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【After the “On Deep Lake”/後編】

聖都イグニア:通常作品



 暗闇の奥にちろちろと揺らめく赤色があった。

 ふとした瞬間、それが一気に燃え広がる。


 たすけて、と悲鳴が聞こえた。妹の声だ。しかし自分も動くことができない。手足は石にでもなったかのように重く、思い通りにならなかった。


 体中が痛い。

 熱い。

 どうして。


 悪いことなんて、何もしていないのに……!


 必死にもがくその頭上に影が差した。巨大な気配に身が竦む。

 『それ』は高いところから、重々しく告げた。



      ――お前達には罪がある  だから罰を受けたのだ――




           +   +   +



 はっと目を開けると、見覚えのない木の天井が広がっていた。窓からは青白い光が射し込んでいる。夕暮れではなく暁光のようだ。そしてどこからか、断続的に「カァン、カァン」と甲高い音が聞こえてきた。

 冷や汗で体がぶるりと震えた。それでも、声を上げることがなくなる程度にはこの夢にも慣れた。ゆっくりと息を吐きながら、ひとまずのろのろと起き上がる。

 ベッドは騎士の宿舎のものより少し大きい。ちょっとした調度などの雰囲気からして、客間に寝かされていたようだ。現状を確認して思わず頭を抱えた。よりによって上官の前で酒で潰れるなど。普段ならば考えられない失態だ。

「……水……」

 しかし過ぎたことよりも、さしあたって物理的な頭痛を収めるのが先だった。

 手でひたいをおさえつつふらつきながら寝室を出ると、直接居間につながっていた。そこには家主はおらず、戸口が少し開いていて、硬いものをたたくような音はそこから漏れているとわかった。

 家主であるゾラ=ナダは、庭にいた。ゲアマーテルよりもはるかに巨大なドラゴンを相手に鍛錬のまっ最中だった。

 漆黒のドラゴンが尾をふるう。足を払う、と見せて上に跳ね上げたのを、長い棒を持つゾラ=ナダが軽々と跳び下がってかわす。同時に、その目がエリアスの方へ向いた。


「タカラ、ちょっと待ってくれ」


 張り上げた声にドラゴンがぴたりと静止する。ひゅ、と棒を振ってから肩にかついで、ゾラ=ナダがこちらへ歩いてくる。上半身は裸だ。細身ながら無駄なく引き締まった体を汗の粒が伝い落ちた。

「起きたか。気分はどうだ? 頭痛だの吐き気だのはないか?」

「吐き気は……大丈夫です。頭痛は、少し」

「空きっ腹に慣れない強い酒を入れたからなぁ。まさか倒れるとは思わなかったが」

 驚いた、と笑いながら言われ、余計に頭痛が強まった。

「すみませんでした、ご迷惑を」

「迷惑なんざ思っちゃいないが。それよりもジークの旦那が気にしてたぞ。『すまなかった』と伝えてくれとさ」

「え?」

「酒を勧めたのが旦那だったからなぁ。すげぇしょんぼりしながら帰ってったぜ」

 ゾラ=ナダは笑った。笑いながらくるりとこちらへ背を向けた。

 それを見て、エリアスはぎょっとした。

 無数の傷があった。戦闘ではない、おそらく拷問によって刻まれたものだ。「痛々しい」ではぬるすぎる。つい最近つけられたと見える傷の下に古傷が重なり、正視に耐えないようなありさまだ。

「どうした? ……ああこれか」

 変わらぬ笑顔のゾラ=ナダに、なぜ、と叫びかけたのを思いとどまった。代わりの言葉を探し出すまでには少し時間がかかった。

「……ずいぶん、ひどいですね」

 まだ頭の回転が鈍い。ただ、詳細を聞かない方がよさそうだという直感は働いた。

 案の定、ゾラ=ナダにもそれを語ろうという気配はなかった。

「そうかもな」

「平気なんですか」

「見ての通りぴんぴんしてる。いやあんたこそ、本当に大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

 だんだんと気分が悪くなってきているのは確かだった。傷を見たせいではない。ふつふつとわき上がる黒い感情が胸を噛み、息が苦しい。

「帰ります。お世話になりました……」

「そうか? ならちょっとだけ待ってろ」

 ゾラ=ナダは家へ入り、またすぐ出てきた。手には小さな包みを持っている。

「持ってけ。酔いや吐き気に効く薬草を粉にしたもんだ。どうしても具合が悪かったら使うといい」

「ありがとうございます。いただいていきます」

「エリアス」

 腕が伸びてきた。反射的に首をすくめる。大きな手は普段よりも少し柔らかく、頭の上に置かれた。

「俺の弟や妹は、こうすると喜んだもんだがなぁ。やっぱりいやなのか?」

「……」

 なぜかふと思い出す。ありがとう、と頭をなでたジークの手。よくやってくれたと肩に置かれたイルの手。どうしてこう、揃いも揃って。

「もう……なでられて喜ぶ年齢としでもありませんので」

 どんな状況でも相手が誰であっても、触れられるのは好きではない。うしろへ下がって逃れる。と、ゾラ=ナダがかすかに苦笑を浮かべた。

 おだやかな表情だ。凄絶な傷跡を見る限り、おそらく過去に尋常ではないものを背負っているはずが、こうして向かい合う限りではまったくそれを感じさせない。


 なぜそんな顔ができるのか。なぜそんなにも朗らかでいられるのか。


 理解、できない。


「失礼します」

「またいつでも来いよ」

 会釈して背を向けた。その瞬間、表情が欠落した自覚があった。ゾラ=ナダからはもう見えないだろうと思われるところまで来て手の中の包みを開く。薄黄色の粉末はあっという間に風にさらわれ、散っていった。

 もう二度とあそこへは行かないつもりだ。あんな風にあたたかいものは、いらない。

 忘れよう。

 そう心に決め帰途についた。――が、その翌日。


「……ああ、いたぞ」

「おーいエリアス! いい果実酒が手に入ったんだ。今度のはそんなに強くないから、試してみねーか!」


 兵舎でイルとゾラ=ナダにつかまった。

 エリアスは思わず、人前では見せたことのないような大きなため息をついた。


                                 END


【一部キャラクターをお借りしています】

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