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【After the “In Dark Forest”】

聖都イグニア:通常作品


 レモラ要塞奇襲作戦から二週間ほど経った。結果は「成功」といえるものであり、そのためかエリアスにもかの隊長にもこれといった咎めはなく、従前の日々が戻っていた。



「……あ」

 陽が昇りきらない早朝。湯浴小屋を使おうと訪れたエリアスは、自分からは見上げるほどの巨躯の男とはちあわせた。兵舎でも竜舎でも見かける顔だ。たしか上級騎士だったように記憶している。

「おう」

「おはようございます。ええと」

「イルでいい。使うのか」

「いえ、先にどうぞ。またあとで来ます」

「うん?」

 イルは小屋の入り口に青い旗を立てようとして、手を止めた。そしてなぜか女性使用中を示す赤い旗も取り上げた。

「エリアス、だったな。お前もしかして」

「はい」

「女か?」

「…………はい?」

 一瞬、何を言われたかわからなかった。

「あ、いえ……男ですが」

「そうか」

 赤い旗を足下の筒に戻す。あっけにとられていると、親指で小屋の中を示された。

「俺は軽く浴びるだけだ。大桶は空いてる。使うといい」

「……は……」

「悪いな。男といっしょに入れないというなら、もしや女だったかと。驚いた」


 ――この人はもしかしてものを考える頭というものを持っていないのだろうか――


 と、脳裏を駆け抜けたものはさておき、エリアスは辞退の意味で小さく頭を下げた。

「ありがとうございます。ですが、お見苦しいかと思いますので――」

「傷でもあるのか。珍しくもないぞ。この顔を見てみろ」

 イルは自分の顔の左半分を指でなぞる。頬から耳の近くまで走る一直線の傷。たしかに騎士団にいればこの程度の傷など珍しくもない。正論だ。

 そして何より、これ以上の断りをいれれば上官への失礼に当たる。そう判断し、素直に従うことにした。

「では……お言葉に甘えて」

 実のところ自分では、それほど傷を気にしてはいない。多少気にしていると装う方が都合がいいだけだ。無用なつきあいを避けるための言い訳になる。女々しい奴と陰で笑われることもあるようだが、そういう輩はこちらが無視すれば話は終わる。

 それで良かった。むしろその方が良かった。自分が目的を果たし続けるためには。

 このままで。



 小屋の中には湯を沸かすための竈もあるが、今日は必要なさそうだった。大桶にポンプで水を張ってから上着を脱ぐ。そこで後ろから声をかけられた。

「ところで、エリアス」

 エリアスはふり返る。仁王立ちで腕組みをしているイルは脱衣済みだ。しかしまだ体を濡らした様子はない。何をしているのかと内心で首をかしげていると、イルはなぜか、ゆっくり歩み寄ってきた。

「な、なにか」

「ふむ」

 目の前に立って上から下までじっくりと眺め回された。あげく、かなり間近に顔を近づけられる。深い群青の眼がエリアスの碧眼を捉えた。

「レモラで負傷したと聞いたが。『それ』は、古いものみたいだな?」

 右肩から胸にかけてのひきつれたような火傷の跡。これについてはしばしば聞かれるので、模範解答を用意してある。

「これは幼い頃に負ったものです」

「さっき言っていたやつか」

「はい。見目良くありませんが、動くのに支障はありません」

「他の傷も大したことはなさそうだ。よかった」

「お気遣いありがとうございます」

「――隊長命令か? 奇襲作戦で突出したというのは」

 不意に声が低くなった。エリアスは反射的に1歩退いた。

 そのあたりの詳細は報告していない。しかもレモラ要塞の作戦に関わっていないはずの彼がなぜ知っているのか。

 それをこのタイミングで切り出した、意図は――?

「なぜ知ってるかって? あの隊には知り合いがいて、時々グチを聞かされるんだ。隊長殿の無茶振りをその都度黙々とこなす中級騎士がいるってことも含めてな」

 問う前にイルの方から答えをくれた。傷のある顔がしかめ面になる。何かが気にくわない様子だった。

 エリアスはその変化を注意深く観察した。まだ彼の思惑が見えてこない。

「尊敬するよ。ある意味で」

「……命令されれば従います。そう決めています」

「……人間ができているな」

 イルはようやく離れてくれた。手桶を取る。ぐるぐると首を回しながらたくましい背をこちらへ向ける。腕や脚には多数の傷跡が見えた。が、背中だけは綺麗だった。

「無能な上官を持つのは不幸なことだ。だがよっぽどの『実績』がなければ追い落とすのも簡単じゃない。せめて、自分を大切にしろ、エリアス。パートナーのゲアマーテルのためにもな……」

「!」

 ああ、とエリアスはうなずいた。やっと得心がいった。結局のところそれが言いたかったのか、彼は。

 知らず苦笑いが浮かんだ。ここへきてようやく『適切な回答』をつかむことができた。

「わかりました。彼女にできるだけ心配をかけないよう、努力します」

「それを聞いて安心した」

 イルは勢いよく水をかぶった。筋の上をつたう水滴を追いつつ、エリアスはわずかに目を細めた。

 出方が読みづらい――苦手なタイプだ。

 と、イルが不意に顔だけこちらへ向けた。

「それにしても、見た目が細いから『もっと食え』と言ってやろうかと思えば。意外に悪くない体をしてるな。お前には驚かされてばかりだ」

「……」


 ――というより、ただの馬鹿か……?


「人並みには食べているつもりです。ご心配、恐縮です」

 ひとまず笑顔で返しておいた。――まだ判断はつかない。だから念のため、自分の中での彼の位置づけを『要注意』と設定した。

 イルはじっと見返してきた。少ししてから浮かんだ微笑には、少しばかり、含みがあったようにも思えた。


                                END


【一部キャラをお借りしています】

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