がつかなかった。
もう一度、掌の中の短剣を見つめる。刃こぼれ一つない、美しい銀色の刃がそこにあった。
(理解した分だけ、強くなる……?)
三ヶ月間、意味もなく続けてきたと思っていた「観察」と「理解」の積み重ねが、まさかこんな形で自分を救うことになるとは、ハルトはこのとき、まだ半信半疑だった。
だが、この夜の出来事が、彼のその後の生き方を決定づけることになる。
誰も見ていない森の奥で、最弱と蔑まれた召喚者は、初めて自分のスキルの正体の片鱗に触れたのだった。
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### 第4話 木の盾
ゴブリンの死骸が転がる中、ハルトはその場に座り込み、荒い息を整えていた。まだ心臓が早鐘を打っている。だが、生き延びたという実感だけは、確かにあった。
(あとは、朝まで身を潜めていれば……)
そう思った矢先だった。地面がずしん、と低く震えた。
最初は空耳かと思った。だが、震動は間隔を置いて何度も繰り返される。近づいてくる、重い足音だった。
茂みをかき分けて姿を現したのは、ゴブリンよりも二回りは大きい、灰色の肌をした魔物だった。手には丸太のような棍棒を握り、鼻を鳴らしながらこちらを睨みつけている。オークだ。しかも、先ほどのゴブリンたちの気配を嗅ぎつけてきたのか、明らかに苛立った様子だった。
「う、噓だろ……」
短剣一本で凌ぎ切れる相手ではない。ハルトは咄嗟に、鬼灯たちの荷物の中から転がり落ちていたもう一つの遺品――ひび割れた木の盾を拾い上げた。
(この盾のことなら、俺は知ってる)
三ヶ月間、毎晩磨き続けてきた盾だった。柄の握り方の癖も、木目の向きも、修理した継ぎ目の場所も、短剣以上に深く刻み込まれている。
【対象:木の盾/理解度:78%/強化倍率:上限×7800】
文字盤が浮かぶと同時に、盾が眩い光を放った。ひび割れていた木材の継ぎ目が塞がり、表面がまるで鋼よりも硬い、見たこともない質感へと変質していく。
オークが唸り声を上げ、丸太のような棍棒を振り下ろした。
ハルトは反射的に盾を掲げた。
――衝撃はまるでなかった。
代わりに、鈍い破砕音とともに、オークの棍棒の方が根元から粉々に砕け散った。オーク自身も、まさかという顔で自分の手元を見つめている。
「今のうちに……!」
武器を失って怯んだオークに向かって、ハルトは強化された短剣を振るった。狙いも技術もない、ただがむしゃらな一撃だったが、それでもオークの巨体はあっさりと斬り伏せられていった。
あたりに、再び静寂が戻る。
戦いが終わったとき、ハルトは荒い息をつきながら、崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。震える手で盾を見つめる。
「俺は、何もしてない……強かったのは、こいつらだ」
誰に言うでもなく、そう呟いていた。剣技も、腕力も、魔法も、何一つ持っていない。それでも、道具の力を借りて、二度も死線を越えることができた。
その事実だけが、この夜、ハルトの中に静かに、しかし確かに根を張った。
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### 第5話 辺境の剣士
目が覚めると、木漏れ日が眩しかった。
いつの間にか、意識を失うように眠り込んでいたらしい。全身が泥と血にまみれ、節々が軋むように痛む。ハルトは重い瞼をこじ開けながら、自分がまだ生きていることを、ぼんやりと実感していた。
「――大丈夫? 目、覚めた?」
澄んだ声が降ってきた。目を開けると、朝日を背にした人影がこちらを覗き込んでいる。逆光でよく見えなかったが、金髪が眩しく輝いているのだけはわかった。
「あなた、その傷……ゴブリンの群れと戦ったの? しかも、この痕を見る限り、オークまで」
