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12: 嵐の前の小さないつも




目を覚ますと、朝になっていた。



昨日は呆然としたまま夜になり、食事もあまり食べられずにこてんと眠ってしまったので、目を覚ましてから少しだけ途方に暮れてしまう。


もぞもぞと体を起こしてからくすんと鼻を鳴らすと、隣にアンが寝ている事に気付いた。


驚くよりも前に、カーテンの隙間から差し込む淡い夜明けの光に長いまつ毛の影が落ちていることに気付いたリーフェットは、なぜだか胸がぎゅっとなる。

昨日聞いた言葉が、まだ胸の底に鉛のようになって残っていたが、こうしてアンがすやすや眠っていると、今日は具合が悪くないのかなと嬉しくなってしまうのだ。



(体が重い………)



だがその一方で、リーフェットの気分は最悪だった。

まだ残っている眠りの余韻が全部抜け落ちたら、目隠ししても逃げられない現実に捕まってしまう。

それが怖くて悲しくて、リーフェットはこのまま毛布に包まって目を閉じてしまいたくなった。



「……………おはよう」


しかし、そんな思いを見透かすように、アンが目を覚ますではないか。

じっとアンを見ていたリーフェットは、今度こそ飛び上がった。



「……む、むぐ!起きていたのですか?」

「うん。怖い夢は見なかったかい?」

「……………見ていません」



実際には、暗いところを一人きりで一生懸命に走り回っている夢を見た。

だが、それを言い出せば昨日のことを話さなければならなくなるので否定すると、こちらを見ていたアンがくすりと笑う。


「嘘つきめ。見ていただろう。………おいで、リーフェット。僕と話をしよう」

「…………しませむ」

「言えてないよ。………ほら、泣かないで」

「変です。心までちびころになってしまったら、困るのに……」


何でもないふりをしようとしたのに、どうしてだか涙がこぼれてしまう。

込み上げてきた嗚咽を呑み込んで小さな手で目を擦ろうとすると、アンがどこからか取り出した柔らかなハンカチを渡してくれる。

ふわふわのガーゼのような素敵な布は、アンが王様として暮らしていた国の特産品だったのだとか。



「それでいいんだよ。沢山泣いて、怖いことと分からないことは僕に訊いてご覧」



(どうして、あなたはそんな風に微笑むのかしら)



王様だった人なのだから、このくらいのことは造作もないのだろうか。

リーフェットを殺す時も、にっこり笑うのだろうか。



「どうして、いつもこういう時間なのですか」

「うーん、寝起きの君は少し警戒心が弱まるからかな」

「………アンは、………やっぱり私が嫌いです?」

「最初から何てことを聞くんだ。僕は、リーフェットが大好きだよ。何度も言っただろう?」

「でも、………昨日は、私が刺繍魔術を使って、失望したのでしょう?」


そう尋ねると、アンが小さく息を呑んだ。

直後、伸ばしていた手で強引に抱き寄せられてしまい、リーフェットはむがっとなる。


「………リーフェット、違うよ」

「違いません」

「違うんだ。………でも、怒っている」

「ふにゃ……」

「もっと君のことをちゃんと見ているべきだった僕や、君に、君は何も出来ない出来損ないだと信じさせ続けた君の家族に、とても怒っている」


その言葉に、リーフェットは目を丸くした。

吐息が触れるほどの距離でこちらを見ていたアンが、ふっと安堵にも似た息を吐く。


「………私に、じゃなくて?」

「まさか。………ねぇ、リーフェット。……………昨日のようなことが起きた時、刺繍魔術で身を守るのは、適切だと思うかい?」


言われて思い出さずとも、リーフェットだって刺繍が不利なのは承知している。

一刻一秒というときに、刺繍をするだけの時間を稼ぐのは確かに容易なことではない。


刺繍魔術は凄いのだと言い返したかったが、それも出来ずにくしゅんと項垂れた。



「………時間を作るのが大変でした」

「うん。それに君は、他の魔術を使えば、難なく彼等を追い払えた筈だ。………僕は、この前の海沿いの散歩で、君がどこかの国の未登録船を海の向こうに放り投げたのを、一生忘れないぞ」


