第40話:信長公の幻影 ―― 常敗の勝者が手にした幸福。
1. 巨大メガシティの喧騒と、過去の怪物
江戸の街の発展スピードは、現代日本の東京の原型を見ているようで、時に元コンサルタントの私すら圧倒される。
立ち並ぶ大店、行き交う無数の人々。
天下の総資本がこの巨大なサプライチェーンへと流れ込み、江戸幕府という「新会社」は、かつてない超巨大ブラック企業(豊臣ホールディングス)の崩壊を経て、実に見事な安定成長期を迎えていた。
そんな江戸の街並みを、桜田邸の物見櫓からぼんやりと見つめていると、私の脳裏に、かつてこの戦国マーケットを強引にこじ開けた「ある男」のビジョンが蘇ってきた。
「……西のオダ、ですか」
織田信長。
前職の現代日本で言えば、誰もが恐れるカリスマ創業会長。
圧倒的なトップダウン、一切の妥協を許さないKPI管理、そして基準に達しない役員(佐久間信盛ら)を容赦なく一発解雇(改易)する、冷酷無比な破壊的イノベーター。
かつて私と氏治が、生き残りをかけて命がけの「アライアンス(同盟)交渉」に挑んだ相手でもある。
「何を黄昏れているのだ、政貞。せっかくの焼き魚が冷めてしまうぞ」
櫓の階段をドタバタと音を立てて登ってきた氏治が、皿に乗った丸々と太った鮎の塩焼きを突き出してきた。
「いえ、殿。この圧倒的な江戸の街並みを見ていたら、ふと、かつて天下を震撼させた『織田信長公』のことを思い出しましてね。あの御方は、破壊的なイノベーションで市場を席巻しましたが……結局、本能寺という最大のコンプライアンス違反(謀反)によって、自ら築いた帝国を維持できずに退場してしまった。そう考えると、歴史というのは実に皮肉なものです」
「信長かぁ。懐かしいのう。名護屋で会った時も、目がギラギラしていて『こいつ、絶対に友達になりたくないタイプじゃ』と思ったものだ」
氏治は鮎を豪快にかじりながら、のんきに笑った。
「だがな、政貞。信長も、その後を継いだ秀吉の爺さんも、確かに凄かったが……あいつらは『勝ち続けること』しか知らなかったのだ。だから、一度の不渡り(本能寺や大坂の陣)で、会社ごと跡形もなく消えてしまった。わしのように『九度も倒産(落城)を経験したプロ』から言わせれば、あやつらの経営は、いささか情緒(リスク管理)が足りんのだよ」
「……殿に経営の情緒を説かれるとは、私も焼きが回りましたね」
私は苦笑しながら、氏治から鮎を受け取った。
だが、その言葉の本質は、私のコンサルタントとしてのロジックと完全に一致していた。
2. 天才たちが到達できなかった「果実」
よくよく考えてみれば、これほど贅沢な皮肉はない。
織田信長、武田信玄、上杉謙信、豊臣秀吉。
歴史に名を残すあまたの天才経営者たちが、自らの命と、数万の社員(兵卒)の血を流し、血反吐を吐きながら追い求めた「安定した天下」という名の莫大な配当(果実)。
彼らは誰も、その果実をのんびりと味わうことはできなかった。
信長は炎に消え、信玄は道半ばで病に倒れ、謙信は急逝し、秀吉は我が子の行く末に怯えながら狂気の中で死んでいった。
しかし今、その天才たちが命を賭して耕した市場の恩恵を、世界で一番ホワイトな形で、最も100%に近い純度で享受しているのは誰か。
――それは、戦国最弱と嘲笑され、泥水をすすり、何度も城を追い出された、この「ポンコツ主従」なのだ。
「殿、美味しいですか」
「うむ! この江戸湾の塩で焼いた鮎は最高じゃ! 誰の仕様変更も恐れずに食う飯は、どんな豪華な本膳料理よりも美味いぞ!」
氏治は口の周りを油だらけにしながら、本当に幸せそうに笑っている。
その姿を見て、私は胸の奥で、確信に満ちた満足感を噛み締めていた。
(勝者とは、最後に戦場に立っていた者ではない。最後に、一番ホワイトな環境で、誰の指図も受けずに笑っていられる者のことだ)
小田家は、土地というカントリーリスクを完全に手放した代わりに、徳川幕府の「システム(高家)」の最上層に、永久に機能するアセットとして組み込まれた。
守治様も次代の経営者として完璧に育ち、幕府の信頼を一手に集めている。
天才たちが成し遂げられなかった「永遠のFIRE」を、私たちは完璧な形で手に入れたのだ。
3. 常敗の勝者が手にした幸福
「なぁ、政貞。わしは時々思うのだ」
氏治は鮎の骨を綺麗に残した皿を置き、江戸の空をじっと見つめた。
「もし、あの常陸の小さな小田城で、お前がわしの前に現れてくれなかったら……わしは今頃、どこでどんな風にのたれ死んでいたのだろうな、と」
その言葉に、私は静かにお茶をすすった。
歴史データベースの本来の記述(史実)が、私の脳裏をよぎる。
本来なら、小田氏は佐竹に圧迫され、領地をすべて失い、氏治は流浪の末にひっそりと世を去り、小田家はわずか300石の微禄で歴史の隅に埋もれるはずだった。
