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【紅の記憶・2 ―日常・後編―】

聖都イグニア:通常作品

※After the “The Productive Mountain”


 「粗相のないように」と言われたため、普段着ではなく白い団服の袖に腕を通した。

 訓練場に戻るとすでにクロヴィスはおらず、女性が一人、物珍しげに模擬剣を眺めていた。ますますおかしな話だ。客人――ヒトではないようだが――というならなぜこんな風に放っておいたのだろう。よりにもよってあのクロヴィスが。

「お待たせして申し訳ありません」

 ともかく声をかけると、女性はぱっとふり返った。鮮やかな赤色が宝石のように輝いている。奇しくもカスパルと同じ色の瞳だが、性差のためかそれほど気にならない。

「よろしく」

「エリアス=キルラッシュです。お名前をうかがっても?」

「……アミン、と呼んでもらえるかしら」

 名乗る口調に恥じらいが滲んだ。そう思って様子を窺うと、どうやら態度の端々から好意的な感情が読みとれる。

 自分の容姿は一部の女性に好まれるらしいと、理解はできないものの自覚はあった。物好きがいるものだ。とはいえ彼女は、その手の媚態をふりまく女性達とは、雰囲気が少し違っていた。

「団内は初めてですか」

「いいえ。でもあまり詳しくないわ」

「どこか興味のあるところなどは」

「では……建物の中を」

「わかりました。ご覧になっておもしろいような場所かはわかりませんが……」

 部外者を入れられる場所には限りがある。作戦室、団長以下騎士長室までは除外。いくつかの候補を頭の中で整理して、順番を定めた。

 客人にも見せられそうな場所で、ここから一番近く。まずは兵舎の大食堂だ。

「こちらへどうぞ」

「ありがとう」

 彼女は1歩、前へ出て――


「きゃっ!」


 丈長のワンピースの裾を踏んだ。

 反射で差しだした腕にぐんと重さがかかる。思わず顔をしかめていると、女性は大慌てで身を起こした。

「ご、ごめんなさい! 怪我は!?」

「いえ。大丈夫です」

「スカートには慣れていなくて……ごめんなさい」

 しゅんとした様子の女性にもう一度笑いかける。それなりに痛んだものの、問題なく動く。支障をきたすほどではない。

「どうぞ、気になさらず」

 また転ばれてはかなわないので手を引いた。ひやりと冷たい皮膚の感触が、やはりヒトとは少し違っていた。

 そのまま歩いていくと、兵舎の手前で見知った顔に行き会った。

 上級騎士ミュリエル・パステルヴィッツ。きりりと気の強そうな顔立ちの女性騎士は、もう一人引き連れて足早に兵舎へ入っていくところだった。

 その連れの方がこちらを見て立ち止まった。上着を着けない相変わらずの半裸姿は、下級騎士のトトだ。漁師のような風貌と思っていたところ、実際に元漁師らしいと伝え聞いた。

 その彼が、一瞬ぽかんと口を開け、続いてにっと笑いかけてきたので、こちらも立ち止まる。

「何かご用ですか」

「おー。美人。大きい。俺、好き」

 その視線はアミンに向けられていた。あら、と当人は微笑したが、邪念を感じたエリアスはさりげなく間に割って入る。彼女は少なくともトトより小柄だ。『大きい』とはつまり、特定の部位を指しているのだろう。

