11: 人攫いと災いの刺繍
二公爵との対面が終わってから、十日ほどが経った。
季節はすっかり冬の入りという頃合いで、ルスフェイトの街も冬支度に入るようだ。
海からの風が吹くので比較的温暖な土地だというが、それでも冬の祝祭の頃には雪が降る。
初雪が降ると、人々は冬至の飾りつけを行うのだとか。
この土地最大の祝祭の季節だ。
(でもその前に、…………何か王都でお祭りがあるのかしら)
リーフェットはその日、二人の騎士と共に街に出ていて、一緒にいる第三席の騎士であるドーレンと、五席のジリアムが、街のあちこちの説明をしてくれる。
今日は、昨晩からアンが泊りがけの勤務だったので、クレア公爵邸から王宮までの送迎を、街の騎士団との打ち合わせに来ていたこの二人が行ってくれることになったのだ。
「…………あちこちの扉にリースが飾ってありますが、何かお祭りがあるのですか?」
「ああ。収穫祭だな。王都では王女殿下の誕生日という印象の強い日だけれど、麦を使う商売をする店にはああしてリースを飾るんだ」
「……………収穫祭?」
さり気なく尋ねたリーフェットに、ドーレンが思いもかけない答えをくれる。
呆然としているリーフェットに何を思ったのか、王都ではあまり大々的に行わない祝祭なのだと付け加えた。
「しゅ、しゅかくさいは、これからなのですか?!」
「うん。とは言え、こちらでは商業ギルドや個人商店でああしてリースを飾るくらいかなぁ。ちびが楽しい事はないと思うぞ」
「だ、だとすると、王女様は本当に収穫祭の庇護を持っているかもしれないのですね」
「どうだろうなぁ。ああいうのってさ、高貴な家に子供が生まれると、その一族と関りのある妖精や精霊が、結構いい加減に祝福を贈るんだよね。王女殿下の場合、それを本気にしているってこともないとは言えないからなぁ。…………団長の事だって、知らずに婚約の打診をしていたくらいだし」
リーフェットは青ざめてしまったが、ジリアムは懐疑的な様子であった。
ドーレンが抱き上げているリーフェットの顔を覗き込み、もう攫わせないからなとにっこり笑う。
「でも、収穫祭の日がお誕生日だったのですね」
ジリアムたちは知らずとも、夏至祭生まれのリーフェットが、夏至祭の系譜の魔術を持っていると言われたばかりではないか。
祝祭の日に生まれた子供の全てが祝祭の庇護を得るとは限らないにせよ、何らかの付与を得ている可能性はある。
(け、警戒しなくちゃ…………!!)
突然びゃんと背筋を伸ばしたリーフェットに、ジリアムとドーレンは顔を見合わせていた。
だが、ちびころのままとは言え、最近は妖精の薬なども作れるようになったリーフェットは、順調に魔術師としての階段を登っているところなので、小さな懸念も見過ごさないのである。
(元の姿に戻れるような方法は、ちっとも思い浮かばないけれど!!)
