挿話:変わっていく関係
先代エインズワース公夫妻の死因を事故から病死に換えました。
また、今回は2話投稿しています。もうひとつのものはとても短いので。
「ギデオン様、このまま領邸へ参りましょう。ギデオン様と、アデライン様と、わたくしとで」
ギデオンが昼も夜もわからないほどに仕事に明け暮れていた頃、新しく妻となったリディアがそう言った。
ギデオンがリディアと結婚した当時、彼には王位継承権を持つ公爵家当主として、国王の従弟として、宰相補佐として、国のためにやらなければならないことが山積みだった。
前妻であるシャーロットと結婚するより前から仕事に追われていたのだが、両親の予期せぬ逝去で正式に当主となった日から、ギデオンは王都邸に戻るどころか、睡眠や食事をとる時間すら惜しいほどに捌ききれない仕事に押しつぶされている。
仕事を他の者に分けたいのに、人材がいない。上司である宰相も同じように多忙な日々を送っていたため、一人抜けるわけにもいかず、とにかく国が回るよう、手を尽くす毎日だった。
家令から領地のためにも戻るよう何度も手紙が届く。エインズワースは昔から領主一族を支えてくれていた代官や使用人たちがいてくれる。だが、王宮には誰もいない。ギデオンの従兄である国王ジョナスは頼りなく、仕事を任せてはいけないと、叔父である先代国王から言い含められていた。
従兄ジョナスが戴冠した当時、無能な王子が国王となることに危機感を覚えた人は多かったと聞く。
だが、王家に他の子はおらず、王姉の子であったギデオンは幼児。しかたなく、繋ぎの王としてジョナスを戴冠させ、実務は有能さから娶せられたフィーガシュー公爵令嬢カタリナと、宰相であるヨルムント・シーク侯爵が担い、アークベリー公爵とギデオンの父・先代エインズワース公爵が外交を担うことでどうにか乗り越えようとしたそうだ。
宰相曰く、最初はうまくいったという。王妃カタリナは、子を孕んでなお産み月まで執務をしていたそうだが、この頃の王城にはまだ人材がたくさんおり、個人個人の負担はそこまで大きくなかったらしい。
だが、ギデオンの両親の命を奪ったあの感染症の流行が──王城を狂わせた。
幸いな──あるいは不幸なことに、中核を担っていた人物たちは、先代エインズワース公以外は無事だった。だが、彼らの手足を務めていた人材の大半が亡くなってしまい、新たな人材が育つまでは残った者たちで回さねばならなくなったのだ。
その頃にはすでに宰相室で働いていたギデオンは、父が担っていた外交と、宰相の補佐と、王族の末端として国王の執務の一部をこなすことになった。自分がもう一人いたらいいのにと思いながら、家族を失った穴を埋めるように仕事にのめりこんでいた。
──たった一人残された、娘のことなど見もしないで。
疲労困憊し、目の前の仕事を捌くことしかできなくなったギデオンの前に、アークベリー公爵が義娘リディア・アークベリー嬢との婚姻の話を持ってきたのは、両親の死から八年が経った頃だった。
感情も判断力も擦り切れすぎたギデオンは、言われるがままその婚姻を受け入れたのだが──王家の柱の一人であったリディア・アークベリーの起こした変革は、頑なになっていたギデオンや、放置されていたエインズワースを一気に変貌させるものだった。
膿んだ傷を開くような強引な面もあったが、彼女の行動はことごとく良きものに通じている。ギデオンが放置したためにおかしなことになっていた王都邸は秩序を取り戻し、一人娘のアデラインは貴族令嬢としての一歩を踏み出すことができた。そう、彼女を蔑ろにした王宮以外は皆、息を吹き返したのだ。
休息を取ったことによりまわりが見えるようになると、今度は自分がないがしろにしていたものが見えた。娘、妻、領地、領民──そして、自分自身。
我が身を振り返ったギデオンは、改めて今まで自身がどれだけ守られていたのか実感した。
国を守る側に立っていたと思っていたが、それはあまりにも思い上がった考えだった。様々な人たちがギデオンを守り、支えていたからこそ、あの場に立てていたのだ。
エインズワース公爵として、ギデオンは領地を守らねばならなかった。代官や使用人たちが支えてくれるとはいえ、彼らは領主ではない。最終決断はギデオンがなさねばならなかったのに、それをおざなりにした。
父としてたった一人の家族として、ギデオンはアデラインをしっかり守らねばならなかった。貴族の子は親手ずから育てないとはいえ、成長を見ることもなく、見捨てていい理由にはならない。
後妻として嫁いでくれたリディアを、ギデオンは夫としてきちんと向かい合わねばならなかった。十五も年上の男に嫁いできてくれたのに、初夜から放置するなど人としてあり得ないことをしていた。
どれも、国を優先しておざなりにすることではなかったのに、ギデオンは支えてくれていた人たちに甘え切ってしまっていた。
情けない。だからといって、そのままでいいわけもない。過去に戻ることはできないのだから、その分をこれから返していく必要がある。幸いなことに、ギデオンのまわりの人間はギデオンを見限ってはいなかったし、また、十分な休息を取った今のギデオンにはまわりを見る余裕がある。
