第一話 皇太子アンリ
皇帝陛下に拝謁した翌日。マルグリット皇女殿下を訪問したリシャールであるが、
「弟も来ているのだけれど」
「と言うと皇太子殿下ですか?」
「他に弟はいませんね」
と苦笑する皇女殿下。
「仲が良いのですね」
と言ったら、
「そうでも無かったのですけれどね」
そもそもマルグリットと皇太子アンリは母親が違う。そして皇位を継げるのは皇后の産んだ子供だけ。そして皇后に成れるのは五大公爵家の出身だけ、と言うのが継承法である。故にマルグリットは二重の意味で皇位から遠く、故に異母弟の権利を阻害しない。
五つの公爵家の間に序列は存在しないが、同じ家から二代続けて皇后を出さないと言うのが不文律として存在する。権力の集中を避けると言うよりも遺伝上の不都合を懸念した合理的判断である。
皇后が二人以上の男子を儲けた場合、皇位を継げなかった男子はいずれかの公爵家に婿養子として迎えられる。今では五大公爵家はいずれも初代皇帝の男系子孫で、皇位継承権を有する。但し、現状において公爵家からの養子相続の事例は無い。
アンリ殿下は八歳と言う年齢にしては大柄である。皇后の実家であるモンブラン(白き山)公爵家の特徴がよく出ている。アンリと言う名もモンブラン公爵家の初代当主に由来する。
フォレノワール(黒き森)公爵家は痩身で黒髪。イルベール(緑の島)公爵家は緑色の目と高い鼻を持ち、マールブール(青き沼)公爵家は青い瞳と肉厚な唇。そしてプランルージュ(赤き平原)公爵家は赤い髪で小柄である。
アンリ殿下が上座に座り、リシャールはその対面。マルグリット皇女はリシャールから見て右手に座って二人を仲介する。
「お邪魔、でしたよね」
とアンリ殿下に言われて、肯定も否定も出来ずに苦笑するしかないリシャール。
「今は良いけれど」
と姉のマルグリットが苦言を呈する。
「皇帝に即位したら、訪問先へ事前の通告する事なしに動くことは控えた方が良いわね」
「とは言え、陛下はまだまだお元気なので。私の出番はまだ先になりそうです」
「生前譲位の先例はあるのでしょうか?」
とリシャール。
「三度あります」
とアンリ殿下。
「一度目は、皇帝が長命で、息子の皇太子が先に亡くなってしまったのです。後継として第二皇子と皇太子の長子が上がって、孫への譲位によって事態を収束させました。第二皇子は公爵家への婿入りが決まり、これが皇位を継げなかった皇子の処遇として定着することになったのです」
「なるほど」
「二度目は側妾の産んだ第一皇子と皇后の産んだ第二皇子の家督争い。時の皇帝は皇后の産んだ第二皇子に譲位して、皇位に就く条件は皇后の産んだ皇子に限ると明文化しました」
それが今の継承法に反映されている。
「第一皇子は侯爵位を与えれました。この頃から伯爵と侯爵の差は、帝室との姻戚関係の有無と考えられるようになりました」
逆に皇女を娶った伯爵が侯爵に陞爵されることも通例となった。皇女を娶る予定のリシャールの辺境伯位も侯爵と同格と見てよい。
「そして三度目は同じ皇后の産んだ二人の皇子の争い。皇位を継ぐとみられていた第一皇子が母の実家の娘を妻に迎えたいと言い出しました。具体的には皇后の妹の娘なので公爵家の娘ではないのですが、いずれにしても皇后にはなれない方です。結果として別の公爵家の令嬢と婚約していた第二皇子にお鉢が回ってきた。第一皇子は意中の相手と結ばれて母の実家を継ぐ事になりました」
同じ公爵家から二代続けて皇后を出さないと言う条文は、明文化された継承法には存在しない。あくまでも五大公爵家の間にある暗黙の了解であった。
「皇后やその実家が意図した訳ではないけれど、帝室と一公爵家が結びつくことを他の四つの公爵家が危険視したのでしょう。権力が集中し過ぎると崩壊を早めますから」
帝室と五つの公爵家が一定の距離感をもって権力を分け合う事で帝国の安定を保ってきたのである。歴代皇帝には飛び抜けて名君と呼べる人物はいないが、少なくとも暗君は皆無である。実務は周囲の官僚たちが行って、皇帝は血統の維持に専念する。このシステム下では下手にやる気のある皇帝が出ると却って拙いことになる。
その一方で、公爵家同志の通婚は慣例により止められている。五大公爵家は伯爵家以下から配偶者を求めることになっている。これら新興貴族の多くは軍人や官僚での功績により封じられたモノたちで、その多くが皇帝恩顧の臣たちである。初代は公爵家と距離を置くが、二代目以降は徐々に距離が詰まっていく。その舞台が年に一度の帝国元老院議会である。
基本は領地に詰めて滅多に外に出てこない公爵家の一族郎党であるが、当主は議会への出席が義務となっている。公爵家とそれに次ぐ侯爵家は世襲で議席を有するが、伯爵以下は持ち回りで議員を務める。議題は予算の可否であるが、公爵家には拒否権があるので最低限でも彼らの同意を得ないと行政が滞る事になる。
辺境伯は現役軍人であるので議席は無い。将来的に軍を退けば召喚されることになるだろう。
章題通りに過去話を少しずつ展開します。