実は、アンの手助けをするという意味で、自分が元の姿に戻るという事も視野に入れてみたのだ。
だが、アンの為に考えている刺繍図案を完成させる以上に難しい事だったので、今は保留としていた。
処刑の日の刺繍と逆のものを作ればいいのかもしれないが、現段階では加減の調整が出来ないのが恐ろしい。
(そして、あの日に私が完成させたのがちびころ刺繍だとしたら、やっぱり、環境や時間を動かすような魔術は扱いや認識が難しいのかもしれない。アン用の刺繍も、慎重に考えていかないと……………)
「ああほら、花売りだ。この時期は収穫祭の飾りも売っているんだ」
そんな事を考えていると、ドーレンが街の一角を指さした。
「まぁ。綺麗な花籠ですね。こちらの収穫祭では、お花の準備もするのですか?」
「麦穂を思わせる黄色の花を、麦のリースに飾るのが流行っているらしい。元はと言えば、ベルティーナ殿下がそうされたのがきっかけだとか」
「あー、やりそうですね王女様」
「ジリアム……………」
ジリアムは遠い目をしていたが、とは言え第一王女は市井では一定の人気もあるのだとか。
惜しみなくお金を使い、外交と商業ギルドを治める公爵の後ろ盾を持つ王族である。
ビアド公爵家が商業ギルドの設立に関わっているということもあり、商人達にとっては、あまり市井に姿を見せない第一王子や、そもそも国内にいない第二王子よりも身近な王族なのかもしれない。
「ちび、花でも買ってやろうか?」
「…………黄色以外のお花なら、吝かではありません」
「お、いっちょ前に好みを出してきたか」
「がるるる!」
「何色にする?」
意地悪な顔をしてみせたが、ジリアムはそれでも花売りに片手を上げてこちらに呼んでくれた。
花籠を持った可愛らしい少女が、ぱっと笑顔になるとこちらに走って来る。
「ぴんくです……………」
少し躊躇ってから、リーフェットは、ずっと好きだった色をこっそり伝えてみた。
自分の髪や瞳の色的にあまり似合わないのだが、白やピンクなどの可憐な色合わせは大好きだ。
似合わないと言われてしまわないだろうかと考えてはらはらしていると、ジリアムは頷いて花売りの少女に、籠に詰めた小さなブーケの中から、ピンク色の花のものを取って貰っていた。
(綺麗な花を小さなブーケにして、紙で包んで売っているのだわ。お花も綺麗だし、売っている女の子の身なりも綺麗だから、私の祖国で花を売っていた子供達とはだいぶ環境が違うのかもしれない)
リーフェットの祖国では、花売りは貧しい子供の仕事だったが、ルスフェイトでは観光客や裕福な王都の住人などが気軽に買って帰れる商品として、ある程度質のいいものが売られているようだ。
ふむふむと思わず籠を覗き込んでしまい、気付いた売り子の少女が笑顔になる。
「まぁ、なんて可愛いお嬢さんかしら。………収穫祭用の、三つ編みリースもあるのよ」
「三つ編みリース………」
子供が喜ぶと思ったのか、黄色い花で飾られた麦藁の三つ編みリースを見せてくれた花売りに、ジリアムが奥で笑いを堪えている様子が見えた。
よりによって収穫祭のリースだが、ここは目の前の少女の好意に応えるべく、一度は手に取った方がいいのだろうか。
かつての自分と同じ年頃の少女からこんな風に優しい目で見られたことがなかったリーフェットは、すっかり動揺してしまい、差し出されるがままにリースを手にしてしまった。
その時のことだった。
(……………え)
がくんと、視界が翳り強い風の中に立たされているように体が揺れる。
遠くでドーレンとジリアムの声が聞こえたような気がした後、リーフェットはいつの間にか自分の足でどこかに立っていて、手には麦藁の三つ編みリースを持っていた。
風に大きくスカートが揺れ、それが収まるとリースに飾られていた黄色い花が足元に散らばる。
一瞬、何が起こったのか分からなくて、リーフェットは大きく息を吸った。
そろりと周囲を見回し、小さく息を呑んだリーフェットは、持っていたリースを取り落とした。
「これが、クレアやジスファーが肩入れしているという小娘か」
「間違いありません。一度、殿下の庭で見ておりますゆえ」
「……………見栄えはまずまずだが、頭が悪そうだな」
「仕方がありません。何が起こったのかすら、理解出来ていないでしょうから」
リーフェットの正面に立っていたのは、一人の貴族だった。
歳の頃は、ジスファー公爵よりは若く見えるが、先程まで一緒だったジリアムであれば、父親とも呼べそうなくらいの年齢に見える。
端正な面立ちと言えなくもないが、嘲るような眼差しのせいで淡白な造作に見えた。
(……………魔術の条件召喚だ)
それに思い至り、ぞっとする。
これは、特定の品物や条件を魔術の網として、獲物を捕らえる為に使う狩りの為の魔術だ。
リーフェットは狩りは苦手だったが、それでも子供の頃は、使用人達と一緒に雪山に出されたことがあり、この魔術を使ったことがあった。
(な、なんてことをするの。この魔術は、巻き込み事故や誤送も多いから、人間にだけは使ってはいけないって、私ですら知っているのに…………!!)
