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盾と癇癪玉 私は何もしません  作者: 甲斐 雫


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1 元『盾の乙女』と元皇太子

デュランダル王国、オロール女王即位から500年後。

幾つもの戦や事件を乗り越えて来た王国も、時の流れと共に変わっていった。


元皇太子ジャスティンは、暗殺未遂事件で知り合った『盾の乙女』セシルを知り、自らその地位を捨てる。(完結済み「『盾の乙女』の本分は」参照)

新たな領地でリヴェール公として暮らし始めたジャスティンは、公式に認められてはいない妻セシルと新婚生活を送っていた。

「セシル、朝だよ」

 ジャスティンは、朝の光の中で新妻にキスを送る。

「・・・ん・・・ん~~~」

 白い腕を上掛けから出して、むずかるような仕草で目元を擦るセシルは、肩がむき出しで何も身に着けていない。


(可愛らしいな・・・)

 ジャスティンは、愛しさを隠さず、優しい笑みを浮かべた。

 無邪気な子供のような仕草は、普段の彼女からは想像できない。こういう彼女を知っているのは、自分だけだと思うと幸せな気分になる。


 昨晩は、2人にとっての初夜だった。

 王都から離れ、領地へ来てから1週間経っていたが、セシルの疲労や体調を考慮して、それまで待っていたジャスティンなのだ。


「セシル・・・愛しているよ・・・」

 彼女の細い手首をそっと掴み、その手を顔から離させて、優しく頬に、そして額にキスをする。

 惜しげもなく愛を降り注ぐ彼だが、次の瞬間・・・


「・・・ん・・・ぇ・・・・・朝っ!」

 パチッと眼を開けたセシルは、声を上げながらガバッと起き上がった。


 ゴインっ!


 彼女の額が、彼の鼻にヒットした音だった。


「ぁうっ!」

 呻いて鼻を覆うジャスティンと、ぶつかったのが彼の鼻だと気づいたセシル。

「あっ、ああっ・・・ご、ごめんなさいっ!寝坊したかと思って・・・」


 未だに時折、かつての生活習慣が蘇るらしいセシルである。

『盾の乙女養成所』で暮らしていた頃は、夜明けとともに起床して日課の仕事に入っていたのだ。


 起き上がったセシルは、何も身に着けてはいない。

 けれどそんな自分の姿を全く気にせず、彼の顔を心配そうに覗き込んだ。

「だ、だいびょうぶだ・・・ほれより、びぎたくをひてほいで・・・よくひつの、よういはでひてる」

 ふごふごと、鼻を押さえて言うジャスティンに、セシルは何とかその意味を聞き取る。

「は、はい。では、お言葉に甘えて・・・急いで身支度を整えますっ」


 裸であることには、あまり抵抗が無いセシルだが、それは受けた教育のせいだろう。

 現在の『盾の乙女』は、王族貴族専用の娼婦として存在している。そしてその養成所は、そんな女性を育てる機関と成り下がっていた。


 セシルは慌ててベッドを降りるが、そのまま歩き出そうとして、ガクンと膝を折った。

 その様子に、ジャスティンは気づいた。

(あ、昨晩やはり、無理をさせ過ぎたか・・・)

 1週間も我慢していたせいもあるのだろうが、何度も求めてしまった記憶がある。


 けれどセシルは、床の絨毯に両手をついて、四つん這いで浴室に向かう。

(うわ・・・おい・・・)

 その姿で、何という格好だ。

 いささか呆気に取られた彼の視線の先で、白い双丘が誘うように揺れている。


 何とか壁際に来たセシルは、壁に縋って何とか立ち上がった。

 朝日に照らされた背中には、大きな傷跡がある。それは、彼女が『古の盾の乙女』である証でもあった。彼がまだ皇太子であった頃、彼を守るためにその身を投げ出したことで得た傷跡は、大きく醜い。

 けれどそれは、セシルにとっては勲章で、ジャスティンにとっては彼女への愛に気付くことが出来た証なのだ。


 よろめきながら歩きだす裸の後ろ姿には、転々と赤い花びらが散っている。

 昨晩の情熱の証であるキスマークが、背中の傷跡の周りから首筋、太腿にまでも刻まれていた。


(・・・ぅ・・・あれ?)