「いい女、好き! 俺に貸す?」

「トトさん。ちょっと」

 彼女からは離れてトトに手招きする。なんだなんだという顔を近くに寄せてきたところで、肩に手を置きぐいと引き寄せた。

「貸しません。彼女はお客様です。お客様に対してそういうことを言ってはいけません」

「お、おお?」

「わかりましたか」

 真顔で黒い目をじっと見る。トトは怯んだようにうなずいた。

 不意にその後ろからミュリエルが顔を見せた。いつの間にかとって返してきたらしい。

「あちらはお客様ですか」

 ミュリエルはアミンに笑いかけてから、小声で聞いてきた。

「はい。ご案内するようクロヴィスさんから言われています」

「トトはなんと」

「『貸してくれ』だそうです」

「……そう」

 ミュリエルの手が、がっしとトトの耳をつかんだ。

「ご苦労です。案内を続けてください」

「了解しました」

 思わず苦笑した目の前で、ミュリエルが悲鳴を上げるトトを連行していく。同じ21歳ながら、長く騎士団に在籍してきた彼女の雰囲気は実に堂々としたものだ。

 それはともかくとして。アミンに向き直ると、不思議そうな顔でミュリエル達を見送っている。どうやら言われた意味がよくわからなかったらしい。

「身内の者が失礼しました」

「いいえ? おもしろい方ね。彼には初めてお会いしたわ」

「そうでしたか」

 こちらへ、と兵舎の戸を開けた。彼女は興味津々といった表情で中へ入っていった。



           *   *   *



 朝には遅く、昼には早い時間帯だ。当番やら諸々の事情で朝を食べ損ねたのだろう数人がいる他、大食堂はがらんとしていた。

「あの奥に厨房があります。雇いの料理人が交代で詰めています」

「あなたもここで?」

「はい。大抵は」

 言ってから、そういえばと思い出す。最近はゾラ=ナダの私邸の夕食に呼ばれることが多く、断り切れなかった時には大概そのまま泊まって朝食も、という流れになる。必然、食堂で食べる回数は減った。それをわざわざ彼女に教える理由もないのだが。

 それに、それ以上に、気になるものが視界に映っている。

「こういうヒトは、よくいるわけではないのよね?」

「……もちろんです」

 アミンは明らかに笑いをこらえていた。机と机の間の床に、青年が一人、つっ伏して寝息を立てている。

 顔を見なくてもそれが誰かはすぐわかった。これを放っておいたものかどうかと悩みだしたところへあわただしい足音が近づいて、食堂のドアがバンッと開いた。

「っあー、いたいた!」

 珍しくあわてた様子のイブキと、もう1人、ほとんど子供のような体格の少年が駆け込んできた。

「ニクスさん起きてください、ヴェルナーさんが捜してますよーっ」

 イブキは床の青年をゆっさゆっさと揺さぶった。しかしニクスは――中級騎士ながら弓の名手と名高いニクス・バーナードは目を覚ます気配すら見せなかった。なぜ彼がこれほどまでに睡眠を必要とするのか、誰も知らない。

「どうしよう、イブキにーちゃん。2人で運んでいけるかな?」

「ここはやっぱり手伝ってもらった方が良さそうだね。ということで、エリアスさん、ちょうどいいところに!」

 二人の少年騎士はぱっと顔を上げてこちらを見た。イブキ・ムンドリーの奔放さもマイク・ファーガスのちょっとばかり申し訳なさそうな顔も、すでに馴染みだ。しかし今は手伝えない。そう伝えようとしたところで、エリアスの耳が覚えのある足音を拾った。

「……あいにくボクは手伝えませんが。もっと適任が来たようですよ」

「お? 何やってんだイブキ。ってかそこに転がってんのはニクスか?」

「ゾラ=ナダさん! イルさん!」

 イブキがはずんだ声を上げた。ゾラ=ナダ・ヴォルフクローネにイル・バルセイン。いずれも180センチを超える長身の二人が来たので、完全に意識がそちらへ向いたようだ。

「ヴェルナーさんのとこに連れてくよう言われてるんですけど、起きてくれなくて」

「そりゃ仕方ねぇな。いつものこった」

「そういうわけなんで、運んでもらえませんか?」

「運べばいいのか」

 そう言ったかと思うと、イルがひょいとばかりにニクスを担ぎ上げた。まるで重さを感じさせないあたりはさすがだ。そしてこれでも起きないニクスもさすがだった。

「ヴェルナーはどこだ?」

「今三階にいると思いますー」

「あ、あの、失礼しますエリアスさん」

 のしのしと食堂を出ていくイルにイブキが続き、マイクがぺこりと頭を下げてから追いかけていく。その様子をゾラ=ナダが苦笑しながら眺めていた。

「仕方ない奴だな、イルを運搬具に使いやがって……っと、そうだエリアス、さっき見かけたんだが――」

「?」

 急に言いやめてエリアスのうしろに視線が向く。ふり返るとアミンが困ったような笑顔で首をかしげていた。

「知り合いでしたか?」

「……。まあな。それより作戦室前に掲示が出てたぜ。エリアスの名前もあったから、後で確認に行った方がいいんじゃねぇか」

 はぐらかすような調子のゾラ=ナダだったが、何やら機嫌がよさそうな笑みは変わらない。いや、これはいつにも増して上機嫌だ。

「謹慎期間の延長でもされていましたか」

「そうじゃねぇ、ルマン隊の配置換えだ」

「ああ……決まったんですね」

「そういうことだ。じゃ、またな」

 ここでいつもならこちらの頭をなでようと手が伸びてくる。が――なぜか今日は軽く手を振っただけで行ってしまった。

 一瞬身構えかかっただけに、肩すかしをくった気分だった。今日はどうも違和感のあることばかりだ。内心で首をひねりつつ、同時に、たった一ヶ所案内する間の騒ぎに頭痛を覚える。どうしてこうなるのだろうか。

「騒がしくしてすみません」

 ため息をこらえて頭を下げると、アミンはふるふると首を振った。

「楽しいわ」

「そうですか」

「ええ。楽しくていい方ばかり。いつもこんな風ににぎやかなの?」

「いつもというわけでは……」

 答えてから想起する。しばらく前まではこんな風ではなかった、はず。

 ならば、いつからこうだっただろう?