あちらとこちらでは管理が違うかもしれないが、証拠にリーフェットは後退りしようとしたところで足が縺れた。
取り寄せの魔術の中で振り回され、平衡感覚がおかしくなっていたのだ。
「もういいと、あいつに伝えておけ。無差別の罠をそのままにしておくと余計な獲物がかかりかねない」
「承知しました。……………おい、獲物がかかったと伝えて来い」
「は。かしこまりました」
貴族らしき男に命じられ、その傍らに立っている騎士装束の男が部下に何かを命じている。
リーフェットを捕らえて何かを緩めるのだとすれば、この魔術召喚を行った魔術師がどこかにいるのだろう。
男達の視線が落としたリースに注がれたのを見て、リーフェットは何を媒介にされたのかに気付いた。
(このリースを使ったのだわ……………)
収穫祭のリースを使ったのは、果たして偶然だろうか。
そう考えてまたひやりとしていると、ざりっという音が聞こえ足元が揺れる。
「……………わっ?!」
思わず声を上げてしまってから、リーフェットははっとした。
がくんと体がのけぞりかけて見えたのは、もしや船のマストではないだろうか。
慌てて周囲を見回すと、どこかの作業場か工房だと思っていたのが、大きな船の甲板だと理解する。
まさか船の上に呼び落されたとは思わなかったので、特徴的な床の構造などを見ても思い至らなかったのだ。
(ど、どうしよう?!船でどこかに連れていかれる!)
アンやレイヴィアたちが魔術でどこまでを可能とするのかは分からないが、とは言え船が沖に出てしまえば、追いついてリーフェットを回収するのは手間がかかるだろう。
離岸する前にここから逃げ出さねばならないと焦ったリーフェットは、そんな思いが顔に出てしまっていることに気付かなかった。
「逃げられると思っているようですね。……どうしますか?」
「義兄上は、連れて来いと仰っていたのだがな。………殿下は目障りだと仰っている。適当に弱らせて、季節外の品であまり出入りのない倉庫にでも転がしておけ。迷い込んだまま衰弱して死んだと思わせるのが一番障りがない」
「万が一があるといけませんので、助けは呼べないようにしておくべきでしょう」
「意図的に傷付けられたと見えないよう、木材や縄などを使えよ」
(き、聞こえているんですけれどー?!)
目の前にいるのが子供姿のリーフェットだからか、人攫い達は何の配慮もなかった。
会話の内容が理解出来ていると思っていないのか、こんな子供一人どうにでも出来ると思っているのか、遠慮なく恐ろしい会話をしている。
竦み上がったリーフェットが慌てて後退すると、かつかつと音がして、周囲に複数の影が落ちた。
伝達に行った騎士の部下が戻ってきたのかと思ったがそうではなく、新しく現れた数人の男達に取り囲まれ、リーフェットは途方に暮れる。
(子供姿になって危険な目に遭うのなら、せめて、相手は子供だと思って甘く見るべきじゃないの?!どうして、大人の男性でも抗えないかもしれないような布陣を敷いたの?!)
「魔術師の弟子だからな。喉を潰しておけ。ただし、意図的に見えないように、転んで怪我をしたように見せかけろよ」
「了解しました」
(アンの弟子だからだった…………!!)
警戒されている理由は分かったものの、状況は最悪だ。
あまりにも残酷な命令が聞こえてきたので、そればかりは避けねばならない。
だが、ここから何としてでも逃げ出すなら、どこかでリーフェットの魔術を動かせるくらいの時間を稼がねばならなかった。
(私の魔術は、こういう場面向きじゃない!)
