髪と種族
「お前の髪は長くていいな。」
風呂上がり、髪が背中の中程まであるリリィは、エルに髪を梳かすのを手伝ってもらっていた。鴉の濡羽、と言った具合の漆黒の髪は、先端の方で軽くウェーブしており、幼いながらも蠱惑的な魅力を引き出している。しかしその美しさの代償として、整えるには些か手間がかかった。
一方でエルの髪は銀髪で、少し長めのショートヘアくらいの長さであった。身支度は短くて済むのだが、やはり一度くらいは伸ばしてみたい、と思っていた。
「いい事ばかりじゃないわよ?纏めたり乾かすのにも一苦労なんだから。」
そんなエルの秘めたる乙女心を知ってか知らずか、リリィは美を磨くには一筋縄ではいかないのだぞ、と言いたげに、少し偉そうな口調でのたまわった。
「それをやっているのは私なんだが?」
文句を言いながらも、髪を見つめる眼差しは、戦闘訓練を受けている時のような真剣さであった。
手伝い始めた頃こそは、なぜ私が…と不満を漏らしていた。しかしリリィに「髪は女の命」と熱弁されて以来、髪の手入れに興味を持つようになり、リリィの手伝いを通して自身も手入れを学ぼうとしていた。
リリィの髪は同性から見ても素晴らしいもので、その秘密の一端がこの風呂上がりの櫛入れなら、自分も取り入れたいと思っていた。リリィの手前、あまり女の子らしさを曝け出す事は無かったが、エルも一人の少女として美容に興味があったのだ。
実際はリリィがやっている努力は寝る前など他の時間にもあるのだが、エルはそれを知らなかった。と言うより、自分から聞く事は無かった。この無礼な従者にいつも威厳を示そうとしているので、オシャレや美容などの浮ついた事に興味があると知られるのが、恥ずかしく感じたのだ。
「いつもありがとうございまーす。お礼のチュー❤️」
「いらん。」
エルは入浴時の危機的状況が活きているのか、扱いに慣れが見え始めた。舌が完全にエルを味わう体制だったリリィは肩透かしをくらい、心の中で、もっと過激な攻めが必要かも知れないと検討を始めた。
リリィにとってエルは、居候先の貴族の娘、同い年で同性、しかもまだ子供、自分に対抗して背伸びしている、と言う倒錯的愛の格好の餌食。只でさえ捻れている愛欲をさらにややこしくしており、リリィをしばしば相手の都合を考えない身勝手な妄執に駆り立てた。
リリィの心の中で、自分がどんなに退廃的な辱めを受けているか知らないエルは、普通の会話の続きとして愚痴を吐いた。
「それにしても、私はお前の髪が羨ましい。長く、禍々しい黒髪が。髪色変えられないが、長く伸ばしてみたいものだ。」
エルはヴァンパイアの、側室とは言え貴族の子なので、領地を守る武力が求められる。その為に、背中の羽根の動きが阻害されれない範囲でしか、髪を伸ばす事は許されなかった。
リリィは心の中でプレイ中だったエルの髪を伸ばしてみた。しかし、事後処理が面倒くさくなりそうね、と失礼な感想しかしなかった。妄想が実現した時の問題を考えて、今のままの髪型でいてもらう事にした。
「そうかしら?それくらいの長さの方が(体液で)汚れても洗いやすいわよ?それに、銀髪は高貴な感じがして(女王様プレイする)エルに似合ってるじゃない。」
「こ、高貴。そうか高貴か。うんうん、分かってるならいいんだ。しかしお前の髪もいい色だぞ?黒とは魔族の色、誇り高き原初の黒だ。」
高貴と表現された事が余程嬉しかったのか、リリィの髪を褒め返してきた。普段主人であるはずの自分を敬う気配を全く見せないリリィが、珍しく貴族として見てくれたと感じたからである。
髪を梳く手が労うように優しい手つきになっていたが、配下の髪の手入れをするのは、とても貴族的とは言えない事にエルは気付いていないようである。
エルの手つきが緩やかで優しくなったのを感じたリリィは可笑しくなって、からかうような心算で口を開いた。
「あらあら。ふふ、お褒めに預かり恐悦至極、光栄の極みでございます。お姉様。」
いつもだったら、ご主人様だ、と言い返すエルであったが、リリィの恭しい口調に騙されて、うむ、などと言っていた。恭しいと言うよりは慇懃無礼が適切な気もするが。
しかし、リリィがこう言った態度を取るのは何かしらの企みがある時だ。こうした日々の会話の中で、徐々にエルの中の、主従関係であるべし、と言う思想を有耶無耶にしようと謀っていた。
エルが先ほど、原初の黒、と言ったが、これは魔族にとって重要な意味があり、黒髪は魔族が最も羨む髪色である。というのも、原初の魔族の頭髪は皆一様に黒かったと言われているからだ。
この世界には魔界、天界、地上界と3つの生存圏がある。
魔界は魔族が、天界は天使が、地上は人間やエルフ、獣人などの雑多な種族が暮らしている。
魔界は魔力で満ち溢れており、地上の生物では生きていけない環境だったので、魔族の純潔性は保たれてきた。しかし長い歴史の中で魔族の地上進出が進み、混血の魔族が増え、魔界にも地上の住人の血統が流入した為、黒髪の魔族は少なくなっていたのだ。エルが銀髪なのは、祖先の中にエルフの血が混じっているからである。
魔族は天使より混血や異種間婚に寛容であったが、純潔と言うのはやはり価値あるものとされた。
魔族の寛容さ、と言うものは魔族の地上への植民の原動力となり、地上世界にも大きな魔族魔族勢力を生み出した。今まで天使と魔族が争うのは、地上世界の利権がメインで、天界或いは魔界が戦場になる事は少なかった。しかしこの情勢に至り、天界の天使は魔族がいずれ地上まで支配下に置くのでは無いか、と不安視し、魔界に対する攻撃まで始めた。地上魔族どころか魔界にまで戦火が広がったのだ。魔族側もしばしば報復攻撃で天界に出兵するようになった。
天界と魔界の全てが戦火に飲み込まれるのは、時間の問題だ。
禍々しいは魔族にとって褒め言葉