 愛しい妻のあられもない姿を凝視していたジャスティンは、鼻を押さえていた手にぬるりとした熱い感触を覚えた。

(え?・・・おい、ちょっと待て・・・何だ、思春期の青少年じゃ無いんだぞっ)

 掌を見て、それが鼻血だと気づいたジャスティンは、流石に慌てた。

 昨晩あれだけ励んでおいて、まだ足りないのかと思わないでも無いが・・・


(いや、これはアレだ・・・鼻をぶつけたからだ。そうに違いない・・・うん)

 とりあえず自分にそう言い聞かせ、急いで布を取りに行くジャスティンであった。



 少し遅めの朝食を取り終えたところに、使用人がやって来て王都から使者が来たと告げた。

 ジャスティンは席を立ったが、暫くして1通の書簡を持って戻って来る。

「叔母上からの手紙だ。急いで読んだが、どうやら俺の役職が決まったらしい」


 デュランダル王国では、国王や皇太子以外の王族は、何かしらの役職を持つ。名誉職のようなものも多いが、中には軍関係や教育関係のものもあった。


「王立図書館の館長だが、俺としては希望が通ったので受けようと思う」

 皇太子の地位を弟に譲った彼としては、今後妙な陰謀に巻き込まれたくないと言うのが本音だ。

 折角穏便に譲ることが出来たのに、謀反の疑いが掛けられでもしたら堪らない。

 軍関係の役職や、それ以外の要職に就くことは避けたいと思うので、閑職のようなものを望んでいたのだ。


「それは、ようございました」

 セシルは言葉少なに、微笑んで見せた。

 だがジャスティンとしては、そんな貴婦人のような物言いを望んではいない。

「俺の前では、そんな言い方はよせ。セシルらしく話してくれる方が、俺は好きだ」

「あ、はい・・・つい。2人だけの時は、そうします」


 この屋敷に来てからまだ日は浅いが、毎日侍女頭のキャンドル夫人に注意を受けていたのである。

「皇太子の座をお譲りになられても、王族であることに変わりはございません。その奥方であるのなら、それにふさわしい振る舞いをなさいませ」と。

 色々面倒だと思わないでは無いが、確かにそれも必要かと思うので、日々努力していると言うわけだ。


「ようやくここの生活も、落ち着きかけたところなんだがな。これも避けられない手続きだから、さっさとやってしまおうと思う。王都に行ったら、それなりに時間も掛かりそうだが、早速行こうと思う」

「はい、解りました」

 素直に頷いたセシルだが、その表情に微かな陰が浮かんだことにジャスティンは気づいた。


「どうした?嫌なのか?」

「え?いえ・・・そんなことは無いのですが、何故そう思われたのです?」

「何となく、そう思った・・・と言うか、そう見えたんだ」


 少しばかり言いづらそうに言う彼に、セシルは素直に答えた。

「お留守の間、ここにいるのが・・・ちょっと・・・」

 毎日、奥方修行をしなければならないのかと思うと、憂鬱になったセシルだ。


 だがジャスティンは、意外そうに声を上げる。

「は?・・・一緒に来るんじゃないのか?おれは、そのつもりなんだが」

 それを聞いた途端、セシルの顔はパッと明るくなった。

「行きます!ご一緒させていただきます。ありがとうございます」


 領地に妻を残して、領主が出かけることは多い。新妻であれど、仕事ならば仕方が無いのが貴族夫婦の常だ。ましてやセシルは、正式に婚姻を結んだ妻では無い。身分違いも甚だしい、元娼婦と王族なのだから。


 本気で嬉しそうなセシルの表情に、ジャスティンは満足そうに微笑んだ。


 セシルは思っていた。

 これで自分は、彼専属の『古の盾の乙女』の役を担えるのだ、と。


 ジャスティンの妻として、相応しくないのは十分承知している。

 けれど『古の盾の乙女』としてなら、役に立てるはずだ。

 暗殺の危険は少なくなったとは言え、まだ重要人物である元皇太子の彼の身には、何があるか解らない。


 そしてセシルは知っている。

 人の心は、変わるものだということを。

 パトロンがついて裕福な暮らしを手に入れた『盾の乙女』でさえ、いつかは飽きられて捨てられることを。

 暇金を与えられて追い出されるだけなら、まだ良い。命さえ奪われて、闇に葬られることさえある。


(『古の盾の乙女』のように24時間警護するまでにはならなくても、認められれば普通の警護役として、お傍近くで働くことも出来るかもしれない)

 彼と共に王都へ行くことが、何よりも嬉しいセシルだった。


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