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盾と癇癪玉 私は何もしません  作者: 甲斐 雫


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2 鍋の蓋と小太りの男

 セシルとジャスティンは、王都に来ていた。

 滞在場所は、彼の叔母であるヴェラ・アズールの屋敷である。


 現国王の妹であるヴェラは、アズール公爵家に降嫁し、今は未亡人となっている。屋敷と王宮を行き来しながら、悠々自適の生活を送っていた。


 滞在場所を叔母の屋敷に決めたのは、その方がのんびり出来そうだとジャスティンが思ったからである。

 セシルにとっても、その方が気楽であった。

 ヴェラ・アズールは、兄である国王の計らいで、王立女学院と盾の乙女養成所の顧問の地位を貰っていた。特に実務がある訳では無いが、相談役のような立場でそれなりに収入もある。

 ジャスティンが失明の危機にあった時、セシルを連れて行きたのはヴェラだったのだ。


 そんな中、ある日の昼下がりに、ジャスティンが帰宅する。

「今帰ったよ・・・セシル?」

 窓際の明るいところで、椅子に座って手元に集中している彼女に声を掛けた。

「えっ!あっ、お帰りなさいませ。お早かったのですね」

 セシルは驚いて、パッと顔を上げる。


 王都に来てから、ジャスティンは王立図書館長の役職を受け、引継ぎやら何やらで、朝から夕方まで出かけていた。これほど早く帰宅したのは、初めての事だ。


「ああ、今日は適当に切り上げて来たんだが・・・何をしていたんだ?刺繍か?」

 彼女の手元には、下絵が描かれた布があるが、そのほんの一部しか刺繍は進んでいないようだ。

「ええ、はい・・・淑女の教養だからと、キャンドル夫人に教わっていて、こちらにいる間に仕上げてくようにと言われているのですが・・・」

 侍女頭であるキャンドル夫人だが、身分の低い奥方を教育するのは、自分の役目だと考えてるような節がある。つまりは、宿題を出されたという事らしい。

「頑張ってはいるのですが・・・その・・・私は不器用らしくて、失敗ばかりで全然進みません」


 昔から、裁縫やら手芸のように、じっと座って根気よく手を動かすことは苦手だったセシルだ。

 外で身体を動かす方が好きで、農作業や家畜小屋の掃除の方が好きだった。


 溜息をつくセシルに、ジャスティンはクスッと小さく笑って言った。

「そうか、だがあまり根を詰めても良くないだろう。今日は、これから外に出ないか?」

 セシルは嬉しさを滲ませながら、怪訝な顔をして答えた。

「それは嬉しいですけど・・・散歩ですか?どこへ?」

「下町の方へ」



「ほほぅ・・・これはこれは・・・」

 ジャスティンは、いかにも嬉しそうに呟いた。

「私が知っているのは、この辺りくらいなのですが・・・急ぎの買い物やお使いくらいでしか、街中に出ることは無かったので」

 こんな場所でも良かったのだろうか、とすまなそうに言うセシルだ。


 2人がいるのは、王都の下町の中では比較的治安が良いと言われる商店街だ。

 一般庶民が買い物をする通りだが、少し中に入れば居酒屋もあるし、屋台も数多く出ている。

 そんな場所で浮かないように、ジャスティンとセシルは服装にも気を遣って来ている。

 下級貴族の三男坊風のジャスティンは、シンプルな白シャツと黄土色の上着。

 セシルも髪を纏め、濃い灰色の地味なドレスという装いだ。


「こういう所に来てみたかったんだ。俺が知っているのは、貴族の屋敷や歌劇場くらいだからな」

 皇太子であった頃は、社交という理由で王宮を出ることもあった。だが行き先は、彼を招待した有力貴族の屋敷で舞踏会や茶会ばかり。たまに歌劇場へ、オペラ鑑賞に行くくらいだった。