暗い声でそう言われ、リーフェットは慌てて首を振る。


「あ、あれは悪い船なのですよ!商船のふりをしてお魚を盗むのだと、レイヴィア様に教えて貰いました!アンにも、悪いやつだと言ったではないですか!」

「うん。おまけに沿岸部の偵察も兼ねているから、僕も追い返そうとはしていたよ。………でも、放り投げられはしないかな」

「私は、乱暴者なのでしょうか………」

「そうじゃないよ。僕には出来ないくらいのことが、君には出来るということだ。…………リーフェット、君は出来損ないなんかじゃない。とても凄い魔術師なんだよ」


(そんな筈ないわ。だって、私は何も出来なかったし、友達もいなかったもの。いつだって、変われるかも、変えられるかもと思っても私は間違えてしまうのに)


アンの腕の中で、リーフェットはまたくすんと鼻を鳴らした。


言われた言葉には懐疑的だが、目の奥が熱くて胸の奥がざわざわして、アンの、柔らかな毛皮を撫でるような優しくて美しい声を聞いている。

魔術師の声に魔術が宿るのなら、リーフェットは、アンの声なら素敵な魔術をかけて欲しかった。



「で、でも、アンの病気を治せません」



思わずそう言えば、アンが目を瞠った。

そして、どうすればいいのか分からないくらいに優しい微笑みを浮かべて、リーフェットのおでこに口付けを一つ落としてくれる。



「にゃぐ?!」

「……………有難う、リーフェット。………これは、ますます諦められないなぁ」

「い、いまのは駄目なやつです………」

「おや、威嚇している子猫みたいだな。でもほら、今の君は小さな子供だから、これは師から弟子への祝福だよ」

「……がるる」

「そうだね、…………少しだけ、こんな朝に相応しい話ではないけれど、………君の家族の話をしようか」

「私の、家族の話ですか?」

「うん。……いいかな?」


家族のことを考えると胸が苦しくなったが、リーフェットはこくりと頷いた。

もっとアンの声を聞いていたかったからだ。



「君の家族は、君を憎んでいたのだろう」


(…………!!)


リーフェットが針の魔女として残したことを指摘した時のように、アンは躊躇わずに最初の一言を告げた。

一度目を閉じ、リーフェットはゆっくりと目を開いた。


ここに来る前だったら、今の一言でリーフェットの心はばらばらになっただろう。


見捨てられても、会えなくなっても、ずっと心のどこかに家族に褒められたいだとか、愛されたいという願いがあった。

元婚約者達に感じた見返してやりたいというような思いばかりではなく、家族に対しては、いつか彼等が手を返して自分を愛してくれるという想像を何度もしたものだ。


でも、あの処刑の日に初めて感じた怒りや、ここに来てから初めて触れた本物の優しさや好意のお陰で、あの場所にあったものを取り戻しても幸せになれないと理解出来るようになった。

リーフェットの欲しいものは、あそこには育たないのだと認めることが出来た。



「……………ええ。そうなのだと思います」

「魔術の大家とされる一族の者達が、君の才能に気付かない筈がない。だから彼等は、ずっと君を憎んでいたのだろう」

「………私の才能………?」

「治癒や薬草などの高位魔術というものはね、とても希少なものなんだ。血統に受け継がれる特等のそれを、君を針の魔女として利用したあの国の王家がどう扱うかは想像に難くない。だから彼等はずっと、恵まれた生活を享受しながらも、どこにも行けなかったのだろう」

「どこにも行けなかった………?」


思わぬ方に転んだ話に、リーフェットが眉を寄せると、アンが指先でおでこをなででくれる。


「君の一族は、魔術対価の置き換えすら出来た。どんな為政者であれ手放す筈がないと、多くの人間を見てきた僕が思うくらいの稀有な才能だよ。……でも、そんな風に行き先が選べないということはね、とても心を削るものだ。そこがどんなに立派なところでも、どんなに豊かでも、人間はそれぞれに個体差があって、その心に応じた夢を持つからね」

