#169 感覚が麻痺しているが149cmはかなりちっちゃい
「ほんっとありがとう! おかげでなんとかリカバリーが間に合ったわ!」
「よかった。道具変わっちゃって大変だと思うけど、先輩も頑張って」
「任せて! ステージにはある以上、このくらいなんてことないわ!」
予定より二曲増やして10分ほど稼いでいるうちに、なんとかくびわ先輩のほうも目処がついた。代替品で間に合わせる形ではあるけど、それで問題ないことは表情からわかる。
私がマイクを切ってからくびわ先輩がつけるまでの数秒間、軽く労いと励まし。まだ表で直接絡んだりはできていない間柄だけど、気心は知れているからどちらからともなく抱擁していた。
そのまま飛び出していくのを見送って……一息。さすがに痺れるイレギュラーだった。心臓がまだ戻ってこない。
「お疲れ様でした。本当に助かりました」
「はー……なんか力抜けちゃった。次からはリハに入れといたほうがいいかもですねぇ……」
「今回はフロルさんだったのが不幸中の幸いでした……。リスクヘッジは一考の余地があるかと」
ちょうどそこにあったパイプ椅子を借りる。待機中に座るもので、もうすぐくびわ先輩の次の番として火玉先輩が来るまでは空いているはずだ。
トラブルで次の演目が始められないとき、舞台上のライバーが時間稼ぎをする想定……なんて、まだ二度目の感謝祭である私たちは考え切れていなかった。だけど、起こりうるリスクなら考えておかないといけないだろう。次も咄嗟に対応できるとは限らない。
「……今、少しだけ安心しました。今のが要求されることもありうるのかと。観客のレスポンスを挟んで連絡だとか、予定外の曲を流されて対応だとか」
「普通はやらないよ。やっておいてなんだけど、今のはさすがに無茶振り。あの人が私のことは使い倒していいと思ってるだけ」
大青さんがこのタイミングで胸を撫で下ろすのも無理はない。いくらライバー使いが荒い電ファンのスタッフといえど、今のはさすがに例外的だ。ちょうどそこを仕切っていたのが私と三年来の付き合いでもあるリリり担当で、要求と私の余力がちょうど重なっただけである。
それにしても彼、よく見ている。返答の時間の作り方あたりは、なるべく目立たないようにやった部分なんだけど。観客席からはバレたくないものだったけど、こちら側に見抜いてもらえるのは嬉しいね。
「それにしても、二曲とも歌枠でも未披露でしたよね?」
「そのうち配信で出すつもりだったやつではあるよ。あの人たち、私がスタジオで何練習してたかまで覚えてるの」
「……本当に?」
「電ファンのスタッフはそのくらいはやるよ。私が言うんだから間違いない」
こういう場でやる以上は、まず待ち望まれているような印象的な曲以外は初披露がいい。だから練習はしていて歌枠に出すつもりだった曲が選ばれたんだけど……恐ろしいのはそこからだ。私がスタジオが使われていないときを狙って練習に入っているところを聴き届けて覚えている上に、そのうち一部はこうしてすぐに流せたように音源を控えてすらいる。
今回のような事態を想定していたわけではなくて、とにかくたくさんのデータを常に用意してあるのだ。……私もまた半年前まではそういうことをしていたから、このあたりの事情はわかる。だからこその「私が歌える曲」というオーダーだった。
「高い信頼関係が……」
「ま、それだけじゃ限界があるからリハに組み込む話になってるんだけどね」
もちろん、こんなのは基本技能ではない。今回の私がたまたま有していただけだから、次以降は前もって用意しておこうということだし。
ステージでは既にくびわ先輩のパフォーマンスが始まっている。さすがというべきか、その様子には既に直前まで死活問題になっていたトラブルの影は見当たらない。彼女はもう大丈夫だろう。
それなりに慣れたような面をしておいてではあるけど、とはいえ私は四期生。こうしたステージが初めてであることに変わりはないから、さすがに疲労はあった。
控え室で一息ついてから、比較的負荷の少ないところに向かうことに。到着したのは……ハウスの共用リビングをそのまま持ってきたかのようなブースだった。
まあ、ライバーが入る側は多少簡略化されているけど、来場者側はかなり再現度が高い。それもそのはず、ここは「配信やスナップショットで見るあの電ファンハウス」がコンセプトだ。それだけで成立していることもあって、ここはかなり企画として緩い。というか、何かをするということがないといっていい。
「あ、ハルカ姉さん。それにマリエル先輩」
「フロルちゃん。よかったよ、さっきのステージ」
「はい。さすが名誉一期生です」
「なんか知らない称号が増えてるんだけど」
さすがに人数が多いから待機列らしきものはできているんだけど、それ自体が室内に入っているから既にアトラクションのようなものになっている。内容自体、室内の様子を見て回ったりちょうどここにいるライバーと会話したりするだけだから大差はないというか。