 ただのジャスティンになりたかった彼は、ずっとこういう場所に来たかったのだろう。


「凄く活気があるな。人も多い・・・何だかいい匂いもするぞ」

 遊園地に来た子供のように、眼を輝かせて歩くジャスティンに、セシルも苦笑を浮かべるしかない。

「色々な屋台が出ていますから・・・ここは肉や魚を焼いていますし、あっちは焼き菓子ですね」

 どちらの屋台も、鉄板の上で焼きながら売っていて、良い匂いが上がっていた。


 時間的には甘いおやつの方が良いだろうか、とジャスティンはパンケーキのような物を焼いている屋台の方へ足を進める。

 けれどセシルは、肉や魚を焼いている屋台の鉄板の前で足を止めた。


 ジュウジュウと音を立てている鉄板の上には、焼き始めた肉と魚が奥に並び、前の方には蓋のような物を被せられた食材があった。

(ステーキカバーかな?・・・蒸し焼きにしてるのね)

 旨味を閉じ込めるように被せられた鉄製のカバーは、寸胴鍋の蓋くらいの大きさがある。形もそれに似ていて、取っ手が付いていた。


 屋台の女将さんは、そんなセシルに見せるように、分厚い手袋をした手で蓋を取ってくれた。

 ぶわりと上がる、肉と香辛料の香り。

 蓋から落ちる水滴が、鉄板の上で音を立てて弾けた。

(うわ・・・美味しそう)


 そんな彼女に、ジャスティンが声を掛けた。

「セシル、おやつでもどうかな?」

 数歩先で振り返り、笑顔を向ける彼に、セシルはハッと振り向いた。

「あ、はい・・・・危ないっ!」


 叫ぶと同時に、セシルは鉄板の上のステーキカバーの取っ手を引っ掴んで、跳んだ。

 振り向いた瞬間、視界に入ったのはキラリと光ったナイフ。

 ジャスティンの向こうに男が2人いて、さり気なさを装いながら迫っていた。


 バンッ!

「フゴッ!アッチィーーー!」

 ドタッ!


 ジャスティンと男の間に飛び込んだセシルは、左手で掴んだ蓋を片方の男の顔面に押し付けた。ナイフを持っていた男は、それを放り出して尻もちを搗く。

 そしてセシルは、同時にもう1人の男の手首を手刀で叩いた。

「ウォッ」

 驚いた男の手から、短刀が落ちる。


「ハッ!」

 セシルは小さく息を吐き、身体を捻りながらステーキカバーを振り抜いた。


 ザシュッ!

「ギャァッ!」

 捻りを加えた力で、蓋のヘリが鋭く男の鼻先を削った。


 一瞬の出来事が、ジャスティンの目の前で披露された。

(これが、『古の盾の乙女』・・・)

 護身用の剣の柄に手を掛けたまま、彼は呆然としている。


 セシルが持っているのはステーキカバーで、厳密に言えば『盾の乙女』ではなく『蓋の乙女』なのだが。


 けれどその時、ジャスティンは気づいた。

(・・・アイツは?)

 数メートル離れた場所で、こちらを見ている小太りの男。

(あの表情・・・「しまった」とか「間違った」と言うような顔だ)

 男2人はセシルに任せ、ジャスティンは男に詰め寄った。


「おい!お前、アイツらの親玉か!」

 胸倉を掴んで問いただすジャスティンだが、腹立たしさがふつふつと沸き上がっている。

(もう暗殺は無いと思っていたんだが・・・)