「………それは、何となくわかるような気がします」

「うん。………そしてそこに、国の管理対象となる治癒の魔術を持たず、それ以外のありとあらゆるものを持った君が生まれてきた。とても身勝手なことだけれど、………恐らく、彼等にはそれが許せなかったんだ」



こくりと息を呑み、リーフェットはいつかの雪の日を思い出した。


父の冷たい目や、母が向ける嫌悪の眼差し。

兄達に乱暴に突き飛ばされ、手を貸して立たせてくれた妹にも見ていると不愉快になると言われた。

そう言えば、リーフェットの家庭教師達は、一族の分家の者達だった。

程度は弱くとも、同じ治癒魔術を持っている。



あの、冷たくて痛くて悲しい日々。

ずっとずっと、自分の為だけの宝物が欲しかった。

だから刺繍魔術を学んだのに、それを知った家族はリーフェットを嫌悪した。



「だから、君の家族は徹底的に君の足を、心を、折って潰した。君がどこにも行けないように、君が、一人で逃げ出さないように。まるで毒を注ぎ込んで弱らせるようにして、幼い頃からずっと君を少しずつ殺していった」

「私が、………どこにも行かないように?」

「恐らくは意図的にね。………そして、そんな君に、僕はそれを得ることの危険さを伝えもしないまま、刺繍魔術の存在を教えてしまったんだ」



(そんな言い方………)


リーフェットは、ぱっと体を起こそうとしてその行動を読んでいたらしいアンにまたしても抱き締められ、むがっとなった。


でも、アンが相手だとしても、この宝物を貶されるのは嫌だったのだ。



「し、ししゅまじゅつは、私の宝物です!!」

「はは、言えてないぞ。………うん。そう思ってくれて嬉しいよ。勿論、魔術そのものは素晴らしいものだし、君がそれを大事にするのも間違っていない。でも、僕はその与え方を間違えた」

「……………大好きな魔術です」

「僕も、君が刺繍をしている姿を見るのは好きだよ。だから、これからも刺繍の魔術師でいて欲しいと思う。ただ、自分にはそれしかないのだと思い込んでしまわなくてもいいんだよ?」

「私は、………刺繍の魔術師です」


そう言い続けないと大好きな刺繍魔術を取り上げられてしまう気がして、リーフェットは頑固にそう言い張った。


「けれども君は、それ以外の魔術でも他者が羨むくらいの才能を持つ特別な人間だ。それなのに、僕が、たった一枚の金貨のように刺繍魔術を与えたせいで、他の才能を蔑ろにし続けてきた」



たった一枚の金貨と言われて、確かにそうだと思った。


価値のあるもの、素敵なものはそれだけだ。

リーフェットの人生に於いて、美しいものは、刺繍魔術と、それを手にしたあの日だけだった。



(………ここに、来るまでは)



「昨日の事だって、刺繍魔術しか真っ当な武器がないのだと信じるあまり、君は自分の身を危険に晒していたんだぞ。………あんな連中なんて、君に触れる前にどこかに吹き飛ばして仕舞えば良かったんだ」

「ふきとばす……」

「いいかい、今度からは必ずそうするように。君が刺繍を終えるまでの時間が、次は君を殺すかもしれない。………僕は、昨日それを思い知らされた。………君の人生の祝福になるように刺繍魔術を与えたつもりだったのに、これではまるで災いだ。自分にはこれしかないのだと呪いのように君の世界を閉ざしてしまっている。…………そのせいで今度は刺繍魔術の下からどこにも行けなくなった君にもしものことがあったら、…………それだけは耐えられない」



(え………)



「……………え?」

「リーフェット………。ここで、信じられない言葉を聞いたという顔をするのが、僕にとってどれだけ残酷なことなのか知っているかい?………約束しただろう?僕は、君を傷付けないって!」