驚きを隠しきれない声だった。ハルトが身を起こすと、目の前に立っていたのは、旅装束に長剣を提げた一人の若い女性剣士だった。年齢はハルトと同じくらいだろうか。凛とした立ち姿からは、相応の実力を積んできたことが窺えた。
「た、たった一人で、というか……成り行きで」
しどろもどろに答えるハルトを、女性剣士はしげしげと眺めた。それから、地面に転がっていた木の盾に目を留め、はっと息を呑む。
「……これ、見せてもらってもいい?」
断る間もなく、彼女は盾を手に取り、その表面を確かめるように撫でた。目を見開き、しばらく無言のまま、盾を色々な角度から検分している。
「尋常じゃない硬度だわ。表面の質感も、王国軍の制式装備とは明らかに違う。……どこの鍛冶師に打たせたの? こんな技術、王都でも見たことがない」
「い、いえ、あの……ちょっと強化してみただけで……」
「強化? どういうこと」
ハルトは、自分がどうしてこんな辺境で野宿をしていたのか、そして自分のスキルがどういうものなのかを、たどたどしく説明した。話し終える頃には、女性剣士の表情から驚きの色は消え、代わりに何かを見定めるような、静かな眼差しに変わっていた。
「――名乗るのが遅れたわね。私はレティシア・ヴァンダール。辺境騎士団に所属している剣士よ」
差し出された手を、ハルトはおずおずと握り返した。
「相楽ハルトです。……あの、それで、その、俺は」
「聞いたわ。パーティに置き去りにされたって話でしょう。ひどい話ね」
レティシアは、ハルトの盾を返しながら、少し考え込むような素振りを見せた。
「ねえ、ハルト。あなた、うちの騎士団に来る気はない? ちょうど、装備の手入れをできる人材が足りていないの。あなたのその……《装備超強化》だったかしら。それがあれば、団の武具事情はずいぶん変わると思う」
突然の申し出に、ハルトは戸惑いを隠せなかった。
「で、でも俺、戦闘には向かないって、鑑定官にも言われて……」
「戦えなくても構わないわ。あなたが強化した武具を、私たちが振るえばいい話だもの」
あっさりとそう言い切るレティシアの表情には、一片の侮蔑も哀れみもなかった。ただ、純粋に有用な人材を評価する、実利的な眼差しがあるだけだった。
それは、ハルトが召喚されてからこの方、初めて向けられた、対等な誘いだった。
――偶然だが、この二人には、まだ互いに気づいていない縁があった。ハルトが日本にいた頃、幼い一時期だけ、レティシアという名の少女と、遠い記憶の中で言葉を交わしたことがある。もっとも、それが今、目の前にいる彼女と同一人物なのかどうか、この時点では誰も知る由もない。
「……お願いします」
迷いはあったが、断る理由はなかった。ハルトは深く頭を下げた。
こうして、追放された最弱の召喚者は、辺境騎士団という新たな居場所を得ることになったのだった。
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### 第6話 辺境騎士団
辺境騎士団の駐屯地は、ラゼル村からさらに北へ、馬で二日ほどの距離にあった。
王都の華やかな騎士団とは違い、そこは古びた石造りの砦を改修しただけの、質実剛健な拠点だった。それでも、規律正しく整備された武具庫や訓練場を見る限り、決して名ばかりの部隊ではないことが窺えた。
団長のオルグレンは、初老に差し掛かった、がっしりとした体躯の男だった。レティシアから事の次第を聞くと、値踏みするような視線をハルトへと向けた。
「戦闘スキル無し、身体強化無し、か。正直、期待はできんな」
オルグレンの声には、あからさまな失望が滲んでいた。今までさんざん向けられてきた視線だ。ハルトはもう、慣れたつもりでいた。
「ですが団長」
レティシアが割って入る。
「彼の盾を見てください。この硬度は、王都の一流鍛冶師の作でも出せません。私も剣士の端くれとして、それなりに武具は見てきたつもりですが……こんなものは初めて見ました」
オルグレンはしばらく黙って盾を手に取り、重さや質感を確かめていた。やがて、ふむ、と唸る。
