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穂坂くん

 穂坂くんと教室に向かうことになってしまったオレは、気まずい空気の中、昨日の決心を思い出していた。


「け、今朝は、じ、自分で、卵……を、や、焼いて、食べた……」


 よし、言ったぞ!

 ビクビクしながらそっと見上げると、穂坂くんが眉間にシワを寄せて、オレを見ていた。


「はあ?」

「は……?」


 しまった、その先の展開まで考えていなかった……!


 もう、どうしようも無いので2人で並んだまま歩き続けて1組の教室を過ぎ、2組の教室を過ぎ、3組の教室の前まで来たところで、穂坂くんが言った。


「目玉焼きかよ?」

「えっ? い、いや、た、卵焼きを……甘いヤツ」

「なんで?」

「な、なんとなく……簡単かな、と思って……」

「簡単なのか?」

「うん、火加減とかちゃんとすれば、半熟のおいしいのができるよ」

「何?」


 穂坂くんは立ち止まった。


「お前作れるの?」

「だ、だから、今朝、自分で作ったから」

「すげえな」


 おお、穂坂くんに褒められちゃった!


「……簡単?」

「うん」


 昨日、母親が言っていたことを思い出して、オレは頑張って言ってみた。


「ほ、穂坂くんだって、作れるよ」

「えー、ムリムリ! やったこと無い」

「じゃ、じゃあ、オレ、教えるよ」

「はあ?」

「オレん家、来ない?」


 この時のオレは、『1日も早く、何としても穂坂くんにしっかりとした朝ごはんを食べさせなくては!』という、謎の使命感でとにかく必死だった。


「今日はどう? お昼食べた後とか……」

「お、おう」

「じゃあ、今日2時に校門でいい?」

「おう、2時な」


 穂坂くんはそう言って4組の教室に入って行った。

 予想外に、案外あっさり誘いに乗ってくれてホッとしたオレは、大きなため息をついて壁に倒れ込んでしまった。

 いや、本番はこれからだ。安心するのはまだ早いと自分に言い聞かせて、ヨロヨロしながら教室に入った。


 教室の中は、プリントを片手に皆がそれぞれの相手を捕まえて話していて、とても賑やかだった。

 以前のオレなら、こんな教室は萎縮して入ることすら出来なかったと思うけど、今は状況が違う。

 とにかく、プリントを手に入れなくてはと、ただそれだけを考えていた。


「あっ、古井戸くん」


 横から、ポンと肩を叩かれた。


「おはよー」


 高橋さんだ! 女子の人からこんなに気軽に、しかも笑顔で声を掛けられるなんて初めてだったから、本気でびっくりして、うろたえてしまった。


「うおおおっ……お、お、おはよ…う?」

「昨日ね、家に帰ってから調べちゃったよ、古代ペルシャ!」

「えっ、ホントに?」


 オレの言ったことを覚えていてくれて、しかも調べてくれるなんて、高橋さんは本当に良い人だ。


「何か、スゴいっていうのは分かったけど、難しいからちょっとずつ調べることにしたよ。でも、自分の名前にこんなロマンチックな背景があったなんて知らなかったから、嬉しくて。ありがとね、古井戸くん。良いことを聞いたよ」

「ええっ、そ、そんな、お礼を言われるようなことなんて……」


 ん? 古代ペルシャって、ロマンチックだったっけ……?


「なーに? 古代ペルシャって?」


 横にいた〈渡辺 飛鳥〉が、高橋さんに聞いてきた。


「あのね、私の胡桃って漢字がねー」


 そのまま高橋さんは説明を始めたので、オレは自然にフェードアウトすることができた。

 今のオレのミッションは教壇に置いてある新しいプリントを手に入れて、今まで話した内容を書き込むことだ。

 が、教壇に向かう途中でまた、声を掛けられた。


「お、おはよう、ふ、古、井戸、くん」


 熊野さんだ。

 緊張しているのか、プルプル震えている。昨日、オレと同類と勝手に思った彼女が震えながらも頑張って声を掛けている姿に衝撃を受けた。


「お、おはよう」

「あのう、他の人のプリントに書いてあったんだけど、ふ、古井戸くんって、トカゲを飼っているの?」

「え? ああ、うん」

「ト、トカゲって飼えるの? 何食べるの? 」


 ん? トカゲが好きなのかな?


「えーと、コオロギとか、小さいゴキブリとか」


 そう言うと、一瞬、嫌そうな顔をした。意外と表情が豊かだ。


「ああ、えーと、ゴキブリなんだけど、ちゃんとペットショップで売っている餌用の種類のヤツで、形も少し丸くてかわいいんだよ」

「そ、そうなの? あの、でも、そんな大きな餌を食べられるの? トカゲって、このくらいだよね?」


 熊野さんが両手の人差し指で10センチくらいの大きさを作ってオレに見せた。もう、手は震えていない。


「ああ、うちのはこれくらい」


 オレも同じやり方で、30センチくらいの大きさを見せた。熊野さんの目がまん丸くなった。


「ト、トカゲって、そ、そ、そんなに大きくなるの? 知らなかった!」

「いやいや、うちのはペット用の外国産のトカゲだよ。ヒョウモントカゲモドキっていうヤツで、えーと、トカゲモドキだから、正しくはヤモリなんだけど」

「ええ? も、もう一回、名前教えて……」


 熊野さんはプリントに品種名を書き込んだ。


「……うん、ありがとう、そんなペットがいるなんて知らなかった。今度、調べてみる」


 熊野さんは、その後もプリントに色々書き込んでいた。

 その姿を見て、「あ、オレも書かなきゃ」と思い出して、あわてて教壇に向かった。


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