「それは、………本心だったのですか?」

「え、そこから………?もしかして、ずっと、僕がいつか君を害するのだと思っていたのかい?!」

「でもそれは、当然の権利でしょう?………アンが私を処刑したとしても、その判断は間違っていません」


きっぱりとリーフェットがそう言えば、アンはとても悲しい顔をした。

それから、少しだけ悪い顔をした。



「それが正しい判断なら、僕は間違った決断をした。君を処刑せずに、それどころか君と一緒にあの国から逃げ出してしまったんだから。………でもね、後悔していないよ。ねぇ、リーフェット。ここでの生活は、なかなかに楽しいと思わないかい?僕は、大好きだ。また、休日には雨降り鯨亭に行って、海沿いの散歩道を歩こう。美味しいケーキを食べて、一緒に朝食を作ろう。そんな風に君と暮らせたら幸せだろうなぁ。………君が作る妖精の薬は最悪もいいところだが、それも我慢するよ」

「……………ふぇ」



ぼろぼろと涙がこぼれたのは、今度こそ、アンの言葉が本心からだと分かったからだ。

でも、どこかでアンが、そんな未来が来ないと思っているように思えたからだった。



(どうしてあなたは、もう二度と戻れない人みたいに、そんな事を言うの?)



それは。今の体調不良に関係あるのだろうか。

先程、アンにいつもどうして寝台の中で話すのかと尋ねたが、それはアンが体調を崩して未来の何かを諦める時に、言い残してゆくことを探しているみたいにして話すからではないのか。



「だから君は、自分の手で、この国で君が生きていく為の基盤を作れ。誰の目にも疑いようのない功績を残せば、君を害する者は圧倒的に少なくなる。その為に、君が僕の代わりに嵐を収めるようにしたんだからね」

「…………ええ?!」

「組織に属して生きるしかない生き物にとっての特別さというものはね、持っていると知られたら最後、それを異端に仕立てられない為に、何とかして善良な隣人だと知らしめなければならない。秘密を残せば、それは必ず自分を殺す毒となる」

「だからアンは、課題だと言ったのですか?」

「うん。勿論、ある程度こちらの作業分担がないと結局は君を守れなくなると自覚したからでもあるし、君の方が僕より上手くやるだろうという、この国の魔術顧問としての意見でもあるよ?」



少しだけ悪戯っぽく厳しい顔をしてみせてから、アンはリーフェットの頭を撫でた。



(………アンは、どこかに行ってしまうの?)



「………そうしたら、また来年の夏至祭には、一緒にお誕生日出来ますか?」

「…………うん」

「う、嘘は吐きません?!アンのことを信じてもいいのなら、必ずお誕生日に一緒にケーキを食べて下さい!」


リーフェットが頑張って掴みかかると、アンは情熱的で困ったなぁと笑っている。

けれども、最後まで約束するとは言ってくれなかった。




「がる………がるるる!!」

「……………リーフェットは、何で唸りながら薬を作っているんだ?」

「うーん、ちょっと色々とあったからね」


身長を嵩増しする為に台に乗り、くつくつと煮える鍋の中身を掻き混ぜながら、リーフェットは荒ぶる思いに唸り声を上げていた。


「…………話は出来ているんだろうな?」

「いやはや、人間は繊細で面白いね。僕はこれでもなかなか人間と深く付き合ってきた方だけど、それでもすれ違ってしまうところだった。…………いや、本当に怖かった………まったく通じてなかった。ちょっと泣きそうになった……………」

「もしもの場合は俺がいるからいいんだが、とは言え、不安にはさせるなよ」

「はは、そういう意味では後見人もいいものか」

「がるるる!!!」



リーフェットは、怒っていた。


すっかり誑かされた上で置いていかれたら、リーフェットはどうすればいいのだろう。

おまけに、レイヴィアもレイヴィアではないか。

この国に必要な人材だと思うのなら、しっかり捕まえていてくれないといけないのだ。



(この薬で元気にして、問題の原因もどうにかして、どこにも行かないように誑かしてみせる!!)



