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18杯目 猫とチョコレート ①

 『rheology(レオロジー)』には紅茶のほかにも、アフターヌーンティー用のお菓子も取り揃えられている。

 扉を開けてすぐ右手に小さなショーケースがあり、サンドイッチやスコーン、ケーキにマカロンまでひと通り揃っている。

 お菓子の中にはミアが作るものもあるが、そのほとんどはオーナーの莉央が制作している。猫のミアでは包丁を使ったり、材料を混ぜたりすることが難しく、時間がかかるためだ。

 大学に通う莉央も毎日お店に立ち寄る時間が取れるわけではないため、仕込みの段階で下ごしらえを済ませ、焼くだけ、盛り付けるだけで提供できるメニューを工夫して準備している。オーブントースターや電子レンジであれば、ミアでも扱えるため、店内の温かい雰囲気と相まって常に新鮮な提供が可能となっている。

「この時期はリンゴが美味しいんだよね。アップルパイとかどう?」

 莉央がキッチンでサンドイッチ用の野菜を切りながら提案する。

 莉央の髪は後ろで纏め上げていて、私服の上からエプロンを着ていた。

「いいですね」

 隣でその食器の整理をしていたミアは、耳をピクリと動かして、首を傾げる。

「でもアップルパイって、作るのが大変じゃないですか?」

「大丈夫だよ」

 莉央は自信満々に胸を張って、にんまりと笑みを浮かべる。

「料理にはずいぶん慣れたし、練習したらすぐ作れるようになるよ」

「それじゃあ、ぜひお願いします」

 ミアは背中の後ろで尻尾を左右に振って、期待するような仕草を見せる。

 実際に莉央の料理の腕は、日に日に上達している。『rheology(レオロジー)』を手伝う前は、一度も包丁を握ったことがなかったというのが嘘のようだ。ミアの作る紅茶に合わせて、最適なメニューと味つけを考えられていて、お客さんからの高評価を得ている。

 たとえばいま莉央が作っているサンドイッチも当日しか提供できないため、曜日が限定されている。そんなサンドイッチを求めて来店するお客さんも少なくない。

 すると莉央が何か思い付いたように「あっ」と声を上げた。

「アップルパイとアップルティーって、一緒に食べたりするの?」

「もちろん。今度試してみますか?」

「やった~。じゃあ張り切って作るね」

 莉央は意気込みながら、包丁を握り直して手際よく作業を再開する。

 

