最終話 騒がしい平穏
ミリアは学園の柱の陰から、少し距離を置くようにしてノイスたちを見ていた。
控えめに笑ってはいるものの、その表情にはどこか遠慮するような影があった。
「ミリア先輩」
ノイスは背中のユミナをそっと降ろすと、ミリアへ向き直り、ゆっくりと歩み寄った。
「あ、あの……その。
僕のせいで、色々と……」
真面目な表情で迫るノイスに、ミリアは慌てたように言葉を詰まらせた。
「これから毎日、部活に行きますから」
「……え?」
「先輩も、絶対に来てくださいね。
また一緒に魔道具を作りましょう」
ミリアの瞳が、小さく揺れた。
「本当にいいの……?」
声が震える。
「だって、僕のせいでノイス君は……」
ノイスは、俯いているミリアの肩にそっと手を置いた。
「先輩のせいだなんて、僕は一度も思ったことありませんから」
「でも……」
「それに――」
ノイスは少し困ったように笑う。
「僕は、先輩と一緒に魔道具を作る時間が好きなんです」
「……ノイス君」
目が合う。
二人の距離が、不意に近づく。
ミリアの頬が、じわりと赤く染まっていく。
「……え、ノイス君。
これって、もしかして――」
ミリアは期待するようにぎゅっと目を閉じ、そっと唇を尖らせた。
――パチン。
「……って、あいたた」
ノイスの軽いデコピンが、ミリアの額に入った。
「これで、MCRの件はもうおあいこです」
ノイスは少し困ったように笑った。
「だから、もう自分のせいだなんて言わないでください」
「まったく……
ノイス君は……」
ミリアは額を押さえながら、頬を赤らめる。
それでも、その表情からは、先ほどまでの陰りが少しだけ消えていた。
「ちょっ!
なんかあーしと全然対応違くない?
差別っしょ! 贔屓っしょ!」
ユミナが再びノイスに飛びつこうとする。
「邪魔するなって。もう十分ひっついただろ?
大人しくあっち行ってような」
「そうだね。教室に行くよ、ユミナ」
「そ、そんなぁ!」
ロウとミレイユが、じたばたするユミナを引きずるように連れていく。
「あはは。なんか……
二人きりになっちゃったね……ノイス君」
ミリアがもじもじと視線を逸らし、二人の間に甘い空気が漂う。
「いえいえ、私もいますけど!」
ルーシーが割って入るように、二人の間へ滑り込んだ。
「あはは、ごめんね。
ルーシーちゃん」
「やっぱり……
ノイスくんはミリア先輩みたいな人がタイプなのでしょうか……」
ルーシーが上目遣いでノイスを見つめる。
「うん……そうだね」
ノイスは少し考えるように視線を上げた。
「僕にとって……
きっと先輩は特別なんだ」
「あ……そ、そうですよね」
ルーシーは小さく頷いて、笑おうとした。
けれど、胸の奥がきゅっと締めつけられて、うまく笑えなかった。
ミリアがノイスにとって特別な存在なのだと、わかっていたはずなのに。
それでも、ノイスの口からはっきりそう言われると――
視界が、少しだけ滲んだ。
「でも」
ノイスは続けた。
「ルーシーも、僕にとっては特別な女の子だよ」
「……え?」
ルーシーの潤んだ瞳がノイスを見つめる。
「うまく言えないけど、ルーシーと一緒にいると落ち着くし、なんだか安心するんだ」
「それって……」
「ルーシーがよければだけど、これからも僕のそばに――」
「いやー、ノイス君!
元気にしてたか!」
慌てたように割り込んできたのはルキウスだった。
「あ……ああ。
ルキウスさん」
「なんだ、その反応は?」
ルキウスが眉をひそめる。
「ライバルの登場だぞ?
もっとそれらしい反応をしたまえ」
「え……ルキウスさんって、僕のライバルだったんですか?」
「愚問だな」
ルキウスは胸を張る。
「私と張り合えるのは、この学園でも君くらいなものだろう。
なあ、ルーシー」
ルーシーはぷいっと顔を背け、頬を膨らませた。
「もう知りません!