唸りながら薬を煎じるリーフェットに、くすりと笑ったアンが小鍋の中を覗きに来たが、中身を見るとぎゃっと逃げていった。


今回は、とっておきの薬にしてみせようぞと、効能を高める為に薬草を濃縮させる魔術を使っている。

綺麗な緑色の妖精の薬がどす黒い緑になったが、様子を見にきたレイヴィアが、とんでもないが妖精の薬として成り立ってはいると保証してくれたので問題ないだろう。



「リーフェット…………、そ、それはちょっと」

「一滴も残さずに、全部飲んで下さいね!」

「えええ………」



現在、リーフェット達がいるのはアンの屋敷の食堂である。


レイヴィアが昼食を公爵邸から届けてくれ、その場で一緒に昨日のことやこれからの対応などについて話し合いをすることになったのだ。


しかし、腰に手を当てて睨みをきかせるリーフェットに無理矢理薬を飲まされたアンがくしゃくしゃになってしまったので、話し合いの前に休憩が挟まれる事となった。




「さて、まずは昨日の議会で挙げられたビアド公爵側の主張だが、……アンブラン、用意はいいか?」

「………今度から濃縮はやめよう。控え目に言っても、僕の舌がおかしくなる」

「がるる!」

「その代わりに、カーテンの散歩を頑張るから、薬はもうちょっと控え目に…」

「ん?……カーテンの散歩?」



昨日の議会で、ビアド公爵は墓穴を掘った。


自ら議論を持ち込んだ議会の場で、義弟でもある子爵と子爵邸で雇われた騎士達の行いに対し、指示を出したのは公爵ではないかとレイヴィアに追求されたのだそうだ。


対するビアド公爵は、リーフェットが災いの魔術を持っているので、子爵は何としてでも被害が出てリーフェットが心を病むような事故が起こる前に保護しようとしたのだと主張したらしい。


ビアド公爵家では、そんなリーフェットの保護と指導が可能だというのが公爵の言い分だった。


王女の得た祝祭の主人の庇護があり、その力の一端を借りた上での対処が可能であるらしい。

そんな事を言っていいのだろうかと思ったが、外務院の仕事を助けるという建前で、王女がビアド公爵家にも祝祭の加護を振り分けているというのは、有名な話なのだとか。



「そこでね、僕が君も祝祭の加護を受けているという話をしたんだ」

「………そうだったのですね」



リーフェットに今回の経緯を説明をしてくれているアンの様子は、いつもと変わらない。

今朝の話をした時の、どこか悲しそうな微笑みは払拭されていた。


同席しているレイヴィアの表情は硬いが、アンが休憩している間にケーキを手土産にやって来たジスファー公爵はうんうんと頷いている。


なお、クレア公爵は辺境域の守りを引き受ける人物なので、自領に戻っており今回の会議には出席していなかったのだそうだ。

元よりそうそう王都には現れない御仁で、レイヴィアが公爵の役割を代行することも少なくはないのだとか。



「勿論、ビアド公爵は信じなかった」

「……………当然だ。そもそも、まだ子供のリーフェットを、あんな議論に引き出すべきではないと、俺すら思った」

「だが、前からこの話もしていただろう。もし、この子がある程度大きな魔術を使えることが知られ、相手がそれを理由に何らかの主張をした場合は、いっそこちらの手札の幾つかを公なものにしてしまった方がいい。魔術に対する人々の興味は、その立ち位置によって評価が変わるものだ。だからどうした、みんな知っているぞと言えさえすれば、人々はこの子を糾弾する術すらなくなる」



アンは、であれば、近くルスフェイト沿岸部に到達すると言われている魔術性の嵐を、リーフェットが抑えてみせると言ったのだそうだ。


リーフェットが夏至祭の愛し子である事を明かし、正しい祝祭の祝福は願い事の魔術を帯びるので、気象的な災いを退ける事は簡単な筈だと。


そんな事ができる筈が無いと言う公爵家に、アンは、祝祭の加護を受けているリーフェットなら簡単に出来るのにと言い切り、あの流れになったらしい。



「君は、思う様に議会を転がしてくれたな」

「はは、ご謙遜を。最後に話をまとめたのは、ジスファー公爵では?」

「だが、今回はこちらにも祝祭のカードがあって幸いだった。ましてや、収穫祭とは比べものにならない大祭だ」

「と言うより、リーフェットが大魔術師級の実力者だったのが、一番の幸運なんですよ。信頼の出来る支援者を持ち、周囲の者達が納得出来るような功績さえ得ておけば、以降は彼等より力を持つ事も出来る」

「ふむ。それは任せ給え。リーフェット、今日は七種類のケーキがあるぞ」

「けーき……!」

「おかしいな。後見人は俺なんですけれどね………」




(…………でも、本当に、私に出来るの?)