「口だけでは信じられんな。……よかろう、試験を課す」
オルグレンが提示したのは、単純明快な課題だった。騎士団の予備武具庫に眠る、何十年も使われてきた古い長剣の中から一振りを選び、それを強化してみせよ、というものだった。
案内された武具庫には、埃を被った長剣が所狭しと積み上げられていた。かつての騎士たちが振るい、退役し、あるいは持ち主を失って忘れ去られた剣たちだ。
ハルトは一振りずつ手に取り、丁寧に検分していった。刃こぼれの跡、柄の摩耗具合、鍔の傷、それぞれの剣がどんな持ち主に、どんな戦い方をされてきたのか――それらを丹念に読み解いていく作業は、まるでかつて三ヶ月間続けてきた仕事の延長のようだった。
一週間かけて、ハルトはその中の一振りに狙いを定めた。柄の摩耗の仕方から、几帳面な使い手に長年愛用されてきたことが見て取れる長剣だった。夜な夜な、その剣を磨き、観察し、理解を深めていく。
やがて、ハルトはオルグレンの元に、その長剣を差し出した。
「これなら、いけると思います」
「ふん、見せてもらおうか」
刃を検分したオルグレンの表情が、みるみる固まっていった。
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### 第7話 理解という才能
「……この硬度、この魔力伝導率。伝説級の魔剣に匹敵するではないか」
オルグレンは長剣を掲げ、驚愕を隠せずにいた。ただの退役品だったはずの鉄の剣が、刃全体にうっすらとした光を纏い、まるで別物のように輝いている。試しに近くの丸太に振り下ろすと、乾いた音とともに丸太は真っ二つに裂けた。
「一体、何をした」
問い詰めるような口調に、ハルトは頭をかきながら答えた。
「理解しただけです。この剣が、これまでどんな風に使われてきたか。誰が、どんな癖で振ってきたか。……理解できた分だけ、強くなるみたいで」
武具庫に集まっていた騎士たちの間に、ざわめきが広がった。半信半疑の者、興味深そうに剣を覗き込む者、反応は様々だった。その中で、一人だけ、他の誰とも違う目でハルトを見つめている女性がいた。
団の魔導参謀、ヴェルミナ・ロークハルトだった。年齢は二十代半ばだろうか、涼しげな目元と、隙のない立ち振る舞いから、只者ではない気配を漂わせていた。
「面白い理論ね」
静かな声だった。他の騎士たちの喧騒をよそに、ヴェルミナはハルトにだけ聞こえるように話しかけてきた。
「強化倍率が理解度に比例するのだとしたら――理論上、上限はないということになる。膨大な知識と経験を積み上げた先に、果たしてどこまで到達できるのか」
「え……」
「私は元帝国軍の魔導参謀よ。数字と理論には人一倍うるさい性質でね。あなたのそのスキル、詳しく話を聞かせてもらえないかしら」
ヴェルミナの瞳には、単なる興味以上の、何かを見定めようとする鋭さが宿っていた。ハルトは戸惑いながらも、これまでの経緯――刃こぼれた短剣、ひび割れた盾、そして今回の長剣について、自分なりに気づいたことを語った。
「理解度……か。つまり、対象への知識と経験の深さそのものが、力の上限を決めているというわけね」
ヴェルミナは顎に手を当て、考え込むような表情を見せた。
「だとすれば、あなたのスキルは決してハズレなんかじゃない。むしろ――」
言いかけて、彼女は言葉を止めた。だが、その先に続く言葉を、ハルトはなんとなく察することができた。
これはただの「ハズレスキル」ではない。積み上げた分だけ、正直に応えてくれるスキルなのだと。
この日を境に、ハルトの中で、自分のスキルに対する見方が静かに変わり始めていた。
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### 第8話 ガイウスとの再会
騎士団に配属されてから数日後、訓練場を横切っていたハルトは、見覚えのある顔と鉢合わせた。