そんな嘆きを心の中で叫びつつ、怯えたように周囲を見回すと、少し離れた位置に木材などを積み上げた作業場のようなものが見える。
どのような用途で置かれたものかは分からないが、今のリーフェットの体なら、あの隙間に入れるのではないだろうか。
少しだけここにいる者達の目から逃れ、今も子供用コートの下に下げているポシェットから刺繍道具を取り出し、手早く刺繍をするまでにどれだけの時間が必要だろう。
騎士の命令への答え方からすると、リーフェットを取り囲んだ男達はただの荒くれ者という訳でもなさそうだ。
思ったより身綺麗な様子や、先程の言葉遣いからすると騎士かそれに準じる仕事に就く者だろう。
そのような者達である以上、子供だから侮ってくれるという事はなさそうだ。
「…………っ!!」
向こうが動いてからでは遅いと走り出そうとして、リーフェットは、自分で思っていたよりも短い足のせいで、すぐさま手を伸ばした男の一人に掴まった。
がしっと髪の毛を鷲掴みにされて引き摺られ、あまりの痛さに目がちかちかする。
それでももがいていると、がつんと強い衝撃が背中にぶつかり、一瞬息が止まった。
「っ、げほっ!」
蹴られたのだと気付き、リーフェットは怖くて身が竦んでしまった。
しかし、その致命的な一瞬に、リーフェットを蹴った騎士は、暴行を受けた証拠が残る程の怪我を負わせるなと先程の貴族の男性に叱責されているようだ。
そして、その一瞬をリーフェットは逃さなかった。
「むん!」
髪の毛を掴まれ、背中を蹴られたちびころは容赦しなかった。
海風と本人が着ている服の布地そのものも使い、まずはリーフェットの髪を掴んだ男を容赦なく転ばせてしまう。
その際に自分が巻き込まれないようにする為に、びしゃっと雷に似せて練り上げた魔術を肩にだけ流してやった。
ぎゃっと声を上げて転がった男に、他の者達が瞠目する。
だが、リーフェットは彼等が事態を理解するよりも前に、周囲にあった海水をこれでもかと持ち上げ、自分だけを避けるようにして甲板にぶち撒けてしまう。
ざばんと、膨大な海水が降り注いだ。
男達がぎゃあっと声を上げる中、必死に走って目星をつけておいた木材の陰に隠れると、震えてこぼれるような息を何とか呑み込み、コートの前を開いてポシェットから刺繍道具を取り出す。
一瞬、アンを呼ばねばと思ったが、先程の様子を見る限り相手は訓練された者達だ。
昨晩から夜通し嵐の対策の為に奔走しているアンを、ここに呼び寄せてもしもの事があってはいけない。
「……………えぐ」
零れ落ちそうな涙を何とか呑み込み、リーフェットは素早く魔術で銀色の美しい針に刺繍糸を通す。
糸を通した針さえ持てば、例えちびころとは言え、ここにいるのは刺繍の魔女なのだ。
大人用の道具ならいざ知らず、アンが今のリーフェットに合わせて調整してくれた刺繍道具がある。
(……………つ、捕まえてから、アンを呼ぼう。あの人達が、アンを傷付けないように)
刺繍に手をかける時間はない。
リーフェットは、ちらりと頭上を見上げ船のマストを視界に収めると、大きな帆布にお土産包みにされた男達の姿を素早く刺繍した。
大事な刺繍魔術で人をどうこうするのは嫌だが、とは言え拘束くらいならいいだろうと思ったのだ。
(六人だった気がする。思い浮かべて、簡単な図案でも彼等を思って刺繍すればいい)
指先で針が煌めき、いつでも魔術が使えるようにと刺繍道具の箱の中に用意してある柔らかな布に糸を通してゆく。
大きな図案や繊細な刺繍をするには向かない生地だが、こうして魔術行使そのものを目的とする場合は、今のリーフェットの小さな手に丁度いいのだ。
刺繍を終えると、ぎゃあっという声が再び聞こえた。
船の大きなマストを固定していた縄が解け落ち、波の攻撃から何とか回復し、リーフェットを探そうとしていた男達の上にばさんと覆いかぶさったようだ。
「……………むぅ」
怖々と顔を出してみると、リーフェットの想定とは少し違うが、マストの固定に使っていたロープが重いのと、思ったよりも布そのものにも重量があるのか、男達はすぐに脱出出来ずにいる。
リーフェットは、しっかり覆えなかったのでと、すぐさま帆布の端を壊れた家具の修理で使っていた固着の魔術で固定してしまい、ふうっと息を吐く。
そして、漸くアンの名前を呼んだ。
「リーフェット!!!」
アンは、魔術の道を使ったものかすぐさまに船の上に駆け付けてくれた。