皆の間では、リーフェットが凄い魔術師で、嵐なんてどうにか出来てしまえるというのが前提のようだ。

けれどもリーフェット自身は、迫り来る嵐をどうすればいいのかさっぱり分からない。


刺繍魔術を使わずに他の魔術で収めるとしても、嵐というものに対してどのような手段が適切なのかが、そもそも分からないのだ。



(もし、出来なかったらどうしよう………)



そんな最悪のことが起きれば、リーフェットはビアド公爵の手に預けられ、第一王女にその処遇が委ねられてしまうのだろうか。

おまけに、それだけでは済まない実害が、この国の、よりにもよって王都に出る。



裁判の時に投げつけられた人々からの怨嗟の声を思い出し、リーフェットはぶるりと身震いした。




「…………けれど、一番幸運だったのはね」

「むぐ?!」



ひょいと抱き上げられ、アンの膝の上に乗せられた。

レイヴィアやジスファー公爵の前なのにと、目を丸くしたリーフェットを、アンがぎゅうと抱き締める。



「君が、祖国の問題に触れて、人々の暮らしまでを背負うというのがどういうことなのかを、知っているということだ。そして、子供の君は、それを大義名分にしてこれからもずっと多くの助力や教えを得てゆける。君が知らずに間違った道に入らないよう、誰かの手を借りて歩いてゆくことが出来るのも、新生活の上ではこの上ない利点だろう」



(ああそうか…………)



アンの言葉を聞いて、リーフェットは理解した。




(ここは、やり直しの場所なのだわ)



自分と向き合い直して魔術を学び、リーフェットが針の魔女とは違うものになれるかどうか。

何一つ得られずに蔑ろにされてきた子供が、今度こそ自分を信じ、自分を手助けしてくれる人々と生きていけるかどうか。



(全部、全部、私が得られずに失くしたものばかりだった。………アンは、それを一つずつ、私の手に戻してくれようとしているんだ……)




リーフェットは、小さな手をぎゅっと握り締め、これからのことをたくさん考えた。


いつの間にかリーフェットの前のテーブルには沢山のものが並んでいて、欲しいものが幾つも増えている。

どこにも行けなかったあの頃とは違い、こんなに素敵なものを守る為なら、何だって出来るのかもしれない。



「………リーフェット、二階で何かが暴れていないか?」

「カーテンです!お散歩の時間なのかもしれません」

「リーフェット、僕は今からオレンジのタルトを食べるところだから、カーテンには待って貰おうか」

「まぁ。拗ねてしまいますよ?」

「ほう。かねてより興味があったんだが、僕が代わりに散歩してもいいかい?」

「よし。今日はジスファー公爵が散歩してくれるらしいぞ!」

「お散歩は、アンの健康にもいいのですよ………」

「え、………もしかして、カーテンの魔術を解かなかったのは、その為かい?」

「もうお歳なのですから、適度な運動で体が衰えないようにしなくてはなりません。その為にもお散歩が必要だと思ったのです」



胸を張ったリーフェットがそう言えば、アンは、レイヴィアとジスファー公爵に、なぜか肩を叩かれている。


しかし、がくりと項垂れた元ローベア国王は、ここで交渉力に長けた人物らしい狡猾な作戦に出た。



「じゃあ、こうしよう。今日のカーテンの散歩はジスファー公爵に任せて、僕はリーフェットと海沿いの店に、いつもの揚げ蛸のタルタルソース載せを食べに行こうかな」

「あ、揚げ蛸………!!」

「近くに倉庫があるから、君の好きな子猫達もいるぞ」

「にゃこす!!」



かくしてリーフェットは、海沿いの美しい街並みを見ながら、気取らない店の外のテラス席で揚げ蛸を頬張る贅沢と引き換えに、今日だけはアンをカーテンの散歩から解放したのだった。



ジスファー公爵は、カーテンと仲良しになったらしい。








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