 そうして莉央の仕込みが終わったころ、扉が擦れた音を立てて開き、常連の小学生・高坂鈴が入ってきた。

 店内に外のひんやりとした空気が流れ込み、冬の訪れを感じさせる。

「こんにちは」

 鈴はいつもと変わらず明るい声で挨拶した。今日も鈴はランドセルを背負っていて、学校から帰ってきた寄り道のようだった。

「いらっしゃいませ」とカウンターの向こう側から、ミアが穏やかに声をかける。

「あれ? 今日は1人なんだね」

 莉央は手元の作業を中断し、興味深そうに鈴へ問いかけた。

 最近の鈴は、おばあちゃんである和美と一緒に来店していたため、一人で訪れるのは久しぶりだ。

 2人で仲良く並んで座り、楽しそうに会話をする姿に、ミアも莉央も心が癒されていた。

「はい。今日は用事があるみたいで……」

 鈴はちょっと寂しそうに、はにかんで答えたあと、店内を見回して、いつものカウンター席に腰を下ろした。

「今日は何を飲みますか?」

 ミアはいつもの調子で、鈴に尋ねた。

 しかし、返ってきたのは普段とは少し違う、息を飲むような仕草だった。鈴は小さな手を膝の上でギュッと握りしめ、少し緊張した面持ちで口を開いた。

「アフターヌーンティーを1つお願いできますか?」

 ミアは一瞬驚いた表情を浮かべる。

 アフターヌーンティーは紅茶だけでなく、ケーキやスコーン、サンドイッチがセットになっているため、他のメニューに比べて少し割高だ。

 もちろん、これまで鈴が注文したことはなかった。

 母親の不定期で気まぐれな食事代に頼っている鈴にとっては、かなりの出費だろう。それだけに、この注文は少し意外だった。

「少しお値段が張りますが、大丈夫ですか?」

 すると鈴はにっこりと微笑んで答えた。

「大丈夫です。最近はおばあちゃんからお小遣いをもらってるので」

「な、なるほど。それなら安心です。少々お待ちくださいね」

 ミアはその言葉にホッとした様子で目を細めると、さっそく準備を始めることにした。

 ポットに水を入れ、それからティーポットやティースタンドを用意する。

「サンドイッチはさっき仕込んだものを使いますね」

「ケーキも冷蔵庫に入ってるよ。可愛く盛り付けてあげて!」

 莉央は楽しそうに言ってから、鈴の方を向いて、不思議そうに尋ねる。

「でも、どうしてアフターヌーンティーを選んだの?」

 すると鈴は頬を赤らめ、少し恥ずかしそうに目を伏せた。

「あまりスイーツを食べたことがなくて、憧れていたんです」

 鈴は「それに」と続ける。

「バレンタインにおばあちゃんにお菓子を買いたいんです。そのためにいろいろと参考にしたいんです」

「へぇ! すごいイイね!」

 莉央はそれを聞いて、やけにテンションが上がる。

 もう野菜の下ごしらえはほったらかしになっていて、鈴の計画に感激しきりだった。

 すると莉央は名案を思いついたかのように、手を合わせてポンと音を出す。

「それなら自分で作った方がいいんじゃない?気持ちがこもってるし、きっと喜ばれるよ」

「えっ……」

 鈴は目を輝かせたが、すぐに自信なさげに俯く。

「でも、お菓子作りなんてやったことないし…」

「大丈夫、私が教えてあげるから」

 莉央は自信たっぷりに言った。

「せっかくだから、ここで一緒に作ってみようよ」

「いいんですか?」

 莉央の提案に、鈴は驚きと喜びが入り混じった笑顔を浮かべた。

「もちろんだよ、鈴ちゃん。おばあちゃんのために素敵なお菓子を作ろうね」


 しばらくすると、鈴の前にティーカップとティースタンドが置かれた。

「おまたせしました」

「わぁ!」

 鈴は思わず大きな歓声を上げる。

 目の前のティースタンドは、思い描いていた理想そのものだった。

 ティールームの中央に、目を引く美しい二段のティースタンドが輝いている。その造形は優美な曲線で構成されている。

 銀色に輝く4本の細い脚で支えられ、どっしりとした存在感と繊細な美しさを両立させていた。

 中央の支柱は、上へ向かって緩やかに細くなり、頂点に向かって伸びる。その支柱の途中には、上品な花のモチーフが彫り込まれ、優雅な雰囲気を一層引き立てていた。

 そして1番上の先端にも小さな花の装飾が施されており、細部にまでこだわりが感じられた。

 食べ物が置かれているプレートは、白磁で作られており、その縁には金色のリムが施されている。シンプルなデザインだが、高級感を漂わせている。

 

 まず一段目には一口大の小さなサンドイッチとふっくらとしたスコーンが置かれていた。

 サンドイッチは、きちんと四角に切り揃えられ、表面に少し焦げ目が入っている。そして中には野菜や卵、ハムが挟まれていた。

 鈴は一つ手に取り、口に頬張った。すると鈴は破顔し、「美味しい」と感激した様子でそう言った。

「それは良かったです」

 ミアはホッとしたように息を吐き、静かに微笑んだ。

 次に、鈴はスコーンに手を伸ばす。

 その手つきはゆっくりと慎重で、まるで未知のものに対峙しているかのようだった。

「これはスコーンですか?」

「そうだよ。ジャムをつけると美味しいよ」

 鈴は莉央の言う通り、手に取ったスコーンにストロベリージャムをたっぷりと塗って一口頬張ると、そのサクッとした軽さと甘酸っぱさが口の中に広がった。

「ほんとだ、美味しいですね」と笑顔を浮かべる。


 それから鈴はティーカップを手に取った。

 夕焼けのような橙色の紅茶からは、温かい湯気が立ち込めている。

 ティーカップを傾けると、紅茶が乾いた喉に染み渡り、一段と美味しく感じる。

 鈴は恍惚の表情でふぅと息を漏らす。

 そして鈴はティースタンドの二段目へと目を向けた。

 そこには四角い立方体のチョコレートケーキと色とりどりのマカロンが並んでいた。

 鈴はまず、鮮やかなピンク色のマカロンを選んだ。

「これがマカロン……」

 まるで研究者のように、じっとマカロンを楽しそうに観察する。

 そしてそのまま口に頬張ると、甘いクリームが口の中でとろけていった。

「マカロンも初めて食べたけど、美味しいですね」と鈴は感嘆の声を上げた。

 最後に鈴は小さなチョコレートケーキをフォークを使って頬張った。柔らかなクリームと濃厚なチョコレートの風味が広がり、鈴は幸せそうに微笑んだ。

 鈴はティーカップを手に取り、名残惜しそうに最後まで飲み干すと、満足そうに大きく息を吐いた。

 再びティースタンドに目を戻す。上に何も置かれていない儚さと美しさは、まるで鳥が飛び立った鳥籠のようだった。

 鈴は自分にとってあまりに特別で優雅なひとときを噛み締めた。

「ありがとうございます。美味しかったです」

「お口に合ってよかったです」

 ミアはヒゲを揺らし、柔和な表情を浮かべた。

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