本当に声が届くのだなということにも驚いたし、間を空けずにすぐにレイヴィアを含む騎士達が駆け付けてくれたことにも驚いた。
とは言え本来は王宮や王都の守りをするべき騎士なので、五人程である。
だが、騎士団長以下、第三席と五席が揃えばかなりの過戦力だろう。
守れなくてごめんと涙目のジリアムと真っ青なドーレンは、仕事をしろとレイヴィアに追い払われている。
レイヴィア本人はアンが抱き上げたリーフェットの側にやって来て何が起きたのかを簡単に聞くと、すっと表情をなくし捕らえられた者達の方へ向かった。
「……………怪我をしているじゃないか」
「えぐ……………。わ、私を追い払う為に、喉を潰してどこかに捨てようとしていました」
「……………そうか。あの下にいる連中は、そのまま海に投げ込んでも良さそうだな」
アンが片手でそっと頬に触れ、傷を治してくれる。
リーフェットは、ここでも魔術を消耗しているのではと申し訳なさでいっぱいだったが、アンの腕の中に戻るとほっとした。
アンの肩にぎゅうっと顔を埋めると、涙が止まる。
くしゃくしゃになった髪をそっと直してくれたアンが、痛ましげに顔を歪めた。
「ごめん。僕が、君の側に居るべきだった………」
「今回は、無差別に罠を仕掛けて私を攫おうとした魔術召喚だったのですよ。ドーレンさんも、ジリアムさんも誰も悪くありません」
「……………魔術召喚か。……………リーフェット、それは?」
「刺繍です!これで、えいっと捕まえました」
リーフェットが握り締めていたものに気付いたのだろう。
アンに指摘され、リーフェットは悪者を捕まえた刺繍を見せる。
しかし、てっきり褒めてくれると思っていたアンは、その刺繍を見た途端に顔を曇らせた。
「……アン?」
「……………刺繍魔術で、身を守ったのか」
「………は、はい。私は、刺繍の魔術師なのです」
「けれど、この甲板の様子を見るに、他の魔術でも抗ったのだろう?」
「ええ。刺繍をする余裕がなくて捕まりそうになったので、風や海の水を使いました」
「それなのに、最後は刺繍を使ったのか。……いや、それでなければと君は思ったのだろうな」
「……………アン?」
どうしたのだろうと思い首を傾げたリーフェットは、マストの下にいた男達を拘束していた騎士達の方が、俄かに騒がしくなったことに気付きそちらを見た。
すると、明らかに騎士とは違う身なりの男性が、甲板に現れたではないか。
「私の所有の船で騒ぎになっていると聞いたが、これはどういうことだ」
そんな声が聞こえてきて、リーフェットはレイヴィアが対応している背の高い男性を見た。
くすんだ灰茶色の髪を一本に結んでいる男性も、先程の男の様に貴族的な装いだが、明らかに身に纏うものの質が違う。
装飾だけで言えば先程の男性の方が華美であったが、品物としてはこちらの方が上であった。
そして、そんな男性の横には、これもまた身なりのいい深緑の騎士服の騎士が二人立っている。
「このようなところでお目にかかるとは驚きですね、ビアド公爵」
「……………騎士団長。これは、私の船だ。貴殿であろうとも、無断でこのように押しかけられては困る。外交上外に出せない客人や、貴重な書簡などを運ぶ船だったら、どうしてくれるのだね」
「それについては、彼等の話を聞いた方が良いのでは?こちらで捕縛した中に、あなたの義弟にあたるヘルド子爵がいるようですが。俺が後見を務める小さな子供を、彼等が攫った理由もお聞かせ願いたい」
「攫った?……………ヘルド子爵が?」
大仰に驚いて見せたビアド公爵が、こちらを見た。
リーフェットの姿を確認し、なぜか僅かに険しい顔をする。
レイヴィアの表情はこちらから見えなかったが、聞こえてくる声は怖いくらいに冷たい。
そして、アンはなぜかリーフェットを抱き上げたまま無言でいた。
「あちらにいる、第三席と五席と一緒にいるところで、狩り用の召喚魔術を使ったようですね。人間に使うには、随分と乱暴なもののようだ」
「ふむ。……………それは確かなのかね。到底信じ難いのだが、義弟と話をさせて貰っても?」
「それは構いませんが、解放は許可出来ません」
「構わぬさ。話せば誤解が解けるだろう」
(……………どうして、あんなに冷静なのかしら)
ふと、嫌な予感がした。
だから、アンも黙っているのかもしれない。
すぐにジリアムが先程の意地悪な貴族服の男を連行してきて、ビアド公爵の前に立たせる。
海水を全身に浴び、更には上からマストが落ちてきたということもあり、侯爵の義弟は酷い有り様だった。