もう十分守られる側には立った。次は、守ってくれていた人たちを守る番だ。
領地にこもることにしたギデオンは、宰相補佐を退くことを手紙にしたため、王宮宛に送った。
今思えば、補佐の職務以上のことをしていた。戻るとしても、あくまで補佐。いつまでもギデオンが多方向に支えていては、人材は育たない。育てるためには経験が必要なのに、肝心な経験をギデオンが奪っては意味がない。
宰相はせめて先代のように外交を担わせたいようだったが、まずは自領を優先させてほしいと返し、しばらく王宮から遠ざかった。距離はあるが、外交に関してエインズワース領から補佐ができないわけでもない。育てるべき部下たちに詳細な指示を送り、自分の代わりに現地へ向かわせる。しばらくしたら再び出仕しなければいけないだろうが、以前のようにすべての生活を王宮に費やすつもりはもうなかった。
領地を巡り、現状を把握しながらも、家族の絆を結びなおす。幸いなことにリディアがいてくれる。アデラインの心をほぐし、ギデオンの至らぬ点を支えてくれる彼女は、もはやいなくてはならない人物だ。アデラインもよく懐き、生さぬ仲とはいえ、はたから見れば完全なる仲良し親子である。
ギデオンから見てリディアは、できすぎるほどに完璧な貴族夫人だった。夫を支え、義娘を育て、使用人を把握し、家門を守っている。なぜ王子が彼女を放逐したのか、まったくもってわからない。彼女のように美しくしとやかで有能な令嬢は、どの家も大金を積んでても欲しいだろうに。王妃カタリナの後継に相応しい女性、そう思うほどリディアは完璧だった。
だが、とギデオンは思う。できすぎるほどできてしまうリディアは、ひどく真面目な気性だった。自分が頑張らねばならない環境に長らく身を置いていたせいか、一人でどうにかしてしまう癖があり、また、自分を犠牲にすることに慣れ切っていた。
──まだ、成年したばかりの年齢だというのに。
輿入れの際、まだリディアは十七だった。微笑みを絶やさず、努力の痕跡も見せずになんでもこなしてしまうが、まだ大人になったばかりの少女なのだ。
本来ならまだ大人に導かれているだろう年齢なのに、誰よりもしっかりと立ち、まわりの人間を支えている。それは王宮でもエインズワース家でも一貫している。
(彼女は、大人にならざるを得なかったのだろう)
頼りない王子を支えるため、人材不足の王宮を支えるため、犠牲になってきた少女。
自分の好きなものすらわからないくらい、幼い頃から甘えることを許されなかった少女。
そんな彼女は、全力でギデオンの娘であるアデラインを大事にしてくれている。アデラインがさみしくないよう、淑女として貴族としてやっていけるよう、愛で満たしながら育ててくれている。
甘えることを知らないのに、人を甘やかし支えることが上手なのは、リディアがそう生きてきた証左であろう。
アデライン相手ではうまくいっているが、同い年の婚約者に手を引かれるように支えてもらうことは、あの王子にとって耐えられることではなかったのが、彼女にとっての悲劇だろうか。
(エインズワースに来てよかったと、思ってもらいたい。彼女が彼女らしく、のびのびと過ごせる家にしたいと思うのは、おこがましいだろうか)
親としてアデラインを守り、領主として領民を守りたい。その気持ちと同じくらい、ギデオンはこの頑張り屋の妻を守りたいと思った。
今まで放置してきた夫でも、家族としてなら認めてもらえるだろうか。
アデラインに対しても、リディアに対しても、領民たちに対しても、ギデオンはこれから誠意を見せなければならない立場だ。今までないがしろにしてきた分、誠心誠意を込めて彼らが穏やかに暮らせるよう、努力しよう。
そう決意したギデオンは、行動を始めた。娘との時間を優先して取り、民や仕えてくれている人間を労わり、妻がのびのびと暮らせるように手を回す。
そうした結果──ギデオンは現在、窮地に立たされている。
「ふぇえええ」
なんでもそつなくこなすリディアは、けれども泣くことはとてつもなく下手だった。
様子がおかしいアデラインの元へ駆けつけると、先に娘の元へ向かっていたリディアが、身をそらして暴れるアデラインを抱きかかえながら半泣きでいたために、ギデオンはついアデラインごとリディアを抱きしめたのだ。
リディアの細腕では支えられなかったアデラインが、包まれることで安心したのか、すうっと寝始める。先ほどまでの狂乱が嘘のようにアデラインが寝静まると、緊張の糸が切れたといった様子で、今度はリディアが泣き始めたのだ。
顔を真っ赤にして、うまく息もできず、それでも堪えきれないと悲鳴のような泣き声を上げるリディアに、たまらずギデオンはその背をそっと撫でた。肩も背も、驚くほどに細い。自身が呼吸もままならないほど不器用に泣いているのに、それでも胸の中にアデラインを大事そうに抱えて手放さない。
その姿に、どうしようもなく胸を突かれた。守りたいと思っていたけれど、それ以上の、なにかよくわからないような衝動に駆られる。
その衝動をどうしていいかわからぬまま、ギデオンはリディアが泣きつかれて眠ってしまうまで、彼女と己が娘を抱きしめたままでいた。




