第12章「国士無双」
あの日から、半年が過ぎた。
初夏の暖かな陽光が差し込む、都内のオープンテラスのカフェ。
地下のコンクリートの冷たさとは無縁の、風通しの良いその場所で、四つのグラスが軽やかな音を立てて合わさった。
「乾杯!」
四人の女性たちの顔には、もうあの日のような暗い影は微塵もなかった。
あの生配信の後、事態は劇的に動いた。
全世界にリアルタイムで拡散された「権力者たちの自白」と「違法な地下施設の映像」は、瞬く間に社会現象となり、警察も即座に動かざるを得なかった。
51歳の投資家、理事長、そして二人の悪徳社長。彼らは監禁や脅迫、さらには過去の余罪まで芋づる式に暴かれ、社会的な地位も財産もすべて失い、冷たい檻の中へ落ちていった。
「新しい仕事、どう? アヤさん」
シオリが、目の前でアイスティーを飲むアヤに微笑みかけた。
「うん、やっと普通の昼間の事務職に慣れてきたところ。お給料は高くないけど……夜に自分のベッドで安心して眠れるって、本当に幸せなことだね」
アヤはそう言って笑った。彼女の指先を彩っていたあの戦闘用の派手なジェルネイルはもうなく、今は桜色の控えめなマニキュアが上品に光っている。
「私も、来週からやっと普通の高校に通えることになりました!」
ルリが、ショートケーキを頬張りながら嬉しそうに報告した。あの日、彼女を縛り付けていた古風で窮屈なワンピースはもう着ていない。あの狂った政略結婚は完全に白紙となり、今は遠縁の優しい親戚の元で、16歳の少女としての「当たり前の青春」を取り戻し始めている。
「私なんて、今はファミレスでアルバイトしながら、ボイトレに通ってるんです。あのクソ事務所とは違って、今の先生はすっごく厳しくて……でも、毎日が本当に楽しい!」
マナの笑顔は、テレビの中の作られたアイドルよりもずっと眩しく、等身大の輝きに満ちていた。
そしてシオリもまた、あの腐敗した学園を去り、今は別の公立学校で再び教壇に立っていた。正義が必ず報われるとは限らないが、少なくとも彼女の信じた教育の光は、決して間違っていなかったのだ。
「……ねえ、シオリ先生」
ふと、アヤがカップを置いて、真剣な眼差しを向けた。
「私、最近になって『国士無双』っていう言葉の本当の意味を調べてみたの」
ルリとマナも、キョトンとしてアヤの話に耳を傾ける。
「麻雀の役の名前だけど、元々は中国の歴史書に出てくる言葉なんだって。意味は……『国の中で、その人に代わるような者は二度と現れないほど、優れていて他と並ぶ者のない人物』」
アヤはそこで言葉を区切り、シオリを真っ直ぐに見つめた。
「あの極限状態の中で、自分の身を挺して私たちを救ってくれた先生は……私たちにとって、まさにその『国士無双』だったよ。先生がいなかったら、私たちは今頃どうなっていたか分からない」
ルリもマナも、深く頷いた。
シオリがいなければ、自分たちは疑心暗鬼に陥り、永遠にアガることのできない毒の箱庭で全滅していたはずだ。あそこで『白』を打てる人間など、この世で彼女しかいなかった。
しかし、シオリは少しだけ照れくさそうに目を伏せた後、ゆっくりと首を横に振った。
「……アヤさん、ありがとう。でも、それは少し違うわ」
「え?」
「麻雀の国士無双っていう役はね、1から9の端牌と、すべての方角と種類の字牌……バラバラの13種類の牌が、一つでも欠けたら絶対に完成しないの」
シオリは、三人の顔を順番に見つめ、あの地下室で見せた時と同じ、凛とした、けれどとても温かい微笑みを浮かべた。
「あの時、私が『白』を打った後……もしあなたたち三人のうち、誰か一人でも『自分だけが助かればいい』と保身に走って宣言をしなかったら、あの奇跡のトリプルロンは生まれなかった。あなたたちが、自分の恐怖に打ち勝って、私と一緒に戦うことを選んでくれたから、私たちは勝てたのよ」
シオリの言葉に、三人の少女たちの胸が熱くなる。
「一見するとバラバラで、何の繋がりもなかった私たち。でも、誰か一人でも欠けていたら、あの地獄を壊すことはできなかった。……だからね」
シオリは、春の風に揺れる木漏れ日を見上げながら言った。
「私たち全員が、たった一つしかない、かけがえのない『国士無双』なのよ」
その言葉に、アヤはこらえきれずに涙ぐみながら笑い、ルリとマナも顔を見合わせて満面の笑みを浮かべた。
大人の作った理不尽な籠に閉じ込められ、絶望の底にいた四人。 しかし彼女たちは、盤上の生贄になることを拒み、自らの手で純白の未来を掴み取った。
これから先の人生、彼女たちが再び同じ麻雀卓を囲むことは、きっともう二度とないだろう。
けれど、あの日あの地下室で、互いの魂を繋ぎ合わせて放った『純白の十三面待ち』の記憶は、生涯消えることのないお守りとして、国士無双たる彼女たちの胸の中で、いつまでも誇り高く輝き続けるのだ。
(了)