リーフェットは、移住者という立場になる自分の扱いが心配だったが、きちんと拘束されているので、国の貴族を優遇し事件を揉み消すというような判断は、少なくとも騎士団ではされないようだ。
「どういう事だ?何があったのかね?」
「……………っ、……………あの子供は危険です、義兄上。災いにも近い魔術を扱います。………偶然それを見かけ、だからこそ我々は、あの哀れな子供を、祝祭の方の下に連れてゆこうと思いました。あの方であれば、幼さ故の無謀さで恐ろしい魔術を扱う子供を救える筈だったからです」
「ほお。……………つまりそなたは、あの子供を救おうとしたのか」
「勿論です!……………ですが、すっかり誤解したようで、この通りあの子供は災いを呼びました。やはり、一刻も早く第一王女殿下の慈悲に縋り、祝祭の方の手に委ねるべきでしょう」
(……………何てことを言うの)
淀みなくすらすらと言葉が出てきているので、このような場合を見込み、予め決められていた内容だったのだろう。
そう言えば確かに、義兄上は連れてくるようにと言っていると話していたではないか。
そしてその理由はとんでもない濡れ衣であるが、リーフェットには、言われた内容を聞き流せない過去がある。
「騎士団長。……………彼の言い分を聞いたかね。小さな子供の未来を案じて行動に出た者に対し、この仕打ちとは。今もあの子供を案じている子爵を一方的に拘束するとなれば、私は抗議をしなければならないようだ」
「やれやれ、何を馬鹿なことを。抗議をなされるのであれば、議会の申請をされるといい」
リーフェットが見聞きしたことは、レイヴィアには伝えてある。
なので彼も、公爵も噛んでいると知った上で対応してくれているようだ。
「あの子供は魔術を使うのだろう。……………ここで何が行われたのか、見てわからないのかね?傷付いているのは大の大人達ばかりで、あの子供は傷一つない。子爵の主張の通りに見えるのだが」
「彼女が学んでいるのは、刺繍魔術ですよ。それも、未だに形の取れた図案を描く事も出来ないくらいだ。まだ子供ですからね」
「それが、実際には災いを動かす刺繍ではないと誰に言える?……………だが、相手はまだ子供であるし、義弟のやり方も乱暴だったのは間違いない。この件は正式に議会に上げさせていただこう。本日中に」
「……………本日中に?」
「たまたま、夕刻から嵐の対策の報告会議があったのでな。その席で議論の時間を取っていただくよう、陛下にも進言しよう。……………いいな、ギャレリーアン魔術顧問」
こちらを向いたビアド公爵の声に、アンは無言で頷いたようだ。
議論の内容が内容だけにリーフェットは怖くて堪らなかったが、その背中を、そっと宥めるように撫でてくれる。
「………アン」
「収穫祭の前のどこかで、君を引き取る為に、無理難題を吹っかけてくるとは思っていたんだ。君の後見人とも話し合って、クレア公爵やジスファー公爵の後ろ盾も得たつもりだったのだけれど、まさか、爵位を持つ義弟を捨て駒にしてまで打って出てくるとはね。………彼が、外交と商業を治める公爵であることを、すっかり失念していたよ。当人があそこまで切れ者だとは思っていなかった」
「そうなのですか?」
「うん。このような事になった事自体は、こちらの失態だ。だが、君を取り戻せた以上は、ビアド公爵当人が現れなければ僕達が有利だったんだ。けれども彼は、自分の盤上を管理する為に自身で足を運ぶことも厭わない人間のようだね。…………それに、ジスファー公爵が話していた意味が分かったような気がするな。………君を攫えるだけの妙なものがいたようだ」
「……………え?」
静かなアンの声に思わずリーフェットが目を瞬くと、こちらを見たアンが微笑んで首を横に振る。
何が判明したにせよ、リーフェットに言う予定はないようだ。
「だ、大丈夫でしょうか……」
「最悪の想定だったけれど、これも策を用意していない訳ではないからどうにかするよ。……………ただし、君も夕刻の議会に出席しなければならない」
「…………ふぁい」
「……………それから、リーフェット。……………君は、自分が何でも出来るのだと、そろそろ自覚してくれ」
「何でも…………?」
さすがにそんな事はないだろう。
アンの言いたい事が分からずにリーフェットが首を傾げると、アンは少しだけ悲しそうに微笑んで、ぎゅっと抱き締めてくれる。
(……………アン?)