ルキウス様なんて!」
(むう! すごくいいところだったのに……)
「あれ?
ルーシー、怒っているのか?」
「ははは、ルキウス・ファンフォルド!
相変わらず無様ですね」
聞き覚えのある声に、ノイスが振り向く。
「君は……確か……同じクラスだった……」
「クレイン・オルドゥストだ!
ちゃんと覚えておけ」
そこには、かつて退学となったはずのクレインが立っていた。
「ああ……髪の色が黒くなってるし、雰囲気も変わってて、わかんなかった。
どうして学園に……?」
「色々ありましてね……
学園が私という天才を放っておけなかったのでしょう」
クレインは胸を張って答える。
「そ、そうなんだ……よかったね」
「その適当な反応は相変わらずですね。
あまり余裕をこいてると、闇に沈めますから」
「クレイン」
ルキウスが少し呆れたように息をつく。
「あまり物騒なことを言うな。
君は観察対象なんだ。あまり目立つような言動は——」
「はいはい、わかりましたよ。ルキウス様。
あなたも闇には気をつけることですね」
クレインはちらりとルキウスを見る。
ひらりと手を上げて、そのまま立ち去っていく。
「まったく……
素直ではないな」
ルキウスは苦笑し、その後を追っていった。
「驚いた……」
ノイスがぽつりと呟く。
「あの二人が、あんなに仲良くなってただなんて」
「色々とあったんですよ」
ルーシーがしみじみと頷いた。
「ノイスは相変わらずのようね」
聞き慣れた優しい声に、ノイスが振り向く。
そこに立っていたのは、大きめのローブと帽子に身を包んだ魔法使い。
アリスだった。
どこか浮世離れした雰囲気を漂わせながらも、その目は優しく笑っている。
「……師匠まで!
なんで学園に?」
「あら?
可愛い弟子を拝みに来てはいけないのかしら」
アリスは可愛らしく微笑んだ。
「アリスさん!」
「絶詠の魔女様!」
「おはよう、二人とも。
元気そうで何よりよ」
小走りで寄ってきたミリアとルーシーに、アリスは優しく微笑む。
そして、二人の頭をそっと撫でた。
二人は嬉しそうに目を細め、その手に身を委ねる。
「師匠は、二人とも仲がいいんですね」
「とても可愛らしくて、良い子たちよね」
アリスは悪戯っぽく微笑みながら、ノイスを見た。
「ノイスは二人のこと……どう思っているのかしら?」
ノイスは少しだけ空を見上げる。
「そうだね。
ミリア先輩もルーシーも、可愛くて素敵だと思うよ」
二人の頬が一気に赤く染まった。
「ノイス……」
アリスは呆れたようにため息をつく。
「そんなどっちつかずの態度じゃ、女の子を幸せにできないわよ?」
「……ん?
それってどういうこと、師匠」
「はあ……
ノイスにはまだ早いみたいね」
アリスは肩をすくめ、首を横に振った。
「それで、どう?」
ふっと表情を柔らかくする。
「あなたの望んでいた平穏な学園生活は」
風が、静かに吹き抜ける。
みんなが戻ってくるまで、学園は静かで穏やかだった。
けれど今、ノイスの周りには賑やかな声があって、慌ただしい気配があって、少しも静かではない。
それでも――
ここには、守りたいと思えるものがある。
帰りたいと思える場所がある。
そばにいてほしいと思う人たちがいる。
それはきっと、ノイスが最初に思い描いていた“平穏”とは少し違っていた。
けれど。
ノイスが本当に欲しかったものは、きっともう、この手の中にあった。
「うん、悪くないね」
こうして、始祖を巡る戦いは幕を閉じた。
そして、ノイス・ノーチラスの騒がしくて、面倒で――
けれど何よりかけがえのない学園生活は、
ここからまた、始まっていくのだった。