 皇太子であった頃は、日常茶飯事だった暗殺未遂。

 けれどその地位を弟に譲った後は、もう心配することも無いだろうと思っていたのに。


 しかし、男の反応は違っていた。

「すっ・・・すみません!人違いでしたぁ~~」

 背の低い男は、太った身体を精一杯縮めて、泣きそうな声で答えた。

「はぁ⁉」

 一瞬緩んだジャスティンの手を振りほどいて、男は転げるように逃げ出して行った。


「人違いで刺されるなんて、とんでもないんだが・・・」

 けれどとりあえず、自分を狙った暗殺では無いようなので、少しだけ落ち着くジャスティンである。

 誰と間違われたのかは、気になるところだが。


 二人組のチンピラらしい男たちは、逃げ出した小太りの男に気付くや否や、慌てて後を追った。

 顔面を押さえてフラフラと逃げてゆく男たちの後ろ姿を見届け、ジャスティンはセシルに声を掛けた。

「大丈夫か?セシル?」


 セシルは屋台の女将さんに、ステーキカバーを返しながら謝っていた。勝手に持って行って武器代わりに使ってしまったのだから、弁償することも考えていた。

 けれど女将さんは、面白いものを見せて貰ったよと、磊落に笑いながら許してくれた。


「あ、はい。今行きます」

 セシルはもう一度ペコリと頭を下げ、ジャスティンの傍に駆け寄る。

「お怪我はございませんか?」

 古の盾の乙女のように、礼儀正しく問いかける彼女は、妻と言うより警護の従者のようだ。


 そんな彼女に少しばかり不満もあったが、ジャスティンは周囲を見回して早口で告げた。

「人が集まって来てるな。残念だが、帰ることにしよう」



 叔母の屋敷に向かって歩きながら、ふいにジャスティンが口を開いた。

「それにしても、凄かったな。あれほど武芸に秀でていたとは、思わなかった。『古の盾の乙女』そのものだったぞ」

 じっくりと見ていたわけではないが、視界の端に移ったセシルの動きは美しかった。

 滑らかで無駄のない動作は、大きな鳥が舞うようだったし、スピーディーで的確な攻撃は、芸術的にさえ見えた。


「ありがとうございます。手近にあったのがステーキカバーだけでしたし、近頃鍛錬も出来ていないので、私としては少し不本意な出来でしたが・・・」

 セシルは、素直な笑顔で答えた。

「いや、随分と鳴れているように見えた。自分で鍛錬したのか?」

「一応基礎は、養成所で教わっています。あれは『盾術』という、設立当時から伝わる武術なんです」


『古の盾の乙女』は要人警護の部隊として創立され、装備は盾である。その補助として、片手剣やメイスを持つこともあった。

 養成所では伝統として、中等科で基礎を習う。そのための教官もいるが、それは『盾の乙女』を引退した娘の中で、素質がある者がなっている。


「私は、教官になりたかったんです。武術は好きでしたから、基礎が終わっても時間を見つけては訓練所に通って、教えを受けてました。けれどその希望は、叶いませんでした。教官の採用枠が無くて」


 セシルは当時の、悔しかった時間を思い出す。

 だからこそ、『古の盾の乙女』として、命を投げだすことを望んだのだ。

 そして無意識に、キュッと軽く手を握った。


「・・・・イッッ・・・」

 つい、声が漏れた。

 それを、聞き逃す彼ではない。

「どうした?」


 俯いている彼女の、左手を取り、その掌を広げさせた。

「おい・・・これは!」

 真っ赤に染まった左手の掌は、所々に水泡も出来ている。

「火傷・・・しちゃったみたいです。ステーキカバーが、熱かったんで」


 屋台の女将さんが分厚い手袋を着けて扱っていたステーキカバーは、鉄板の上で熱せられていた。それを素手で掴んで、立ちまわっていたのだから当然かもしれない。


「急いで帰るぞ。手当てをしなければ」

 そう言って足を速めるジャスティンだが、火傷する熱さを我慢していたセシルに、呆れ半分の気分でもあった。


 屋敷に戻り手当てを受けたセシルは、医師から告げられた。

「何故、熱せられた蓋を素手で掴んでいたのかは、お聞きしませんがね。なんにしても、結構酷い火傷なので、暫くは左手を使わないようになさいませ」


 それを聞いたセシルが、こっそり喜んでいたのは内緒だ。

(これでは、刺繍の宿題は出来ないですよね♪)



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