どうしてそんなことを、はっとする程に真っ直ぐにこちらを見て言ったのだろう。
それが分からないまま、リーフェットは拘束した者達を移送する騎士達に続いて、アンと一緒に船を降りることになる。
ビアド公爵は、お付きの騎士達と共に、船の様子を見てから下船するようだ。
びゅおんと風が吹き抜け、リーフェットはゆっくりと陽が傾く海の向こうを見た。
淡く鮮やかな海の色が沖合に向けて色を濃くしてゆく様は、絵画のような美しさだ。
とは言え、生まれて初めて船に乗ったのがこんな事件とは、あまりにも不運ではないか。
(でも、船からの景色は綺麗だわ。……………海の向こうにある黒い雲が、嵐が近付いてきているからではないとい…)
「刺繍、……………確かに災いの刺繍だな。まさかこんなことになってしまうとは、思ってもいなかった」
(……………え?)
その呟きは、恐らく独白だったのだろう。
でも、リーフェットにも聞こえてしまった。
耳に届いた言葉を理解すると、ずしりと体の奥が重くなる。
悲しみというよりは絶望や落胆に近い気持ちがざわざわと揺れて、リーフェットは、手に持っていた刺繍道具の箱をぎゅっと抱き締める。
(アンは、やっぱり私を殺すしかないと思ったのだろうか…………)
自分でこの場を切り抜けられれば、アンの負担にならずに済むと思ったのだ。
でもそれは、リーフェットが危うい力を持っているという事を変えてはくれない。
そしてリーフェットは、それを使ってしまった。
(ああ、悲しいな。………凄く悲しい。……………あんな事があったのだから、アンが私を危険視するのは当然なのに、私は心のどこかではもう、アンならきっとわかってくれるとばかり思っていたんだ)
こちらに来て、アンと暮らし始めてもう二か月が終わろうとしている。
明日からは三か月目に入ることもあり、暫くは、このまま何事もなく受け入れられてゆくのだと思っていた。
それがまさか、こんなことで望ましくない方向に転がってしまうなんて。
アンに抱き上げられていても、いつものようにぎゅっと首に手を回せない。
意識して呼吸を整えておかないと、涙がこぼれそうだった。
先程の呟きが聞こえていたとは思わないのか、アンが怪訝そうにこちらを見る。
「リーフェット、まだどこか痛むかい?」
「……………大丈夫です」
「痛いかどうかを教えてくれるかな」
「い、痛くありません」
「良かった。……………来るのが遅くなってごめん。今回は、………少し手間取った」
「昨日も、体調が悪かったから…………」
リーフェットが思わずそう言ってしまえば、こちらを見たアンの青緑の瞳が僅かに揺れる。
その奥にまた、悲しみにも似た感情が見えた気がして、リーフェットはなぜだかはっとしてしまった。
『お前のような娘に、それ以外にどんな生き方があると言うのか』
遠い日に父に言われた言葉が蘇る。
アンが悲しそうにしているのは、リーフェットがどうしても刺繍魔術で人を傷付けてしまうからだろうか。
これだけの日々を共に暮らしてきたのに、少しも変わらなかったと落胆しているのだろうか。
こちらを見ていたアンの瞳に、長いまつ毛の影が落ちた。
銀色の髪を揺らす風の中で、唇の端を持ち上げて、淡く微笑む。
「…………僕も、少しやり方を考える必要がありそうだ。この程度ならと問題を軽んじ、時間がいつまでもあると考えるのは、愚か者のすることだろう。リーフェット。後で、君に一つ課題を出そう」
「課題、……………ですか?」
「うん。君ならばきっと出来るよ。………確かに僕は、ここ最近体調を崩している。君が言うように仕事の制限をかけないと、最後に必要な時に必要な役目を果たせなくなりそうだ」
「そ、そんなに………」
思わず声が震えてしまったリーフェットに、こちらを見たアンはにっこりと微笑んだ。
とても優しくて美しい微笑みだけれど、その眼差しには人ならざる者らしい酷薄さがある。
「だからね、君にはその課題を是非とも成し遂げて欲しい」
その酷薄さこそがいっそうに美しいのだけれど、何か、不吉な事が起るような予感がした。