「……ハルト? お前、生きてたのか」
召喚の儀式の際、誰よりも華々しいスキルを授けられた同期――ガイウス・フォルセインだった。あのとき玉座の間で、大鑑定官に《剣聖の資質》と告げられ、周囲を沸かせていた男だ。
「お前こそ、なんでこんな辺境に」
王国騎士団の中でも花形の部隊に配属されるはずだった男が、なぜ辺境の駐屯地にいるのか。ハルトの問いに、ガイウスは一瞬、苦い表情を浮かべた。
「……色々あってな」
それ以上は語ろうとしなかった。剣才に恵まれ、周囲から期待をかけられ続ける者だけが背負う、別種の重圧というものがあることを、このときのハルトはまだ知らなかった。だが、あの浮ついた興奮に満ちていた召喚の日から、ガイウスの纏う空気が明らかに変わっていることだけは、なんとなく伝わってきた。
しばらく互いに近況を語り合ううちに、二人は自然と笑い合っていた。片や最弱扱いされた者、片や規格外の才を持ちながら何かを抱えている者。奇しくも二人とも、この異界で「思っていたのと違う場所」に流れ着いていた。
「なあ、お前の強化した剣、一本貸してくれよ。試してみたい」
「いいけど……期待しないでくれよ。ただの鉄の剣だから」
ハルトは以前オルグレンに提出した長剣とは別の一振りを、ガイウスに手渡した。まだ理解度は六割程度、決して完璧な仕上がりではない。
ガイウスは剣を一目見るなり、その重心の軽さに驚いた様子を見せた。それから、訓練場の的に向かって、軽く一振りする。
次の瞬間――轟音とともに、的が根本から吹き飛んだ。木片が四方に飛び散り、訓練場に居合わせた騎士たちが一斉にこちらを振り返る。
ガイウスは自分の手元と、吹き飛んだ的の残骸とを、交互に見比べていた。
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### 第9話 最弱の一歩
「……お前、これは『ただの鉄の剣』のレベルじゃねえよ」
強化された長剣の威力を目の当たりにしたガイウスは、しばらく絶句したまま、手の中の剣を見つめていた。
「戦闘スキルなしでこれかよ。とんでもねえな、お前」
その言葉には、以前のような侮蔑の色は一切なかった。純粋な驚きと、わずかな敬意すら滲んでいる。訓練場に居合わせた他の騎士たちも、興味深そうにハルトの方を見ていた。それは、召喚の儀式のあの日から、初めてハルトに向けられた、好意的な視線だった。
騎士団内でのハルトの評判は、静かに、しかし確実に変わり始めていた。戦闘には出られない、最弱の召喚者。それは変わらない。だが、彼が手を入れた武具は、まるで別物へと生まれ変わる――その事実だけは、もはや誰の目にも明らかだった。
その夜、宿舎の一室で、ハルトは一人、蝋燭の灯りの下でノートに強化の記録を書き留めていた。ラゼル村を追われて以来、擦り切れながらも肌身離さず持ち歩いてきた、あの古いノートだ。
【短剣:理解度42%→現在98%】
【木の盾:理解度78%→現在100%(完全理解)】
【長剣(オルグレン団長支給):理解度65%】
【長剣(ガイウスへ貸与):理解度61%】
理解度が上がるほど、強化の上限もまた上がっていく。まだ見ぬ倍率の果てに、一体何があるのか。このときのハルトには、まだ想像もつかなかった。
窓の外、辺境の空に月が昇っている。王都で見た月と、同じ形をしているはずなのに、なぜかまるで違う世界の月のように見えた。
「俺は、何もできない。剣も振れない、魔法も使えない。……でも」
強化を終えたばかりの短剣を、月明かりにかざす。刃こぼれ一つない銀色の刃が、静かに光を照り返した。
「道具になら、俺の理解を託せる」
誰に聞かせるでもない、独り言だった。それでも、その言葉には、追放された日には持ち得なかった、小さな確信のようなものが宿っていた。
最弱の召喚者による、異界統一への長い旅は――まだ、始まったばかりだった。
**(第1章・完/全90話中9話)**