今いたのは二人。どちらも私のステージのことも、二重のAR越しとはいえ見ていたようだ。初めて聞いた名誉称号を、さも当たり前に存在するもののように言ってくる。……ステージの詳細なタイムテーブルを知っている二人は私が二曲増やして10分長くやったことに気付いているだろうけど、聞いてはこない。そのあたりは一般の来場者に今聞かせることではないから。
「あれで陽くんやマギアちゃんも必要以上に緊張する必要はなくなったんじゃないかな。見てただろうし」
「まあ、やること自体は普段とそんなに変わらないからね。それが伝わってればいいかな」
「結局、一回やらないとわかりませんからね……。それが難しいわけですから、早々にその勇気を出したマギアちゃんは本当に強い子です」
ソファのいつもよく座る位置に腰掛ける。せっかく空いているのに、こういうのはなかなか座る人が現れないんだよね。ライバーに左右を挟まれたりすれば耐えられないのがオタクというものだ。私は何度直に挟まれたことか。
ちょうど二人のほうから逆側には座っている人がいたけど、距離を詰めてみようかという悪戯心は胸にしまっておいた。耐え切れずに立ち上がってしまったら悪いし。ARかつ拳ふたつ分の距離でさえ挙動不審になられているのだ、これが限界なのだろう。
それならまあ、せっかくだから普段通りのライバーを至近距離から眺めてもらおうか。事実上このブースの想定はそれだし。……コミュニケーションが取れる超至近距離でありながら触れることだけはできないARは、タレントとファンの交流という点ではとても理想的だ。
と、そう。実はマギにゃ、今回は先輩たちとのトリオながらステージに上がる予定になっている。デビュー当初は同僚にさえ緊張して顔合わせもリモートだった子が、たった半年でここまで来たのだ。やはりVtuberは成長型コンテンツである。
まあ、ここを逃せば次は夏のフェスライブだから、慣らすなら今回が最適なのは確か。そちらは全員参加ではないとはいえ、出る気があるなら今回のミニステージは絶好の予行演習になる。……いくらなんでも加入直後すぎて酷なルカナさんはともかく、他の三人は夏フェスのほうもあまり乗り気ではないのかもしれない。参加率的にはそんなものだ。
「……みゃーこのことしれっとスルーした?」
「あの子は平気な顔してやるでしょ」
「心配する必要を感じないので……」
「まあそうだろうけど、一応デビューからまだ三ヶ月だよ?」
組んだ箱内ユニットの初舞台を二時間後に控える陽くんは心配してもらえたのに、二人ともみゃーこのことは流している。確かに私もあの子が舞台で緊張するとは思えないけど、それにしてもこれは信頼なのかなんなのか。
他の四期生がまだまだ新人扱いされがちな中で、私を除くとみゃーこが一番新人として見られていないような気はする。まあ、これは本人があまりに慣れた様子の安定感を見せてきているせいか。もう二年くらい続けているかのような風格なのだ。
「どう? なかなか妹なサイズ感でしょ」
「そう、ですね……ちょっとイメージがズレてました」
「フロルちゃんはしっかりしてる分、実際より大きく見えがちかもしれませんね」
少しして、次に近くに来た子は話しかけてきてくれた。私たちとしてもここでやることといえば雑談か遠目でのステージ鑑賞くらいだから、こうして関わってきてくれるのは嬉しいしありがたい。
まあ、話しかけてきたというよりは、隣に座って私との目線の高低差に驚いていただけなんだけど。ここぞと思いついたハルカ姉さんが私とその子を並んで立たせて、身長差を確認したところだ。
私の身長は149cm。かつては違ったようだけど、昨今のAR技術ではVtuberの身長はもはや誤魔化しがきかない。目算で160cmほどと見えるファンの女性が目を丸くしながら見下ろしてくるけど、そこにはしっかり10cm分ほどの差があった。
近くの他の人たちも遠慮がちに見てくる。……まあ、150cm未満は想像以上に小さいよね。世間にもそんなに多くないし、40人弱の事務所に五人もいるのは奇跡的だろう。
「こんな子が妹キャラの自覚を持たずに駆け回ってたんだ……」
「そうそう、可愛くて仕方なかったよ」
「最近は恥じらって動きが小さくなってしまいましたからね」
「あと1cmあればこんな扱いされなかったのに……」
「でもあと1cmあったらキャラは薄まってたね」
「ライバー的には一長一短か……」
「いえ、かなりプラスが勝るのでは」
「この子、まだちっこいはステータスだって理解が足りてないからね」
「え……!?」
「すごい人数に嘘だろみたいな顔された! 待機列まで!?」
マギにゃやルフェ先輩ほどになるとさすがに小ささがキャラに直結して覚えられるけど、私はそういう見られ方が比較的薄い。だからこそこうして驚かれるし、私自身もそこが重大なキャラクター性だと思ってこなかった。周囲からはちっちゃいと言われてはいたものの、せいぜい日常的なミクロなコミュニティの中での話だと思っていた。それこそデビュー前のハウスでもクラスでも、私より小さい子が二人ずついたくらいだし。
今となってはもう、その自覚不足をファンにネタにされるくらいがちょうどいい。……けど、そろそろ頭を撫でる手を止めてハルカ姉さん。公衆の面前だよ。