「……あっ」

 と、不意にアミンが声を上げ、頬を押さえてぱっと顔を背けた。それでも原因には察しがついた。ひとつにくくり上げた黒髪の下、首筋に鱗状の亀裂が見える。

 やはり彼女もドラゴンの変じた姿なのだ。まだ慣れていない風でもあったし、変化のための魔力が尽きてきたのかもしれない。

「ごめんなさい。私はそろそろ、行かなくては」

 とっさに声が出なかった。彼女の本来の姿を思う。ドラゴン。高き存在。鱗に覆われた、あの巨大な体躯――

「!」

 アミンがびくりと身震いをして、エリアスもはっと我にかえった。……気づかれただろうか。

「失礼しました。あまりお役に立てなかったようです」

 今ならまだ誤魔化しがきく。首をもたげかけた衝動を強引に押さえつけて彼女を窺うと、それほど気にした風もなく、手指の間で目を細めた。

「そんなことはないわ。案内してくれてありがとう。また来てもいいかしら?」

「いつでもいらしてください。手の空いている者がご案内します」

「……あなたにも、また会いたいわ」

「それはありがとうございます」

 冷静になれ。自身に言い聞かせながら笑顔をつくる。

 彼女はひらりと身をひるがえした。

「足下にお気をつけて」

「ええ。さようなら」

 アミンはぱたぱたと食堂から駆け出ていった。あの様子だと、かえって見送りはしない方がよさそうだ。その気配が消えるまで待って、エリアスはゆっくりと歩き出す。

 向かうは作戦室だ。少し前までの上官、ルマン・モルブスが欠けた後、隊が再編成させるとの話は聞いていた。今度は誰の隊の所属になるのか、気にならないわけがなかった。



           *   *   *



「おかえりなさい」


 竜舎に飛び込むと、アリアと戯れていたクロヴィスがそう言ってくれた。途端に体は熱を帯び、服をどうにかする間もなく、膨張してヒトの形を崩す。おかげで服は破けてしまった。これでは次の時にまた調達しなければならない。

「騎士クロヴィス。助言や協力をどうもありがとう」

「逢瀬はどうでしたか?」

「……幸せよ」

 ヒトの姿であればきっと頬が赤らんでいる。そんな風に思えるほど熱い自分自身に、ゲアマーテルは体を縮めた。いつもとは違うパートナーの表情。手を握ってくれたあの感触。思い出すだけで沸騰しそうだった。

 クロヴィスとカラリアのおかげだ。同族ドラゴンには常に暗い感情を向けるエリアスが、人化している間は普通に接していたという話をして、ついでに人化の術を教えてくれたのがカラリアだ。彼は単純におもしろがっていただけのようだが、ゲアマーテルにとってはこれ以上にない贈り物だった。

 そしてクロヴィス。エリアスに会いに行くのなら、最初は違う名を名乗ってみてはどうかと教えてくれた。言われたときにはよくわからなかったが、実践してみると少しずつ意味がわかって。

「それはよかった」

「ただ、結局本当のことを言いそびれてしまったのだけど」

「彼ならば途中で気づくかとも思いましたが、そうですか……少し意外でした」

「いいの。いっそしばらくは秘密にしてもらえるかしら。そうしたら、またあの姿で会いに行けるわ」

「……貴女が、それでいいのでしたら」

 わずかに不本意そうな色を滲ませながら、クロヴィスが苦笑した。――なんとも美しい人間だ。種族の異なるゲアマーテルの目から見ても華がある。しかし同時に何かを憂えるような影もあり、それがかえって多くの女性を魅了しているのだろうと想像する。

 しかし。自分の意識を占めるのは彼ではなく、たった一人のパートナーだけで。

 そのパートナーがこちらを見てくれることは、おそらくないのだけれど。

「次はもっと動きやすい服装が良さそうね。見繕うのを手伝ってもらえると嬉しいわ」

「もちろんです。アルにも声をかけておきましょう。きっと勇んでお手伝いに来るはずです」

 「ありがとう」とくり返して、ゲアマーテルは目を閉じた。騙していることにはほんの少し罪悪感がある。それでも、いつも振り回されているのだから、このくらいのわがままは許してほしい。

「次はどこへ連れて行ってもらおうかしら」

 考えながらくすりと笑う。

 『次』が戦場である可能性は、今だけは忘れることにした。


                                  (続


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