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第84話



 「グッモ~ニ~ン」


 今日の朝も、私の挨拶で始まる。


 「グッモーニン」


 彼は読んでいた本を閉じ、私の方を向いて軽く挨拶を返してきた。夏らしい白シャツの制服を着た彼は、いつもの愛想のない笑顔を私に向けて、バス停でバスを待っていた。


 「今日も暑いね」

 「そうだな。早く宇宙の開拓を進めないと人類は滅亡してしまうかもしれない」

 「そうかもね」


 いつもはもっと話を広げて変な世界観を作り上げるところだけど、今日はテキトーに相槌を打ってしまった。

 やっぱり、なんだか今日はおかしい。


 「ところで、お前は肉と魚のどっちが好きだ?」

 「お魚」

 「そうか。じゃあ今日の俺のお昼はアジフライ弁当だな」


 朝から、何かおかしいとは思ってたんだ。

 やっぱり、ここに来ない方が良かった────。



 「……どこか具合悪いのか?」



 ほら、こうなるから。

 いつもよりリアクションが薄い私を見て、そしておそらくは気落ちしているのが目に見えてわかるだろうから、彼はそんなことを聞いてきたんだろう。


 今の私には、笑顔で嘘をつくことも出来ずに。

 友達には話しにくいけれど、どういうわけか名前も知らないこの人相手なら、何故か話せそうな気がしたから。

 だから、ちょっと甘えてみたくもなる。


 「君はさ、学校楽しい?」


 私はつい勢いでそんなことを彼に聞いてしまったけれど、この一言をきっかけに私達の関係が大きく変わってしまうんじゃないかと、今更後悔し始めている自分もいる。

 でも……私が誰かに助けを求めているのも事実だった。


 「お前は学校楽しくないのか?」

 「私の質問に答えて」


 私がつい強めにそう言うと彼は少し驚いたような顔をしたけれど、いつもは愛想のない笑顔ばかり見せてくる彼が、哀れな子どもに向けるような、優しい笑みを浮かべたように見えた。


 「俺は楽しく過ごしているぞ」

 「何が楽しい?」

 「こうして、お前と毎日のように駄弁ることだ」

 「バカみたい」


 もう二年以上この人と話しているから、今の彼の言葉が半分くらい冗談だということは感じ取れた。

 もう半分は、本気なのかもしれないけれど。


 「じゃあ、俺の質問にも答えてもらおうか。お前はどうなんだ?」


 今の私の表情とか雰囲気を見て、きっとこの人もこれが冗談話じゃないことはわかっているはず。でも彼は私の話をそれほど深刻に受け止めているようには見えなくて、多分、いつもと変わらない彼の姿を演じているんだと思う。

 私も、その方が気が楽になる。


 「楽しくないね」


 本当は、こういうことを彼に話したくなかったけれど。


 「朝、起きる度に憂鬱になる」


 そもそも、誰にも話せないことだったけれど。


 「ていうか、寝る前から憂鬱になるよ。明日なんて来なければいいのにって思う」


 私のことをよく知らないこの人相手だから、私はこんな愚痴をこぼすことが出来たんだと思う。


 

 私がそんなことを言っても、彼の表情はあまり変わらない。

 まるで、私がこんな相談をすることを、はるか昔から予言で知っていたみたいに。


 「いつからだ?」

 「本当にサボりたくなってきたのは、ここ一ヶ月ぐらい」

 「よく我慢したな、一ヶ月も」


 一ヶ月、『も』なのかな。私にとっては一ヶ月『しか』なんだけど。


 「正直、友達と顔を合わせるのも辛いね」

 「そうか。俺はお前の友達じゃないからセーフだな」

 「バカみたい」


 私とこの人の関係って何なんだろ。友達じゃないのかな、確かに友達としてカウントするのは難しいかも。知り合いというだけで、こんなにも近いのに、私達はお互いに、微妙に遠いところにいるような気がする。


 

 そして、いつも通り定刻より少し遅れて彼が乗るバスがバス停へやって来た。

 それでも、いつもよりバスが来るのが早く感じられたのは、そもそも私がこのバス停に来るのがいつもよりちょっと遅かったってのもあるかもしれないし、彼と過ごす時間がとても早く感じられたからかもしれない。


 本当はもっと長く彼と話していたかったし、このままだと明日、どんな顔をして彼と会えばいいかわからない……それでも、私はいつものように彼の背中をパンッと叩いて。


 「んじゃ、ハブアグッドデイ!」


 我ながら空元気だと思いながら、私はいつものように挨拶をしたけれど、彼はバスの扉が開いても乗り込もうとはせずに、バスに背を向けて、そして急に私の腕を掴んで歩き出したのだった。


 「ちょ、ちょっと!?」


 本当は彼を乗せるはずだったバスは出発してしまい、彼はそんなバスを見向きもせず、私を引っ張ったまま横断歩道を渡って、いつも私達が使っているバスの反対方向へ向かうバス停まで連れてきたのだった。


 そして図ったかのようなタイミングでバスがやって来て、私は彼に引っ張られてそのままバスに乗り込んだ。勿論通学定期は使えないから、発券された切符を取って、ガラガラの後ろの座席に並んで座ったのだった。


 「ね、どういうつもりなの?」

 

 進みだしたバスの窓側の座席に座る彼は、予想だにしない事態に戸惑う私を見て愉快そうに笑いながら言う。


 「たまにはいいだろ、こういうのも」


 このバスは私や彼が通う学校へは向かわない。乗り換えでもしない限り、私達は学校に遅刻するか、あるいは……サボることになる。


 「私はいいけど、君は大丈夫なの? こんなことして」


 私は遅かれ早かれ、仮病を使ったり何かしらの方法で学校をサボっていたかもしれない。

 でも、それに彼を巻き込もうとは一切考えていなかった。彼はきっと私があんな相談をしたから、私に気を遣ってこんな思い切ったことをしたのだと、私はそう思っていたけれど──。


 「俺だって、たまにはこういうことをしてみたいのさ」


 いつもの彼らしからぬ優しい笑顔や声が、私の迷いを消し飛ばしてしまうのだった……。



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― 新着の感想 ―
なんだろう、すごくしんみりしてる。当たり前になってしまってたからか、こうしていつもと違う展開になってしまうと、どうしても終わりを意識してしまう……。 終わってしまっても、続いたとしても、絶対最後まで見…
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