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現実

 体育館でいつも通りの、校長先生の長くてつまらない話を聞くだけの始業式をすませて、教室に戻った。


 その後は、新しい教科書の受け取り。

 そして、たくさんのプリントが次々と前から回って来るけど、見事なくらい史也はこっちを見ずに、手だけを後ろに出して渡してくるのだ。


 寂しいなあ……


 一通り物理的な用事が済んだ後、毎年恒例のクラスの皆の前で自己紹介という罰ゲームが始まった。

 当たり前なんだけど、皆、立ち上がって名前を言って趣味とか興味のあるものとか、それだけ言って、よろしくお願いします。で、終わり。


 なんだ、これは。


 クラス全員の性格とか、いろいろ知っている今のオレから見ると、まったく何も伝わって来ない。

 駄目だよ、それでは、ぜんぜん通じていない。良いところが何も出ていないよ。史也なんて、声が小さくて何を言っているのかさえ、分らなかったし。


 とか何とかさんざん文句を言っておきながら、自分の番が回って来ればそれ以下なことしか言えなくて、一番駄目なのは、やっぱりオレだった。


 キーンコーンカーンコーン……


「はい、じゃあ今日はこれで終わりです。日直さんは明日から、宜しくおねがいします。じゃあ、起立! 礼! はい、さようなら」

 自己紹介で誰も聞いていないつまらないことを言った以外、何も話さないで1日が終わった。


 まあ、いつも通りの初日だった。

 目の前にせっかく史也がいるのに、何も出来ない自分が情けなかった。


 夢の中では、帰る時にはもう仲良くなっていたのに、まだ一言も話していない。夢の中の史也はあんなに楽しそうだったのに、こっちの史也はとてもつまらなそうだ。


 帰り支度を終えた史也は、帰宅の途につくために自分の机を離れた。ああ、何も出来ないまま史也が帰ってしまう。

 史也の姿を目で追っていると前方にちょうど熊野さんがいて、2人が軽くぶつかった。


「ご、ごめんなさい……」

 謝る熊野さんを見もしないで通り過ぎる史也。


 衝撃だった。


 あんなにお気に入りだった熊野さんと、史也が会話をしようともしないなんて……でもそうだ、強制的に会話をさせられるという機会が無い限り、これが普通なのだ。

 なんとなく、この瞬間にオレはやっと夢から目が覚めて、現実に戻った気がした。


 そうだ。

 これが、当たり前なんだ。

 あれは夢だったんだ。


 そんなことを考えていたら、ふいに、穂坂くんに胸ぐらをつかまれて、体を引っ張り上げられた。びっくりした。

「2年ぶりだよな、古井戸。久しぶりにプロレスやろうぜ」

 顔を近づけて、穂坂くんが言った。


「一日中、目の前に邪魔なのがいて、うっとうしかったぜ!」

 凄む穂坂くん。


 朝はトースト1枚だから、今はお腹がペコペコで怒りっぽいのだ。こんなことをしていないで、早く家に帰ってお昼を食べればいいのに……

「おっ、やっちゃえ、やっちゃえ!」

 平くんが嬉しそうに応援する。


 そう、これが現実。穂坂くんが今年のいじめのリーダー格で、オレはいじめられっ子だ。いじめが初日から始まったのだ。


「はいはい君たち、遊ぶ分には良いですけど、程ほどにしてくださいね」

 まだ教室に残っていた先生が、心配をして声をかけてくれた。


「先生、オレたち仲良いんスよ。前に、一緒のクラスだった時も毎日やっていたし」

 穂坂くんが、さらっと嘘をついた。おいおい、まだぜんぜん仲良く無いだろう。


「そうですか。でも、いつまでも遊んでいないで、早く帰りましょうね」

 そう言っていた先生は、他の先生に呼ばれてそのままどこかに行ってしまった。

「はーい」

 そう返事をしながら、穂坂くんがオレの首に左腕をまわして、ヘッドロックの態勢に入った。


 以前のオレなら、これから始まるいじめの前兆に恐怖して絶望するところだ。

 しかし。

 今のオレは、穂坂くんからオレにきっかけをくれたとしか思えなかった。しかも、この体勢である。ヘッドロックなんて、夏休み前の史也を思い出してしまった。


「ふふふ……」

 オレはつい嬉しくて、笑ってしまった。

「な、なんだこいつ、気持ち悪い」

 穂坂くんがひるんで、ロックしている腕の力が弱まった。


 オレは顔を上げて穂坂くんを見て言った。

「オレ今、朝ごはんを自分で作っているんだ」

 あっ、いけない、唐突に用件を切り出してしまった。


「はあ?」

 そりゃあ、そんな反応だよね。でもオレは、話すきっかけが出来て嬉しかった。


「あのさ、穂坂くんも自分で作らない?」

「はあ?」

「簡単にできるヤツ、教えるよ。オレの家で今日一緒に作らない?」

 オレは頑張った。

 穂坂くんは、今、最高におなかが空いているはずだ。今が絶好のチャンスに違いないはずなのだ!


「な、何を言っているんだ……?」

 穂坂くんが少しひるんだ。もうひと押しだ。

「2時! 2時に校門で待っているから……」


 とりあえず夢の時と同じ2時に指定してみた。あれ? でも、1日早いか……?


「ふざけるな! 何でお前なんかと待ち合わせるんだよ!」


 怒られて、今度は床に押し倒されてしまった。

 そう簡単に上手くいくわけがない。世の中、そんなに甘くはないのだ。ちょっと、唐突だったしな……


 やっぱり、夢の中の穂坂くんは、オレと史也が話しているところを見たから、オレの話を聞こうと思ってくれただけだったのか……? 改めて、史也の存在の大きさを痛感させられる。


「ははは、バカだ、こいつ!」

「でもオレ、こいつがふつうにしゃべるの、初めて見た!」

 周りがオレを嘲笑する中、平くんが素直にびっくりしている。そういえば、夢の中でも同じようなことを言っていたな。


 床に倒された状態で目を開けると、教室のドアの前でオレを見降ろしている〈日比野 史也〉と目が合った。

 夢で見た時の興味津々な大きな目ではなくて、冷たい氷のような、無表情な目だ。


 氷の王子様がそのままこっちに近づいて来た。

「穂坂、4の字固めってどうやるの?」

「えっ、何だよ?」

 穂坂くんがびっくりしている。


 そういえば穂坂くんが、史也は他人に興味が無いから自分のことを知らないかもしれないって言っていた。史也は、ちゃんと穂坂くんの名前を知っていたんだな。

 なんてことをのんきに考えている間に、2人の会話は進んでいく。


「あれ、すごく痛いんだろう?」

「そりゃあ痛いよ」

「こいつ、ウザいから。やり方教えて」


〈日比野 史也〉がアゴを少し上げて、オレをさげすむ様な目で、見下しながら言った。


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