「お前はいつだって、わしが『もうダメじゃ、会社(城)を畳む!』と泣き言を言うたびに、『これは戦略的撤退(損切り)です』『次のM&Aのための投資です』と、わけのわからん理屈でわしの背中を叩いてくれた。……お前がいたから、わしは九度落ちても、一度も『心』を倒産させずに済んだのだ」
氏治は私の方を振り返り、悪戯っぽく笑った。
「だからな、政貞。わしは信長公のようになれなくて、本当に良かったと思っている。あんなに息苦しい天下なら、わしはいらん。わしは、お前が作ってくれたこの『ハゼ釣りの天下』が、何よりも愛おしいのだ」
「……殿」
私は、胸の奥から突き上げてくる感情を抑えるように、深く頭を下げた。
前職の現代日本で、どれだけ数字を上げても、どれだけプロジェクトを成功させても、上司からは罵倒され、クライアントからは理不尽な要求を突きつけられ、誰からも「ありがとう」と言われなかった私。
その私が、この戦国時代で、この最弱と呼ばれた大名と出会い、その人生のすべてをハックした結果、これほどまでに純粋な感謝と、最高の幸福を受け取っている。
「買いかぶりが過ぎますよ、殿。私はただの、往生際の悪いコンサルタントですから」
「ふん、謙遜するな。さあ、明日は本多の爺さん(正信)でも誘って、江戸湾でハゼの利回り競争じゃ! あやつ、最近隠居して暇そうにしているからな!」
氏治はそう言って、私の肩をガシガシと叩きながら、上機嫌で櫓を降りていった。
遠ざかるその背中を見つめながら、私は心の中で、かつてのカリスマ経営者・織田信長公の幻影に向かって、静かに勝利のサイン(親指)を掲げた。
(信長公。あなたの作った市場は、私たちが最も美味しいところで、完璧にログアウト(FIRE)させていただきました。……これにて、我がプロジェクトは、残すところあと一つのタスクを残すのみです)
夕日に照らされた江戸の街に、常陸の筑波山から吹いてくるような、どこか懐かしい優しい風が吹き抜けていった。
第40話・ステータス報告
・ステータス:
織田、豊臣といった過去の巨大企業(天才たち)の崩壊と、現在の小田家の「圧倒的ホワイト隠居生活」の対比完了。
・主要成果:
勝ち続けることの最大のリスク(本能寺・大坂の陣)を回避し、「負けても死なないシステム」による最終的な勝率100%の確定。
・KPI:
信長公の遺産(平和)の無断享受率:100%。
ポンコツ主従のストレス値:0.0%。
次代への事業承継の進捗率:99.9%(守治への完全引き継ぎ間近)。
・政貞のメモ:
「ふと信長公のハゲタカのような経営を思い出し、現在の殿ののんきな笑顔を見て、歴史の最大の皮肉を感じた。……天才たちは市場の開拓に命を燃やしたが、その果実を一番美味しい形でススっているのは、戦国最弱と呼ばれた我が小田家だ。……『勝ち続けるリスク』を排除し、戦略的撤退を繰り返したからこそ、私たちはこの泰平の世にログアウトできた。……殿、あなたの言う通り、ハゼ釣りの天下こそが、私たちの最高の成果物です。……さあ、私のコンサルタントとしての長い長いデスクワーク(人生)も、いよいよ本当の最終タスクを迎える」
【次号:第41話(最終話):エピローグ ―― 業務完了。歴史の裏に生きた「常敗の勝者」。】
―― 「プロジェクト完了。全アセットの保全に成功。これよりログアウトします」。
泰平の世を見届け、天寿を全うしようとする政貞(佐藤)。
脳内に響く、長年連れ添った懐かしいシステムログの音声。
氏治や次代の守治、家族に見守られながら、戦国最弱の会社を「絶対に倒産しない最強の仕組み」へと昇華させた圧倒的な満足感とともに、現代の社畜コンサルタントの転生譚、ついに堂々の完全完結へ!
【読者の皆様へ】
『戦国最弱・小田家、外資コンサルがV字回復させます』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
九度落城する最弱大名を、
「どう勝つか」ではなく、
「どう倒産しないか」
という視点で立て直していく、小田家の事業再生プロジェクト。
少しでも楽しんでいただけていましたら嬉しいです!
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【シリーズ新作・連載中!】
『【悲報】転生先でも定時退社できない。――過労死会計士、劉邦のCFO・蕭何になる』
今度の舞台は中国古代。
過労死した公認会計士が、劉邦陣営のCFO・蕭何に転生。
軍資金ゼロ。
終わらない赤字。
暴走する天才たち。
そんな地獄みたいな天下統一プロジェクトを、“数字”だけで支える中華内政デスマーチです!
第1話はこちらです!
https://ncode.syosetu.com/n2221mf/1/
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それでは、次回もよろしくお願いいたします!
筑紫隼人