だからリーフェットは、夕刻から行われた議会の場に呼ばれた時も、そこで、アンの提言で議決されたことを突き付けられた時も、驚きはしてもああやはりと思うばかりであった。
「汝、リーフェットに、来たる災厄の嵐の被害から、王都を守る役目を命ずる。なおこれは、汝一人で行い、その責任も一人で負う事となる」
ずっと仕上げようと思っていた刺繍の図案すら完成させていないリーフェットに、アンですら苦労している嵐の対策が行える筈もない。
おまけに今のリーフェットは小さな子供の姿をしているのだから、その提案はあまりにも無謀だと言わざるを得ないものであった。
「お待ち下さい。そのような子供に何が出来るでしょう。ここは、ギャレリーアン魔術顧問に引き続き任務に当たらせ、そちらの少女は、祝祭の加護のあるベルティーナ殿下に預けられるのが一番かと」
勿論、反論の声を上げた者達もいた。
主に、ビアド公爵を筆頭とする、外務院に属する貴族達だ。
「この少女は、ビアド公爵家が危険視しかねない程の魔術を扱えるのではなかったかね?貴殿の義弟は、それを憂い、あのような愚行に及んだと聞いているが………」
「ジスファー公爵!だからと言って、年端もいかぬ子供に、このような役目を預けるなど!」
「王女殿下とて、大人とは言えぬであろう。クレア公爵家の次男がどのような履歴なのかを知らずに恋に舞い上がり求婚するくらいには」
「…………そ、それは」
「祝祭の主人の庇護を受けているという意味では、同じ条件になる。王女として国への奉仕を約束されている殿下とは違い、こちらの少女は迷い込み保護されたばかりの来訪者だ。どこかの貴族がその力の危うさを懸念するようなので、魔術省としても彼女を国に貢献させざるを得なくなった」
(………アンは、私と夏至祭のことも話したのだわ)
リーフェットがこの部屋に呼ばれたのは、会議が始まって暫くしてからである。
その間にここで、どんな議論があったのだろう。
ただ一つ言えるのは、船の上ではあれだけ落ち着いた様子だったビアド公爵が、とても動揺していると言うことだ。
「詭弁ですな。力のある魔術師の卵を、ビアド公爵領に引き渡したくないからの間違いでは?」
「そもそも、時節の違う祝祭を並べて管理しようなど、その発想自体が愚かなのだ。君は、祝祭の主人を怒らせてこの国を危険に晒したいのか?」
「……………っ、ではその子供は、何の祝祭の加護を受けているというのです?」
「夏至祭だよ」
飄々と言ってのけたジスファー公爵に、会議場がざわりと揺れた。
「……………夏至祭だと?」
「だからこそ、ギャレリーアン魔術顧問が、こうして迷い人とまでなりて守り育ててきたのだ。この土地に迷い込んだのも、夏至祭の持つあわいを超える資質故だろう」
「馬鹿な。祝祭の中でも王のひと柱ではないか……。そうそう簡単に祝祭の愛し子など、生まれる筈がない!」
「おかしなことだな。王女殿下とて収穫祭の庇護を受けているだろうに」
「げ、夏至祭だぞ!?」
「素晴らしいことではないか。彼女をもてなし、この国で確固たる地位を与えておけば、ルスフェイトは夏の庇護も受けることになる。………ただし、貴公が言うには、その力や気質は未知のもので、子供らしい不安定さもあるものなのだろう?不用意に夏至祭の主人を蔑ろにするような声が国内に残っては、障りを受けかねないからな。それを払拭する舞台を用意し、それで結論としようではないか」
当然、議員や招聘された高位貴族、各部門の責任者たちの中には賛同しかねるという表情の者達が多かったが、恐れ多くも議会の席に加わっていた国王陛下と第一王子殿下も、この決定には賛成であるらしい。
未だに、子供椅子に座らせられているリーフェットの方を見ると困惑した様子の者達も多いが、ジスファー公爵の言葉には、多くの者達が頷いていた。
冷ややかな表情のままでいるレイヴィアは、声を上げて反対はしないものの、何を考えているか分からない。
ただ、アンの方をじっと見ていることもあった。
大勢の人に見つめられて喉の奥がつかえたようになりながら、リーフェットは短い手足で淑女のお辞儀をした。
これは、決定であり提案ではない。
深々と頭を下げ、御意と言う以外に何が出来ただろう。




